わたしは、あなたが何を言わんとしているのか理解できている自信がありません。
〉 おもしろい話題、いいですね。
〉
〉
〉 わたしとしては、署ルまえた、より、短編材料、、のほうが
〉
〉 切実で触れるような感想です。
そうですか。
〉 評価は、技術では「短編」のほうが読ませてしまう? ように感じます。
そうですか。
「技術」で言えば『短編』の方が大した技術は使っていないように感じます。
読ませようとする気概も感じられませんでした。
〉 署ルまえた>もの<が、SFや、魔法の使い方のような、ファンタジー、
〉
〉 あるいは、謎解きなら、ミステリーの種明かし。 ……と、いったような、 ……構造になっている。
〉
〉 ように感じます。そういった仕掛けがないのですから今回の「短編」は、どこか、卓越してるいい作品じゃないでしょうか?
「仕掛けがないのがいい作品」だとあなたが思うなら、あなたにとって『短編』は「いい作品」なのでしょうね。
〉 「短編」をジャンル分け、あるいは構造で説明するとどこに入るんでしょうか?
〉
〉 私、という書き方は、太宰のような私小説でしょうか? それとも、
〉 同人誌ネタの、書き方指導、小説でしょうか?
〉
〉
〉
〉 どのように、分類あるいは、構造を説明なさいますか?
いやだから「メタ小説」って書いたじゃないですか。なんなんですか。
せっかく返信をいただいたのですが、なんかぜんぜん意味わかんなくてつらいので、以下、両者を比べた感想を書いてみました。
『小説を掴まえた』は、小説の真理を掴まえたにも関わらずそれを体現することができないという二律背反を描きつつ、その大筋よりも、文体の妙で読ませるという作品。小難しく、回りくどい表現を多用することで、物語自体のメタフィクションとしての構造と相まって、「小説の真理」などといううさんくさいものを、どこまで本気なんだか、という感じで、見事に読者を煙に巻きながらからめとっていく。
『短編』は、なんだか無駄な文章が多い。『ほんの、4作品で、どれも予選落ちでしたけど。』なんていう文章は、『私』の自己紹介として付け加えたのかもしれないけれど、別に、そんなこと、どうでもいい。「4作品投稿して、付いた票がたったの2つ」でもいいし、「たった一度だけ優勝したことがあって」と嘘をついたっていいのに、どうしてその表現、その文章にしたのか、必然性が感じられなくて、読んでいても「どうでもいい」としか思えないのだ。