仮掲示板

Re:81期感想(希望者のみ)


〉・読者の一人としての感想に徹したいのでHNは1002でいきます。よろしく。
〉・感想希望の反応を(直接・間接的に)この掲示板で確認した方のみ書きます。
〉・感想の基準は読み手である私が読んできた本や体験になってしまうと思います。
〉・問題がなければ感想希望された方の作品感想を継続的に書いていくつもりです。
〉・「短編」掲示板へは平日のみの投稿となります。
〉・感想への返信等はとくにのぞんでいません。
〉・よろしくお願いします。

〉ーーーーーーーーーーーーーー

〉●

〉のい「恐怖」(81期)感想

〉 かつて両親のセックスを目撃したことがトラウマになっていた女性が、いつしか自分も娘を出産することになって(この子も私と同じようにセックスを汚らしいと思うんだろうか……)と感慨にふける話だと読みました。

〉 話そのものは結構深いテーマだと思います。みたくない親のセックスをみてしまうと、それがトラウマになって人間が獣に思えてしまう、という気持ちはわかるし、それが女だったらなおさらそうかもしれない。ただ、この作品は、作者の文体がちょっとポルノっぽい気がします。

〉具体的には

〉「耳を塞いでも聞こえる女の喘ぎ声、獣のような男の息遣い…あれは私の母と父」
〉「母の手は父の男根を握り」
〉「いつも私を撫でてくれる父の手は母の乳房へ」
〉「快楽を貪っていた」
〉「パジャマをぐっしょりと濡らし」
〉「母に隠された獣のような裏の顔」
〉「母が私のパジャマを脱がせようとボタンに手をのばしてきた」
〉「指に力が入らず結局は母に脱がされた」
〉「あ゛ぁー…んあぁーう゛ぁー」

〉……たくさん抜き出しましたが、そう、たくさんありすぎるんです。たった1000字のなかで、これだけポルノ的な語彙がでてくると、ずばり作者は「母が父の男根を握る」シーンを書きたかったのではないか、と思えてならなくなってきます。そうすると、これはまた別の視点で、つまり、「ポルノとして」読み直すことになります。

〉ポルノとして読むと、獣のような、男根、ぐっしょりと、裏の顔、といった言葉が直接的すぎて、それはそれでこっちの妄想を広げてくれない。たとえば私はホルモン焼きやモツ鍋が好きなんですが、そして、男だけでなく女性にも人気がある料理だと思いますが、それは最近のモツ鍋屋の内装や広告がモツのイメージを変えたことと関係があると思います。もしも、モツ鍋屋の看板に、生きた豚の内臓の写真が載っていたり、「その場で豚を解体する生モツ・デー」というイベントなどをやったとしたら、今のブームは終ってしまうんじゃないでしょうか。

〉モツやホルモンにはコラーゲンがたっぷり、美容にいい、味もおいしい、とモツの臭いイメージをぬぐって、おいしいところを強調するからこそ、ブームにもなります。そして、皆、じゃあモツを食べるとき何も思わないかというと、やはり、心のどこかでモツが内臓であることを意識したりして、モツを恋人ではない女と食べたりすると、やはり隠そうとしても隠しきれないある種の気分がでてくるんじゃないでしょうか。デートで女が焼肉を食べたいというのは……とか。

〉ポルノだって同じように思う。男根、ぐっしょり……とかかれて興奮してしまうほど、うぶな読者も少ない気がするし、なんとなくひいてしまう。そこはわざと隠すところだと思いました。抜書きした上記の箇所を削って、そういう言葉をつかわずに、書いてみるのはどうでしょうか。

〉ちょっと興味がわいたんで、自分も書いてみました。設定は同じで、主人公は女です。

〉「両親の寝室から聴こえるクラシックがうるさくて眠れない。一言いってやろうとノックもせずにドアをあけると、部屋から溶けたバターのような匂いがした。こっちをみた二人の目は猫のようだった。私は気持ちが悪くなって、すぐに自室にもどった。何かいってよ、と思った。今みたのを忘れようとしたけど、忘れられないかわりに汗がどんどんでてくる。大人は不潔だと思った。私はそのまま眠りにおちたみたいで、やがてまとわりつく汗が気持ち悪くて目が覚めた。母親がそばに立っている。母は黙ったまま私をみているようだった。手にパジャマの着替えを持っていた。「わたしお母さんのこと嫌いになるかもしれないよ」となげやりに口にした。母は起き上がった私の隣に座って「お父さんのこと、好きなの」といった。外はまだ薄暗く、夜明け前だった。私は母のとなりで、新しいパジャマに着替えた。母は不潔ではなかったと思った。でも私は何と言えばいいのかわからなくてやっぱり泣いてしまったので、パジャマがまたぬれてしまった。母は笑いながら私を抱きしめてくれたが、いつもの母だった。やっぱり母も父も不潔ではない、ともう一度自分に言い聞かせていると急におなかがすいてきたのだった。」


のいです。感想有難うございました。実はこれは私の実話です…9年まえ、私がまだ小学二年のときの話しです、幼稚園のときにも見たのですが何をしているのかまだ解らなかったので。感想を読んだとき、ポルノ小説だと言われていたので…一瞬凹みましたorz、ですが書き直して下さった小説を読んで、私が伝えたかったのは「こっち」だなって思いました、これから私に良い小説が書けるか分かりませんが、続けていこうと思います。お目汚し失礼しました。

全感想賛成・のいさんへ・81期感想(希望者のみ)2

■読者の一人としての感想に徹したいのでHNは1002でいきます。よろしく。
■「短編」掲示板へは平日のみの投稿となります。返信は遅くなるかもしれません。


・感想について
・のいさんへの返信
・81期感想を希望された方へ
・81期感想その2(アンドッドさん、石川さん)


・感想について

 私は基本的に笹帽子さんの提唱する「全感想は早ければ早いほどいい」に賛成です。読者の一人として「全感想」くらい毎月楽しみなものはありません。投票の基準にもしますし、読解の手助けにもしてます。そして、わらさんや壱倉さんが書かれているように「現状を変える必要はない」と思っています。

 ただ、私の「短編」についての基本スタイルは「○○は<みんな、絶対に、一律に>こうすべきだ」という、あるひとつの意見を、たとえそれがいかに正しかったとしても、全員にあてはめようとする考えには、基本的に同意できないです。

 なので、「全感想はあるべきだ」という考えと「感想は書かれたくない」という希望の、両方のいいところのみを私は支持します。つまり、「感想書かれたくないという意見が私はわかるから、私の書く感想は希望者のみに限るけれども、すべての人がそのようにしろ、という意見ではない。やはり投稿するかぎり作品は作者の手を離れるべきだとも思う。だから全感想を支持する気持ちは変わらないが、しつこいが、気持ちはわかるから私は嫌だという作者に感想は書かない。ただし、この私のスタイルは私固有のものであって、これを誰にも押し付けるつもりはない」というものです。白黒つけずに灰色ですいません。

 作者と読者はどちらが上か、という議論もこの考え方でいくと、作者はときには読者より上であってもよく、一方で読者が優位であるときもある。つまりは、波のようにひいたりおしたりしながら、うまくバランスを保っている関係だと思います。ま、都合よすぎですかね。


・のいさんへ(81期のい「恐怖」へのコメント返信)

のいさん、感想への感想ありがとうございます。あの感想は、素人の、アマチュア感想にすぎません。「私が書きたかったところを1002は全然読めていない」と思われたってかまわないわけです。「なにがポルノ小説だ」と反論なさってもかまわないわけです。感想の優れた点は、私とあなたが対等であることです。(ここからは笹帽子さんへのあてつけではないですからね、いちおうネットは誤解されやすいから……)たとえば「編集者と作家希望」の立場であった場合、「感想」といってもそれはどうしても編集者(文章のプロ)という力関係が発生してしまい、素人作家は、たとえ自分が編集者の「感想」に不満を持ったとしても、それを反論できない。反論したところで、

「私は今まで2000人の作家の文章をてがけてきました」

の一言で、素人作家は完全に自分が間違ってしまうように思わされてしまう。村上春樹だったか「やりにくい編集者は作家より文章がうまい編集者です」と書いていたと思うけど、力関係が生じると育つ人も育たない場合がある。

もちろん、一応誤解されないようフォローしておきますが、ある程度の文章力や創作態度が確立し、作家として自立した人にとっての編集者は、有能な秘書のようなものにちがいなく、その編集者とのやりとりでいい小説がうまれることは間違いないはずなので、編集者が悪いというわけではありません(前に「ある読者」あてにそんなこと書いたかもしれませんが、あれは私のコンプレックスによる強がりと読んでください)。

も一つ、逆に「素人の感想なんて意味ない、編集者の感想を素直にきくべきだ」という考えには私は疑問があって、素人の感想には素人なりの「スレていない実感」というものがたしかにあるはずで、文章なれした編集者の視線とはちがう<この小説はぼくの生活とどう結びついているのか>という自分の生活と結びつけて読む読み方からうまれる生きた感想、というのがやっぱりあると思う。編集者も作家も机の上で本ばかり読んで、文字の世界にいつでも遊びにいける人たちが感想を言うのと、ふだん小説なんて月に1冊読むかという人(小説なんかより楽しいことがいっぱいある!)の感想は違うはずだと思います。なので、素人の感想には、言葉が足りなくても実感のこもった感想というのがあるはずです。(そういう意味で私の感想はエセっぽくて実感がないかもしれないが……)

話を戻しますと、読者の一人としてのHN「1002」の私と、素人作家「のい」さんの間には権力関係はありません。私の感想に意見をいってくれると、「感想」といいながら創作の場のひとつとしてとらえている私にはとても役にたちます。

それからかくいう私の現在の課題は「1000字」ではなく20000字以上の小説です。なので、私の場合は短編でのバトル(というと大袈裟か)よりも、こういう感想を通じて、自分では思いつかないアイデアがどのように生まれ、どのように発展可能か、という小説を通じた細部のやりとりのほうがよほど役立っています。なので、のいさんの「両親のセックス」というテーマは、それまで私は考えたことがなかったので、このことについて「感想」を書き、交流できることで役立つことがありました。勝手に書き換えているのは自分メモみたいなところです。この書き換えに不満を覚え、さらに書き換えられるのもアリだし、「そうかこのアイデアがあったか」と奪うところはうばって、相互に、それこそさっきの波のたとえじゃないですけれども、互いがひいたりおしたりしながら二人ともうまくなれればいいのでは、と思います。

いただいた返信に具体的な返事をかくと「ポルノ的」というのは、必ずしも悪い表現のつもりではありませんでした。動画や写真など、どんなエロいシーンでも見られるようになった現代では、文章だけで読み手を悶絶させるポルノの文化的価値はかつてないほど高まっていくと思います。私は気分がのらないときは「官能小説用語表現辞典」(ちくま文庫)を開き、書き写したりしてますが、これはおもしろいですよ。

でも、この作品「恐怖」は、ポルノにしてしまうにはテーマが素晴しすぎるので、ポルノ的部分はカットした方がよいと、やはり今も私は思います。セックスを気持ちわるいと思うのは、誰もが一度くらい感じることかもしれないし、そしてそれがたんに快楽としてではなくて、「好きな相手とする」という時の、いわゆる「愛情」が加わったときのソレが、快楽以上のものであってけっして気持ちわるいものではない、ということを、娘に伝えたい母親、という話は、本来1000字で収める内容ではなくて、もっとふくらませていいはずです。自信をもって、卑下するのではなく私を「短編」の友人の一人として対等に思ってコメントを読んでくれれば、書いたこちらもうれしいです。


・81期感想を希望された方へ

感想を(直接間接)希望された方に書きます、と書いたのですが、ちょっと「間接」はわかりにくく、尚かつすべての掲示板記事をチェックできないかもしれないので、HN「1002」あてに希望してくれた方のみの感想となります。そのかわり、当初は「感想への感想はのぞみません」と書いたのですが、ここを変更し、「感想への感想をつよく希望します」に変更します。

また、今期希望された方は82期以降もやりとりできればと思ってますが、いろいろ検討した結果、私の感想は感想というより、内容の変更を提案したりだとか独自の書き換えをしたりしますので、次期は予選結果終了後に「感想」を掲示板に載せたいと思います。皆が予選を終えて、作品そのものの影が少し薄くなりはじめたころに、その作品に興味を持つ数人のみが作品をめぐって深い対話ができれば、なんとなく深夜番組っぽくていいな、と思ってます。また、全感想が最初に書かれて場に華やぎがうまれ「短編」が盛り上がっていくことと、私の感想は相互補完的であると思っているので、しつこいですが、全感想はすばらしいです。

よろしく。

ついでですが、「昔書いたこの作品は一票も入らなかったのだが、あなたはどう読むかききたい」という要望があれば、それを読み、そして私は私なりの解釈で再度希望のかたに感想をだしたいと思います。それもまた力関係があるわけではないので(感想書きがえらいとかどうとか……)えんりょなく。まあ、社交辞令という程度のあいさつくらいしてくれれば私もきちんと敬意をはらいます。


・81期感想その2(アンドッドさん、石川さん)

○アンデッド「タマネギ」(81期)感想

読みやすくてわかりやすい文章だと思いました。

< 見ると奇妙な生物が立っていた。白い肌の子供みたいな風貌で、腹と頭部が異常に肥大している。口はなく、目が大きい。
 後頭部の半分は機械で中の空洞が見えていた。>

こういう箇所など、読んでいて映画をみているように想像できます。作者の思い描いてるものと、読み手の私の思い描く図が一致するかのようで、なにか読んでいてホッとするものがある。こういう。描写の安心感の積み重ねが作者への信頼感につながって、たとえばこれが1000字よりずっと長いものであっても、読み通したいという動機となります。

でも、物語は、私はあまり楽しめなかったです。機械が人間の脳を育てる、というテーマのようなものは、とくに作者が「これは面白そうだ、これを書きたい」と思いついたというよりも、たとえば映画マトリックスの影響だったり、なにかで受けた刺激を転化したもののようにしか思えなかったところがあります。

1自分が何かわからない
2ここはどこだろう
3機械がでてきた
4あ、ぼくは機械のためにつくられてる人間の脳だったんだ!

という展開に独自性を感じず、やはり、かりもののイメージをみてしまいました。

「『収穫ノ時』」

と機械がしゃべる部分以降、今まで誰も考えていなかったような予想外の展開へと話をもっていくのだったらどうでしょうか。1234と順番にすすむのではなく、12aDみたいな飛躍があると、私は個人的に面白いと思いました。アンデッドさんは描写が感傷的に流されないのでそのしっかりした文章で混沌ななにかを描くとか。

(しかし、それとは別に 

 私は自分の脳を育んだ青き故郷を眺めた。
 遠ざかる美しい母に別れを告げる。
 私の目から一滴だけ涙が零れた。

 というラストの文章はなんだかいいですね)


私ならば、「機械が脳を育てている」というところを変えるだろうと思います。



「君ハたまねぎになりたいと志望した元・ニンゲンだ。忘れたか」
「覚えていない。私は今たまねぎなのか?」
「どうヤラ玉ねぎ脳が変換中に故障してシマツタようだナ」

機械はそういって、私に触れたようだった。触れたようだった? たしかに触れていると思うのだが確信がもてない。自分の肌であって肌でない気がする……と思っていると、あきらかにツルンと肌のようなものが剥けていく感覚が全身を貫いて、その瞬間に私はすべてを忘れてしまうかのような恍惚感に包まれていた。

「ドウダ」
「気持ちがいい」
「たまねぎの快感というヤツダ。これはニンゲンの雄の五億倍、雌の五十倍の快楽の波が君を襲うモノダ。君はカツテニンゲンのオスであつた。ニンゲンはロボットほど強くなく、環境に支配された奴隷的生物だと嘆いて、ココへきた。タマネギになりたいと言ったのだよ」

 話を聴いているうち、私は意識がなくなってきていた。私は皮を剥かれたことで、どうやらようやく本当にタマネギとなっていくようだった。剥かれるたびに女の五十倍、男の五億倍! ならばタマネギとして剥かれ終るまで恍惚を味わおうではないか。さらば俗世間、さらばニンゲン、さらば会社よ、さらば、さらば、さらば!




○石川楡井 『脳を漬ける』 (81期)感想


石川さんの作品は今期のアンデッドさんの作品によく似ていると思いました。文章の硬質性について私はアンデッドさんの文体を好みますが、石川さんの話の独自性は最高によかったです!

この作品は今期の投票候補でした。とくに下部までが良かった。


< 父ちゃんは僕の脳を糠床に入れ、丁寧に糠と揉み込みながら容器に沈めた。
「ようく漬かれ、ようく漬かれ」
 僕は夢を見ているような心地だった。糠床の海で泳ぐ夢。脳は離れているのに、そんな光景が瞼の奥に広がる。母ちゃんが糠床の蓋を閉めて、台所に持って行った。僕は自分の脳の寝床を見る為、着いていく。
「タク坊もお願いするのよ。ようく漬かれ、ようく漬かれって」>


……個人的に残念でならないのは、ここから話にオチをつけようと持っていったところです。まず、小蝿が数匹とんできた、というのがどこか生々しくて作品として、ここのところまで維持していた(と思った)ユーモア小説の雰囲気が、とたんに生々しくなってきた。

最後の「じっちゃんの脳じゃねえか」とオチを持ってくるのは、賛否両論ありそうなところだと思うんですが(というと感想は全部そうですが)、じっちゃんの脳だった、という展開は駄洒落のような笑いになってしまって、余韻が残りません。

ふと思ったんですが、「タク坊もお願いするのよ」からの下の部分は削りとってしまって、せっかくさっきまで主人公が「僕は夢を見ているような心地だった。糠床の海で泳ぐ夢。脳は離れているのに、そんな光景が瞼の奥に広がる。」と、小説的独白を始めていたんだから、これを続ければよかったんじゃないでしょうか。

前半、中盤と、「脳を漬ける」という独創的でユーモアな流れで、かなり読み手をひきつけているのだから、ここで小蝿やじいさんの脳、祖父が脳科学の論文をかきあげる、といった優等生なユウモア展開に突き進むよりも、ここから話の流れをまったく変えてしまう「だいどんでんがえし」を期待したい、と思いました。



僕は夢を見ているような心地だった。糠床の海で泳ぐ夢。脳は離れているのに、そんな光景が瞼の奥に広がる。母ちゃんが糠床の蓋を閉めて、台所に持って行った。僕は自分の脳の寝床を見る為、着いていく。

 脳が漬かっている一晩のあいだ、サボテンのように全身が刺となって、身体から柔らかさや水分が抜けきったみたいだった。眠りたいのに、いつまでも眠ることもできなかった。誰なんだろう、僕は。今考えている僕は誰なんだろう。脳は漬けられてるのに、僕はここにいる。

「ようがんばっとるな」

ぼけてるはずのじっちゃんの声を感じる。なぜじっちゃんの声だけ?

「タク坊おきんさい」

翌朝、父ちゃんに起されて目が覚めた。

「脳どうなった?」

心配で聞いてみると「は?」と返事。「母ちゃん、僕の脳は?」と聞いても母ちゃんまで相手にしてくれない。じいちゃんだけが僕の頭を大きな手でゆっくりと撫でてくれたのだった。

僕は頭がおかしい子と思われたけど、きっと父ちゃんも母ちゃんも隠しているんだと僕は信じている。僕は、味噌につけられた脳を持った子供なんだ。

Re:全感想賛成・のいさんへ・81期感想(希望者のみ)2

掲示板を単なる自作解説という無粋なことに使ってしまうことをどうかお許しください。


1002さん、感想ありがとうございました。独自のラストまでこしらえていただき感無量です。

やはり感想は偏るものですね。笹帽子さんにも同じことを言われましたね(多分)。


実は自分も気に入ってないのですよ(笑)
『脳を漬ける』は一年ほど前に書いたものですが、はじめてラストが2パターンとなってしまった作品です。
この作品は自分の思考/志向/嗜好から脱する目的で書いたものでして、その脱せた形がお読み頂いた『脳を漬ける』になります。
もう自分の中では取捨選択が決まっておりましたので、アナザーラストのものを選んでいたら皆様を満足させられたことが出来ていたかもしれません。


投票にも影響しなくなりましたので、詳しい解説を挙げました。
http://d.hatena.ne.jp/r0bot21th/20090701にて

興味のある方はご一読ください。

81期# 14&34 感想ふたたび

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■私の基本姿勢は→http://tanpen.jp/bbs/nbbs.cgi/temp/1032 に書いてます

○のいさん、石川さんへの返信

・のいさん

感想への感想ありがとうございます。

ご自身の作品について「気持ち悪さだけを残したかったからです」ということですが、参考になるかわかりませんが、今期の作品28「布団の黴」はお読みになったでしょうか? あれはおそらく「気持ち悪さだけを残したかった」作品にちがいないと思うのですが、どう読みました?

ちなみに私は「布団の黴」に投票しました。この作品は「気持ち悪さ」を描いているのに読んでいて気持ち悪くならないのです。それなのに主人公の気持ち悪さが伝わってくるのです。この作品の作者は本当に「布団」や「黴」のことが書きたかったんだろうか、と想像がひろがっていきます。「布団」は何かのアナロジーではないだろうか? 本当はもっと直接的に書きたい喪失感があるのに、あえて布団と黴にたとえたんではないだろうか? と、いくらでも深読みできる一方で、単純に布団の黴の話として読んでも、カフカ的な奥行きがある。だって、布団の干し方わからない主人公っておかしくないですか? なにかありそうじゃないですか?

のいさんが今後とも、過去の「状況」(自分ではどうにもできなかった事情)への復讐として「実話」を「気持ち悪さを残すために」かくことについては、私はとくに介入できません。でも、本当にのいさんが書きたかったことをあえて、もっと単純ななにかに象徴させることができれば、より多くの読者を獲得できるのでは? 黒田さんの感想にもあったように、原石となりうる素材だと思うので、ご自身のなかで大事に作品を育てられることだってありではないでしょうか。

生意気な感想ですが・・・・・・。あと、作品を批判することはあってもみんな人格を否定しているわけではないので、もしもそれを混同されるならば、実話を書くのはもうちょっと「耐性」ができてからでもよいのでは。


・石川さん

ブログの解説を読ませてもらいました。正直なところ、本音でいいますと、
石川さんは天才ではないかと思いましたよ、ほんとに。

これは後からつけたした理屈ですか? それとも最初にこのメモがあって、それをもとに方程式をかくように小説にしたんでしょうか? 作品よりもこのブログの解説がすばらしかった。なんか石川さんってニーチェみたいですね。

ニーチェは神(主人)と人間(奴隷)という当時の一般的な構図に不満を抱き、人間ではあっても自分が主人(超人)ということを言った人でもあって、論文じゃつまらないということで物語みたいな哲学書を書いていくわけですが、石川さんのもその路線でしょうか。

つまり、まだ私はちょっと理解できてないところがあるのですが、この話は「人間 対 脳」なんですよね? 脳が人間のなかの思考する「部分」にすぎないのか、それとも脳こそが外部の状況さえシャットアウトすれば独自に数十枚の論文を書くほどに洗練された思考をする、ということなのかという戦いなんですね?

それで石川さんは1000字でこの問題に答えをだせずに2パターンつくった、と。つまり、石川さん自身が「問い」はつくったけれども「答え」がうまく導けなかった、と。

それって哲学者なみですね。哲学は答えを出すことよりも、その過程と問いを後世に残すことがなによりだと思うので、このブログ解説を読んで作品を読むと、「なにやらすごいものを読んだ」という気持ちになりました。

・・・・・・ただ、哲学として面白くても小説として「設計図」どおりに書く書き方がいいのかは個人的には、よくわからないです。のいさんの作品感想の返事にもかいたんですが、今期の「布団の黴」のように、「本当は脳についてこれだけの考察をあらかじめ考えておきながら、結局小説には<ハンバーグとステーキの戦い>をかいた」というほうが、読み手には

(なぜハンバーグとステーキが戦うんだろう・・・・・・)

と独自に解釈するすきまができて楽しめる気がしますが、これこそ素人の感想の勝手なところでもあって、私もわかりません。次期も楽しみにしています。




Re:81期# 14&34 感想ふたたび

まさかニーチェと並べられるとは思いませんでした。恐れ多い(笑)
これはあくまでテーマでしかないんです。読者の皆様に伝わればそれに越したことはありませんが、伝わらなくてもひとつの物語として楽しめるそれが理想です。ですから、自分の解説抜きで、アイディアが奇抜であるとかただ単に面白いというような、物語としての感想を頂いても素直にうれしいんです。

ということで、返信をば。

連夜で自作解説に力を入れてしまいますが、今期ばかりは大目に見てください。
既出の解説とダブっている部分もありますが、そこも大目に見てください。



>これは後からつけたした理屈ですか? それとも最初にこのメモがあって、
>それをもとに方程式をかくように小説にしたんでしょうか?
確かに後付に見えるかもしれませんね。あえて否定はしません。ただ今思いついたわけではないですよ。自分の1000文字小説の創作方法は基本的に物語の軸となる発想とテーマを選んで、そこからリンクしそうな中継地点となるガジェットをつくることから始まります。
たとえば、本作ではまず最初に脳の保存と人間の無知というテーマがあって、その流れで保存方法に“漬ける”を思いつきました。では、“漬ける”という行為の意味合いは何だろうと考えて、“発酵”させることだと導きます。
では、“発酵”と人間の無知を繋げるにはどうすればいいか。
長期間漬け込まれた脳はどうなるのか、漬け込んでいる間の人間はどうしているのか、そもそも脳を取り出したときに“思考”はどうやって生まれるのかetc.を考えたときに、はじめて脳の“思考”≠人間の“思考”という式が生まれました。それに沿って論理的に話を詰めていったのです。
ただ、本作では特に顕著だったのですが、論理が物語に飲み込まれる瞬間というものがあります。つまり、テーマの軸と一緒に物語の軸も存在し、どちらの軸が主軸になるのか分からなくなる瞬間です。
本作でいう物語の軸とはそれこそ祖父ちゃんの存在になります。この祖父ちゃんの存在が結末を二つ作ることになる原因でもありました。
現在のラストは物語の軸に飲まれた結果です。だからどうにも気に食わなかった。
ですが本作では“思考の分断”というテーマで定めていました。脳が題材ですので作中の命題はそのまま現実の命題でもあると考えたのです。ということは、“思考の分断”をメタ的に用いて、作者としての自分の思考/嗜好/志向を分断することも表現としては間違いではないのかなと考えた次第。物語として楽しんでもらえれば……、というのはそれに則したものです。
物語の軸とは、それこそショートショートの優等生的なオチの形。もちろん、それを狙って作品を書くことがありますが、本作の場合はそうではありませんでしたので。
ですから、ブログに載せたものは最終的にまとまったテーマの全体像であり、最初からすべてのものが揃って書き始めたわけではありません。
大方、解説で言及している部分は当初から頭にあったものですが。

>それで石川さんは1000字でこの問題に答えをだせずに2パターンつくった、
>と。つまり、石川さん自身が「問い」はつくったけれども「答え」がうまく
>導けなかった、と。
確かにそのとおりです。自分で答えが見出せなかった。
ただし、二つのラストは「脳は考えるところにあらず」:「脳こそ考えるものである」という問いに対する別々の解答として用意したものではないんです。
「脳は思考する部分であり、記憶を貯蓄する部分でもある」
わざわざそこに踏み込んで、書いたものがアナザーラストです。つまり答えが見出せなかった問いは「脳は思考回路なのか、単なる記憶中枢なのか」という命題に対してでした。
脳という存在を“思考”に限定するのが腑に落ちなかった故のものですが、あえて“思考”に限定してしまったほうが分かりやすいと思ったのでした。
結局、脳が何なのかは今の今まで答えが出せずにいます。

>・・・・・・ただ、哲学として面白くても小説として「設計図」どおりに書く書き
>方がいいのかは個人的には、よくわからないです。
ええ、おっしゃるとおりです。
ですから自分の解説は作品を楽しむ上で、参考にしてもらいたくなかったのです。“脳を漬ける”というアイディア自体、(皆さんからありがたいお言葉を頂戴したように)自分でも面白いなと思って採用しましたから、純粋にそれを楽しんでいただければと思っていました。
それが投票終了後に解説を掲示した理由でもあります。いい意味でも悪い意味でも作品に影響を与えたくなかったので。
それ以前に自作解説ほど恥ずかしいことはないですね。

蛇足ですが、自分の1000文字小説観を。
1000文字小説は文字数が限られていますし、特に書き込める内容が少ない形式です。
だからといって、1000文字という枠に見合った内容で終わらすにはもったいない気がします。文字が少ないということはそれだけ、読者の想像が介入する余地も引き出せるということであって、奥行きは作者の思いと腕次第で無限に広げられますよね。自分が1000文字小説を書き始めたのは、そこに惹かれたからです。
ショートショートの大家・都筑道夫氏のショートショートの定義は《長編が長い棒の端から端、短編がそれを任意に切った端から端、ショートショートは棒を縦にして小口から覗かせたもの》だそうです。
つまり、見えているのは表面だけで、その奥には棒一本分の奥行きがあると自分は解釈しました。1000文字は短すぎず長すぎず、作品練成の手段としては最適かと思っています。
一種の実験ですね。短い文の奥にどれだけのものを封じ込められるか。
だから、1000文字小説はやめられないのです。

今後もまたお世話になるかと思います。
拙作をお読みいただく際は、奥行きに潜む作者なりの論理を想像してもらえたら、より一層楽しめるかもしれません。まったくつまらない作品の場合もあるかと思いますが、その時はまあ……大目に見てください(笑)
ふつつかな作者ですが、全作感想とあわせて、今後ともよろしくお願いします。

81期# 39&34 感想その3

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○高橋さん、石川さんへの返信

・高橋さん

感想への感想ありがとうございます。

<ところで、女を主人公の妻と仮定した場合はどうでしょうか。>

ということですが、これこそ、私は高橋さんの創作版で読んでみたいです。まあちょっと私も考えてみたんですが、話が広がってきて1000字以上で書きたくなる素材なのでこちらには掲載しません。

ただ、私が別に「女」を出してみたらいいんじゃないか、と思った理由を書かせてもらうと、やはり、話全体のバランスとして、どうも主人公の立場が悪すぎる気がしたんですよ。高橋さんとしては、これでよかったのかもしれないけど、私には、「主人公は今は社会的にみていい立場にいないけど、それは現実のある一面であって、もうひとつ別の現実がひょいと横からやってきたら、この主人公の立場はするっとひっくりかえる」という見方をもっと強めてほしかったです。

というわけで、主人公にとって財布の写真の女(犯したくなるくらいイイ女)とまた別にイイ女を登場させて、主人公に見せ場をつくることで、犯すという選択肢とは別の可能性をだしたほうが、より世界が広がるのでは、と思って登場させたのですが、ここで登場する女が「妻」だったとなると、またさらに話がひろがって・・・・・・。

今期の作品は初読は「ちょっとしんどかった」と感想書きましたが、こうしてやりとりを通じて作品に入り込ませてもらうと、別の面白さが味わえて個人的に楽しめました。私、実はこの作品ちょっと誤読してるんじゃないか、と思ったりもしたんですが、まあ、それは私の読解力の浅さとお考えください。

次期も楽しみにしています。


・石川さん

こちらの感想への丁寧な返信ありがとうございます。個人的にはこういう作者の話を聞きたかったので参考になります、これぞ創作サイトの醍醐味という感じがします。

<本作でいう物語の軸とはそれこそ祖父ちゃんの存在になります。この祖父ちゃんの存在が結末を二つ作ることになる原因でもありました。 >

なるほど、たしかに爺さんがカギだと私も思いました。というか、よくこのじいさんを考えついたな、と思いました。

あと、脳についての理論を(私は初読でダジャレと読んだけど)ユーモア満載で書けるということはよほど頭がこの件について整理されているのと、個人的には都筑道夫のことばがでてきたのに共感しました。

<長編が長い棒の端から端、短編がそれを任意に切った端から端、ショートショートは棒を縦にして小口から覗かせたもの>というのは書き留めておこうと思います。

ついでですが、私も都筑道夫の少年小説から引用して返信をおわります。なんとなく石川さんの今回のユーモア小説にちかく、私の理想的な軽みがあるなあ、と思っているのですが、参考になれば(あるいは反面教師としてでもよいです)。次期作も楽しみにしています。

<「あら、またおばけの話なの」

 首にかけたくさりのさきの、小さなかぎをもてあそびながら、美香はわらいました。おかあさんのかたみの首かざりで、めったにはずしたことはないのです。

「和木(俊一)さんは、どうしてそんなに、おばけの話がすきなのかしら」

「民俗学といってね。伝説なんかを研究する学問があるだろう。それに興味をもっているせいもあるんだけど、だいたい科学が進歩したいまの世の中じゃ、なんでもわけがわかっちまう。それが、つまらないって気もあるんだ。話がむずかしいかな」

「むずかしいわ」

「つまりさ。おばけの話みたいに、りくつのとおらないことが、すこしはあってもいいだろう、というんだよ。そのほうが、世の中はのんびりする」

「ほんとにおばけがでたら、のんびりどころか、ふるえちゃうわ」

「ぼくも、そうかもしれないな」

 俊一はわらいながら、われた氷のあいだから顔をだしている、つめたそうな水をみつめました。>


「都筑道夫少年小説コレクション1」P8より

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