第10期 #4

エレベーター

 いまでは忘れられた計画について。
 歴史上のあらゆる思想や方法論がそうであったように、この計画も科学者達の害のない想像と好奇心から始まった。

 ちょっとした実験が、小さな研究室で行われた。箱が置かれた。研究室全体を覆うような、大きな箱だ。扉が一つ、なかは真っ白。箱のなかにある照明のせいで、あまりにも明るく、こっちの壁からあっちの壁までの距離もよくわからない。とにかく真っ白だ。
 そこに、弦の切れたギターを置いた。白い箱の真ん中に。
 美しかった。
 科学者たちは仮説どおりの結果に喜んだ。これで他のものでも成功する可能性がでてきた。続けて臓物、乾いた馬糞の順に置かれた。
 やはり美しかった。箱のなかでは、どんなものでも美しく見えた。
 数ヶ月の後、人体実験に進んだ。まずは赤ん坊。次に成人病の男性。最後の被験者は酔っ払いだ。酒壜を持たせるかで意見が割れたが、結局持たせることにした。壜を持ってこそ「酔っ払い」だっていうのが理由だったが、このころには皆相当に自信をもっていたんだろう。
 そしてその通り、きれいだった。美しかった。

 研究の結果がどこかに報告された。
 すると意外なところから命令が下り、海沿いのホテルで、ある計画のための予備実験が行われることになった。

 その日、酒と薬に汚れたロックスターは急いでいた。早く部屋に戻りたかったからだ。
 エレベーターの扉が開くと、中は真っ白だった。なにもない。階数表示も。でも疲れていた。記録にあるとおり、彼は疲れていた。だから文句は言わずに乗り込んだ。エレベーターは降りていった。最上階のスウィートルームからどんどん遠ざかる。下りの途中で一度開き、一人の女性を乗せた。
 その狭い真っ白な箱の中で実験結果を支持する事実が確認された。
 降りて行くってときに、天にも昇る気持ち、記録にはそう書いてある。

 この理論はその後あらゆる分野に応用され、より大きな計画に取り込まれた。計画は詭弁的に対象を拡げ、さまざまなものを損なった。ある時には他の国で人を殺した。そして最後の侵略が失敗に終わったとき、計画と一緒に、この理論も葬られた。
 敗れ去ったものに関わるものすべてが否定されるのは歴史の教えるところである。計画の中核である白い箱の持つ力は、今では語られることすらない。
 しかし、忘れてしまうのは、あまりにも惜しい。それはただの美しさだったのだから。



Copyright © 2003 林徳鎬 / 編集: 短編