第11期 #25

深夜の食卓

「さぁお嬢様、食事の時間ですよ」卓袱台の前の緑は、台所からの幸の声に思わず振り向いた。
「ご免なさいね、急に押し掛けて来た上にご飯まで作らせちゃって」
「いえいえ、終バスを逃したお嬢様の為なら」大げさな礼の後、恭しく皿や椀を並べてゆく幸の姿に、緑は思わず吹き出した。
「でもこれって、結構手間がかかったんじゃ?」
「緑はベジタリアンって聞いたから、肉も魚も使わずに作ったんだ」いつもの口調に戻った幸は、料理についての説明を始めた。「まずこの玉葱の味噌汁は、利尻産の昆布から使った出汁を使用、煮干しも鰹節も使わない特製品です」
「意外とこくがあって美味しいじゃない」味噌汁を一口吸った緑は感嘆の声を上げた。
「昆布の出汁はこのじゃが芋の煮物にも使われているんですよ。そして今回の自信作」じゃん、と口で効果音を出しながら、幸は丼の蓋を開けた。「ピリ辛アボカド丼です」
「ピリカラーボガトドン?」奇妙な名前に不意を突かれた緑は思わず聞き返した。「恐竜みたいな名前だけど」
「濃厚で深い味わいのアボカドに、一味唐辛子とネギでピリッとした風味を加え、更にレモンで爽やかな味を演出してみました…って、もしかしてアボカド食べたこと無い?」
「名前は聞いた覚えはあるけど、フルーツじゃなかったの?」
「最近は鮨屋でもよく使うらしいよ、そんな甘くないし」幸は盆に残っていた小皿を丼の前に置きながら説明を続けた。「そうそう、お好みに応じてこの特製醤油をかけるとより美味しく…」
小皿の中身を注視しながら聞いていた緑は、ふと幸の側に向き直った。言葉が急に途切れたのに気付いたからだった。緑が見たものは、「ちょっと失礼」と台所に消えて行く幸の姿だった。
暫くして、別の小皿を手に戻ってきた幸は、急に緑の前に跪いた。
「もっ、もしかしてかけちゃいましたか?さっきの醤油」
「まだ箸も取ってないけど?」
「もっ、申し訳ございません!」幸は緑の前で深く頭を下げた。「先程お出しした醤油、実は魚のアラから取った魚醤でした! ベジタリアンであるお嬢様に対しての非礼、何とお詫びしたらよいか」
「その小皿は?」
「ははぁ、これが本命の特製ごま醤油でございます」幸は頭を畳にこすりつけながら小皿を差し出した。「どうか、これでお許し下さいませ」
「ありがとう、でも」緑は小皿を盆の上に置きながら箸を手に取った。「私は薄味の方が好みだから」


Copyright © 2003 Nishino Tatami / 編集: 短編