第100期 #10

うたかた

 冬の朝のように張り詰めた暗黒に、それだけ生白い幼い両腕が伸びていて、影でしかないわたしはその子を胸に抱き上げた。目を覚ますと、夢の中の子が、わたしの胸の上で深い眠りに落ちていた。
 預ける当ても思いつかないまま出社の支度を終え、寝室を覗くと、その子は十三歳くらいの男の子に化けていた。息をするのがやっとのわたしに彼は、夕方には消えるのでどうかそっとしておいて欲しい、と澄んだ声で言った。
 昼過ぎにはわたしより年長になっていた。裸なので服を買い与え、昼食には外に連れ出した。
「あなた何者なの」
「うたかたですよ」
「消えるんだ。あぶくみたいに」
「はい」
 彼はよく食べ、わたしの目の前で老いていった。そして夕方を迎える頃には、わたしの父親ほどの姿に変わっていた。消える瞬間は見せられないと言われた。
「そういうのって下品ですよ」
 日没前に、彼は玄関から出て行った。名前を聞くのを忘れた。
 それで終わりではなくて、またあの夢を見た。するとまた子供を抱いて目が覚めた。一年以上経っていたけれど、その子は前回のわたしとの会話を記憶していた。その日は仕事を休めなかったので、帰宅する頃には消えてしまっていた。
 その後も、早ければ一週間、遅い場合でも八ヵ月の間隔でそれは起こった。友達や男性とどこかへ泊まる時には一睡もできなくなった。やがて、夫となる人に、この事を打ち明けた。目の当たりにしても彼は怯まなかったが、わたしとあの子に彼の知らない過去があるのを気にしているふうだった。
 子供が生まれて、それどころではないのに、夢の中のわたしは相変わらず生白いあの手を掴んでしまう。三人の子供が独立し、孫が七人生まれても、それは変わらなかった。
「うたかたさん。あなたは何者なの」
 ある日、息子くらいの彼をお昼に誘い出して、わたしは尋ねてみた。
「うたかたですよ」
「消えるところが見てみたいわ。下品って思われるだろうけど」
 そうですよ、いけません、と言われるものと思っていたら、彼は珍しく考え込んでいるようだった。
「そうですね……あなたが日没とともに死ぬのであれば、僕もご一緒しますよ」
 息が止まるかと思った。そしてひどく傷ついた気がして、わたしは怒って帰ってしまった。以来、あの夢を見ることはなくなってしまった。どんなに望んでも叶わなかった。
 夫が死に、わたしもいよいよというその時、彼がいなくて、わたしは寂しくて堪らなかった。



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