第10期 #3
洋子は、腐ったご飯か腐りかけのご飯以外、食べたことがなかった。
母がご飯を炊くのは一日に夜一度だけ。炊きたてのご飯は湯気の上がっている炊飯器の中から、まず父の縞模様の茶碗、次に兄の青い茶碗、母の花柄の茶碗へと順に盛られていく。そこで母の手は決まって一度止まり、残りご飯を入れるための専用のアルミの小鍋に移る。そして、これも残りご飯専用の古いしゃもじで、冷えたご飯が洋子の幼い頃から使い続けている小さな幼児用の茶碗に盛られるのだ。
朝は、前夜に炊いたご飯がジャーに保温されているので、夜と同じ手順が繰り返される。母と二人きりの昼も同じだった。
冷えているだけならまだ良い。冷たくて硬くなっているだけのご飯なら食べるのには苦労しない。しかし、臭いがしたり粘ついたりするご飯を食べるのはつらかった。でも、今食べてしまわなければ、残したご飯は翌日の朝食に出る。そのときには臭いや粘つきはもっときつくなっている。それを食べることができなければ、また次の食事にそのご飯が出される。だから、洋子はなんとしても出されたご飯をその場で食べてしまいたかった。
梅干やふりかけでごまかしたり、味噌汁と一緒に飲み込んだり、洋子は子どもなりに色々な方法を考えて、腐りかけのご飯を食べた。鍋に入っている分のご飯さえ食べてしまえば、自分も炊きたてのご飯を食べることができるのだと無理に自分をだまし、ご飯を飲み込んだ。しかし、炊いてから一日過ぎたご飯は、洋子の食べる分としてアルミの小鍋に移される。残りご飯は、食べても食べてもなくなることは決してないのだった。
食事中にはテレビは消され、一切の会話は禁止されていた。うっかり食器が触れ合う音を立てたり、正座に疲れて姿勢をくずしたりすると、母の平手が容赦なく頭や顔に飛んでくる。
洋子にとって食事とは、強い緊張感を伴う儀式でしかなかった。
小学校に上がって初めて給食を食べたときは、その美味しさに驚いた。そして、洋子にとっては豪華なご馳走としか思えないその給食に、他の生徒が文句を言ったり残したりするのを見て、もっと驚いた。
腐りかけのご飯を食べるつらい儀式はその後もずっと続いたが、高校を卒業し、家を出てからは、洋子はどんなに生活が苦しいときでも、ご飯だけは毎食必ず炊きたてを食べることにしている。
ほんの少しでも古いご飯は、胃が受け付けない体質になってしまったのだ。