クロクマさん、感想ありがとうございます。
お名前は「セロニアス・モンク」とお読みするのかと思っていました。
そこに怪物はいる 世論以明日文句さん
力の入った語り。冒頭から文末まで語り切るこのエネルギーがうらやましいです。
千年の寓話の中で提示してきたものを「臆病風(という怪物)」というキーワードに集約することで物語を完結させていますが、ふと、この「臆病風」とは、どこか外からやってくるものなのか、はたまた原初より人間に内在するものなのか、というところでひっかかり、いろいろと考えさせらました。
じっくり読んでみると、怪物の登場は大化の年代ですから、これを現代に続く日本の国家(社会・世間)の成立の起源と見て(このへんは歴史に詳しい方は違うご意見あるかもしれませんが)、ここで現れた「怪物=臆病風=付和雷同の思考」とは「国家、あるいは社会(世論)に対する無批判な同調の姿勢」と考えるのではないか、と。それで大化の年代に怪物が深い谷(底なしの深淵?)から現れることが腑に落ちました。
すると「はじまりの田」は「臆病風」がどのように人間の社会にとりつき、広がっていったのかの重要な起点となるので、この「領主」がどこに住む、どのような立場の人間であったかという細かい設定を考えると、「原始国家・社会の発達と世論同調心理の形成過程の検証」のような社会心理学的テーマを絡めた風刺的な寓話にすることもできそうです。(ただの思いつきです)
後半の、臆病風に吹かれた時の症状は素直に納得です。
個人的には「臆病風」と明記せずにそれを表現する鏡花水月な語りの手法が好みです。教訓めいたことを書ける人間でもありませんので。
ちなみに、拙作について。
「蹴りたい背中」wikiで調べたら、指が背中に触れるラストが同じのようですね。驚きましたが、「蹴りたい」のではない、ということで。
(とむ)