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〉で、まあ砕いて言うならば「身内投票でもいいから、せめて考えて書けよ」ってことです。少なくとも推す作品が、他作品と比べてどう優れているのかを書かなければ、「決勝投票」というシステムが何の意味も為さない。「他作品に言及しない」という方法をとることは、「他作品に比べて優れた点を提示しない」つまり「再吟味しない」ことであって、それでは「決勝投票」が何の意味も為さないと、ぼくは思うわけです。

こういう考えを持っている人がいるとは思っていなかったので、正直驚きました。
投票以外の感想を書くつもりはなかったのですが、「言葉に触れるということは、それが正しく伝わるかわからない緊張感」というやつに私も触発されたので、今期のKさん「影踏み」の感想を書かせてもらいます。これからも小説を書きつづけてください。そして今期のような投票あるいは感想が読めれば、読者のひとりとして、さらに短編が楽しみになります。ちなみに、私は過去作品も読んだことがありますが、正直なところ、今の「短編」の方が好きなひとりです。多様性があるから。



「影踏み」感想

寓話として読むと、この話はとても面白い。

本当は他人の「影」など踏みたくない主人公のぼくが、クラスメートたちから参加するべく圧力をかけられ、いやいやながらオニとなって、その踏みたくない「影」をふむ。すると、今度は自分が踏まれるのを遁れるために、オニから逃げ続けなければならない。本当はこんなことに係わり合いになりたくないのにもかかわらず、永遠に逃げたり追いかけたりしなければいけないことに、主人公のぼくは「気を失ってしまえばいい」と思う。

この話から私が連想するのは、日本で少数者として生きることの哀しさみたいなものだろうか。稼ぐために望まぬ行為に身を染める、というだけではなくて、すでに多数決の論理、常識という名の圧力、は少年時代から始まっているのだ、ということを私は読み取った。

しかし私が「投票」しなかったのは、この話が、少数者の哀しみを、ただ哀しみとしてしか描写していない、という点で不満を覚えたからである。
もしもこれが教訓話ではなく「小説」であるならば、この少年の物の見方(影踏みなんて、他人の影なんて、踏みたくない、でもそれを拒否できない、だから気絶したい)だけが正しいわけではない――少年には「悪の行為」にすら思える影踏みや、集団に馴染むことのなかにも、ひょっとしたら希望が生れるかもしれない、というような、微かな視野の広がりの可能性を、作者はこの少年主人公に与えてもよかったのではないか? と思った。

そうでなければ、この小説は、ある少数者が集団と馴染まない、そう、それが日本ってものなんだ、という諦めのみしか読者に提示してくれないものとなってしまう。一部の読者との、弱さの共感のみでおしまいになるとしたら、少しさびしくないか? この小説に視野の広がりがほしい。

しかし、力量の点では今回参加の作家たちを圧倒するものがある。この作品には少年たちが5人も登場し、それぞれの性格がセリフの中に端的に描かれている。その点はすばらしい。


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