第11期 #23

運動時のすばやい水分補給

 ちょっといい温泉旅館なので部屋には穴ぼこ型ではない普通の冷蔵庫がついており、沢山の飲み物の中から選ぶことができた。けれども三十を過ぎてから二人ともすっかり酒に弱くなっていたので、結局僕はスポーツ飲料を手に取り、布団に寝そべる彼女に軽く放った。その行動は予期しないものだったらしく、彼女は裸のまま横に転がり缶をよけた。布団がへこむ。拾って缶を開けてやると、彼女は言う。
「運動時のすばやい水分補給、てやつ?」
 僕はうなずき、彼女と回し飲みした。やがて時間になったのでテレビをつけた。百円玉は要らない。

 僕達は寝転んだまま頬杖をつきゴールデン・タイムの番組を見る。画面の中にも彼女がいて、僕達と同じ旅館に泊まっている。先程僕達が食べたのと同じ料理を、彼女は中年の男と一緒に食べている。僕は尋ねる。
「こいつ誰?」
「時代劇俳優。名前は忘れちゃった」
「ふうん」
「ねえ、嫉妬したりしないわけ?」
「だって、仕事なんだろ」
「そう、仕事。あいつに合わせてバカっぽいコメントを付け加えて……」
 場面が切り替わり、今度は彼女が温泉に入っている。カメラは後ろから彼女をとらえている。両肩は湯に沈んでおらず、うなじがよく見える。
「視聴者に裸を見せるというわけ」
 彼女はそうつぶやき、突然一句詠んだ。

  いいですねしか言わない温泉タレントの肌は湯を弾かざりけり

「心の俳句なのか、それ」
「うん、かなり自由律だけど」
 いまや僕には山頭火や放哉を議論する余裕はなくなっていた。切り出してみる。
「女湯ってあんなふうなんだ」
「女湯と、女湯に入っている三十路の女性、どっちに興味があるのかなあ?」
 せっかちはすぐに見透かされた。急に彼女は立ち上がり、布団の横で丸まっている浴衣を手に取る。下着は床に残った。後ろを向いて羽織ったが、明らかに僕に見られることを意識しているようだ。僕は彼女のラインを正確にトレースした。帯を締め終えた後、彼女は涼しい顔で言う。
「真夜中だったら女湯に一緒に入っててもばれないって」
 不意に彼女は残っていたスポーツ飲料を持ち上げ、僕に横顔を見せつつ障子を背景に姿勢よく立ち、斜め上を向き一気にそれを傾け、そして飲み干した。
 先程のあの姿態とは違う健康的な雰囲気にめまいを覚える。彼女は僕に問う。
「どう、カンジ出てた?」
「出てたんだ、CMに」
「この会社じゃないけどね」
 彼女は缶を指差しながら少し照れたように微笑んだ。



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