第103期 #11
蝙蝠は今日も、ゆるい笑みを浮かべた紙袋を被っていた。一人きりで教室を出る。下駄箱にあるはずの靴はゴミ箱から見つかった。
下校途中、猿と猪に捕まって人気のない公園に連れ込まれた。砂場に突き飛ばされ腹を殴られ尻を蹴られ頭を踏まれる。猪の膝に顔面を打たれて鼻血が噴き出し、紙袋に描かれた口が赤く染まった。猿が財布を奪って中の札を抜く。二人は笑いながら公園を後にした。
声が遠ざかるのを待って蝙蝠は弱弱しく立ち上がった。制服についた砂を払い、水飲み場で手と口元を洗う。血の染みを隠しながら二人とは逆方向へ歩く。
廃工場の裏手の扉を静かに開ける。足を踏み入れると、埃っぽい空気と淡い闇が蝙蝠を包んだ。
「お月さん?」
奥から様子を窺うように小さな声が響く。ベルトコンベアや錆びた箱の向こうでひよどりが床に腰を下ろしていた。蝙蝠の姿を見て息をのむ。
「血が」
蝙蝠は壁に身を預け座り込んだ。
「ただの鼻血です」
「袋とるよ」
紙袋を持ち上げると、左目のまわりを丸く型抜きされたような三日月形の頭が現れた。
ひよどりはバッグからタオルを取り出し、蝙蝠の鼻や頬にこびりついた血と砂を拭った。汚れを落とし終えると、えぐれた部分の縁を指で優しく撫で、断面を覆うつるりとした肌に触れる。それから横に置いた紙袋を見やり「ホラーね」と苦笑した。
「そのまま帰る?」
「無理ですよ」蝙蝠の右目が睨みつける。「ひよどりさんだって見られたくないでしょ?」
するとひよどりは寂しげに蝙蝠を見つめ、シャツの左胸に手を当てて微笑んだ。
「私のはここに空いてるの。見る?」
蝙蝠はぽかんと口を開けたあと、真っ赤になって顔を背けた。ひよどりがくすくす笑う。
「冗談よ」
蝙蝠は家に帰ると真っ先に自分の部屋へ向かい、汚れた紙袋を外して捨てた。
椅子に腰掛けて勉強机の抽斗を開ける。中ではタオルにくるまれた女性の乳房が一つ、ゆっくり上下していた。そっと持ち上げて机の上に置く。白い皮膚の下に桃色の肉が覗き、奥で心臓が脈打っている。
ひよどりさんの左胸だろうか。
蝙蝠は胸に右耳を当てて目を閉じた。瞼の裏で心臓の鼓動が雫になって落ち、水面に波紋を描き出す。波に身を委ねながら自分の穴のことを思う。僕の左目も誰かに拾われているかもしれない。それがひよどりさんだったらいいのに。
「飯だぞ」と父親の声がした。蝙蝠は返事をすると胸を大切に仕舞い、電気を消して部屋を出た。