第11期 #24

16×16

 妻の顔を、はっきりと思い出すことが出来ない。あんなに愛していたのに。あんなに愛されていたのに。
 2度と動くことのない妻の華奢な手首をもちあげたとき、無性に心が安らいだ。
 
 妻はあまり目立たない女性だった。私と付き合い始めた高校時分から慎ましく奥手で、いつも恥ずかしそうに目を伏せながら、少女のような瞳で私を見つめた。
 結婚してからも妻は相変わらず内気で、どうしようもなく一途だった。
 自分からはあまり外出しようとせず、いつも玄関先で私の帰りを待っていた。私が帰ると小さな体全体で喜びを表し、少しでも私の帰りが遅れると、怯える子猫のような顔をした。
 妻は私に精一杯優しかった。私を異邦人のようにうやうやしく扱い、私がなにを言っても決して抗わなかった。妻は私と一緒にいるだけでそれだけで幸せなようだった。
 私が与えられることに疲れたのはいつからだろう。決して微笑みを崩すことのない妻に、言い知れぬ嫌悪を覚えたのはいつのことだろう。
 妻に不倫がばれたとき、妻はなにも言ってはくれなかった。
 ただ初めて唇を歪め、心なしか伏せた目を曇らせて、肩を何度も震わせていた。
 次の日、妻は自宅で首を吊って死んだ。
 
 それから少しして、私宛てに宅配便が届いた。
 長方形の底の浅いダンボール箱に伝票が貼り付けてあって、差出人の欄にはなにも書かれていない。なぜか心が騒いだ。私は無心でダンボールのガムテープを引き剥がし、花柄の包装紙を破り捨てた。
 中から顔を覗かせたのはジグゾーパズル。無地の白い箱に収められた256ピースのパズル。箱を揺するたび、音を立て波打つ256欠けの記憶。私はパズルを埋めはじめた。

 ピンクのカーディガン。流れるようなうなじ。か細い首筋。微かに紅潮した頬。
 少しずつ出来上がっていくパズル。見覚えのある女性の顔。
 強い耳鳴りがした。鼓膜の奥が、何度も何度も泣きじゃくるように震えた。まただ。強い強い、心臓を揺さぶるような耳鳴り。くそ、鳴り止まない。どうしようもなく吐き気がこみ上げてくる。
 パズルの顔を、直視することが出来ない。それでもなにかに吸い寄せられるように手が動き、パズルを埋めていく。
 あと10ピース――5ピース――3ピース――そして最後のピースが埋まる。


 ――私ははっきりと思い出した。
 亜麻色の髪。褐色の瞳。微笑を浮かべる、艶やかな唇。



Copyright © 2003 赤珠 / 編集: 短編