第103期 #10

卓上の高級猫缶

 バイト終わりの帰り道、ひどく足取りの重い野良猫と遭遇した。
 街灯の下、よくよく見れば怪我をしている様子はない。その痩せこけた風貌から察するに、空腹なのだろう。生気乏しい後ろ姿は、金欠病の己を彷彿とさせる。しかし猫は俺と違い、食塩で飢えを凌げない。きりきり痛む腹を抱えて、夜道をさまようしかないのだ。可哀想ではないか。
 俺は猫を抱えて下宿を目指した。もちろん下宿は犬猫出入り禁止であるが、この際気にしてはならない。命の重みと比べること自体が愚かしい。俺は大家の恐怖から逃れるため、強がりを並べた。
 幸運なことに誰にも鉢合わず、住まう一室に到着。適当に四肢を拭いた猫を、六畳一間に放つ。拘りが無い故に小綺麗な部屋を、猫は緩慢な動きで見渡していた。しかし目の前に牛乳の注がれた皿を置いてやると、興味は簡単に移る。猫は顔面から皿に飛び込み、牛乳をうまうまと舐める。瞬く間にそれは飲み干された。
 次に猫をバスルームに運ぶのは必然だった。牛乳化粧のまま、ごろごろされたのではたまらない。しかしシャワーの素晴らしさを理解出来ない猫は、狭い浴槽の中をピンボールの如く跳ね回った。おそらく隣人は首をかしげたことだろう。
 自身の空腹に気付いたのは最後だった。あれほど落ち着きのなかった猫は今、何故かテレビ番組に夢中である。ともかく俺は好機に乗じて、近所のコンビニへ出かけた。
 コンビニでは速やかに目的の弁当を購入すると決めていた。猫缶を発見するまでは。
 貧乏人と言えど、新しい家族を安い牛乳で迎えるなど言語道断。ご馳走を用意してこそ、良識ある日本人だ。となると、同じ猫缶でも良い物を選ばなくてはならない。とりあえず高価な物を買うとした。
 程なくして、安い弁当と高い猫缶を持って帰宅。扉を開くと六畳一間から、猫がこちらに駆けてくる。そう言えば、まだ名前を決めていない。いつまでも、猫猫と他人行儀ではよろしくないだろう。
 そうして差し出した右手は空を切り、猫はするりと股下を抜けた。扉の揺れる音がして、慌てて振り返る。しかし俺が目に出来たのは、猫のしっぽが茂みに消える一瞬だけだった。
 一連の潔さから何もしてくれるなと受け取った俺は、卓上でコンビニ弁当を開いた。濃厚な惣菜を咀嚼して思う。
 俺は本当に猫を救う気で連れてきたのか。自分が侘しい生活から救われたいだけではなかったか。
 もちろん、卓上の高級猫缶は答えてくれない。



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