仮掲示板

Re:「短編」のことや第85期感想その1など

今回、初めて決勝まで残りました。(笑)
最初に自分の名前に気付いたときは「は?」でしたが、嬉しい限りです。
えっと、賛否両論なのは読み手がそれぞれ違うので、毎回両方とも受け止めてはいるのですが、今回は賛否の差が極端だったように思いました、傑作だと言ってもらえたかと思えば、面白さが分からないと言われたりで、若干困惑気味ではあるのですが、やはりそこは読み手が違うのだから仕方ないのだなと思います。

今作「奴隷日記」は実のところ、私の中では日記ではなくただの奴隷の独白というか、一日一日思っていることでしかありませんでした、でも書いている途中に日々の区切りが無く苦しさがないように思えたので日記にしたのですが、つじつまが合わなくなってしまったところがいくつか出来てしまって…奴隷なのに字は書けるわ、紙とか書けるものもってるわで、おいおいって感じではあったのですが、そこを気にせずに良いと言ってくださった方々に感謝いたします。あと1002さん、いつも凄くちゃんと読んで下さっていて、本当に感謝してます。
次回書けるかは分かりませんが書くなら良いものができるといいなと思っています。





〉1002です。

〉○「短編」の運営方針について投稿者で話をすすめようとすることへの疑問

〉○ドックンドール(元冷たいギフト)さんへの全面的共感

〉○のいさんへの返信

〉○「奴隷日記」と「おじいちゃんの呪い」の比較感想

〉ーー
〉 
〉○「短編」の運営方針について投稿者で話をすすめようとすることへの疑問

〉いろいろと掲示板の議論を楽しく拝読しているのですが、ひとつ気になっていることがあります。この「短編」は小説のコンテストサイトですが、その運営はほぼ全面的に管理人の北村さんが一人で行っているもので、いわゆる正式なコンテストとはすべてにおいてまったくちがっているわけです。

〉いってみれば、個人サイトなわけです。北村さんが「やめます」といえば、おしまいになり、「今度から10000字にします」といえば一万字小説を投稿しなければなりません。「短編」が多くの消えていった文芸サイトのなかで残り続けているのは、そんな立場の北村さんがほとんど発言せず、あるいは最初の方針を曲げず、もくもくと事務作業だけこなしているからで、そういう風通しのよさに共感する者が集まってきているのだと思います。

〉単刀直入にいうと、「短編」の読者獲得の心配などは、投稿者が考える必要があるのかという疑問です。盛り上げることを考えるのは、北村さんに任されていて、運営人が意見を掲示板で求めるならば、そのときに運営について意見すればいいのではないか、という疑問をもってました。

〉私としては、今の「短編」運営方針になんの不満もありません。票が多い少ないも、自分が考えることではないと思ってます。むしろ自分にできるのは読み手ならば、作品感想を、自分の作品としてある程度の熱をいれて書くこと。書き手ならば、毎月かくことがなくても投稿をつづけていくこと。書けないときもきちんと三票を投票しつづけること。これを徹底するほうが、「盛り上げよう、盛り上げよう」というのより、盛り上がっていく気がします。

〉あと、参考になるかはわかりませんが、太宰治賞の応募要項をはっておきます。

http://www.chikumashobo.co.jp/blog/dazai/

〉↑締切は12月10日です。50枚からです。私は10月末の群像新人文学賞に投稿しましたが、やはり、書きまくっていくしか道はうまれない気がしてます。今、ネタもテーマもなくて本当のからっぽ状態なんですが、私は太宰治賞絶対、なにか書いて、とりあえず50枚書いてだすことにします。仲間を募集するわけじゃないんですが、短編の先にある長編にむけて仲間内で刺戟しあうほうが、短編の運営議論より、書き手としても成長できる気がする。

〉(私はもう何度も長編を応募して落ちています。予選すら通過しません。書くときがないときは日記をだしたこともあります。そういうレベルです。)


〉○ドックンドール(元冷たいギフト)さんへの全面的共感

〉私は「短編」を友人づくりの場としてとらえていないのですが、あなたの書き込みを読んで同志として友達になりたい、と思いました。

〉いろんな意見があるけれども、あなたの書くように、いい書き手になるためにはいい読み手であるべきだ(正確な引用ではありませんが)、には私は全面賛成です。

〉「どうして書くのかって? 読んだからだよ」

〉というのが私の根本的な動機です。ここが違っている人とは議論にならないと思うので、議論はさけます。

〉ただ、この議論の問題は「イイ読み手」の「イイ」は何をもって「イイ」とするか、にあるとは思う。私は小説は国語のテストじゃないのだから、作者の狙いを抑えるとか、そんな読み方はまったくイイとは思わない。私にとってのイイ読み方というのは、書かれた物語を基本的に共感しながら(あるいは自分を抑えて我慢しながら)読み、好き嫌いでばっさり二分するのでなく、理解できるところと理解できないところをハッキリさせて、あとは作品そのものの雰囲気に浸ることです。そういう読み方ができたときはイイ読み方ができたと思う。

〉それはさておき、あなたの書き込み内容は、私が書いたのを読んでいる気がしました。ただし、私が書けばもっとグチャグチャな文章になったでしょう。こういう人も「短編」にいると思うと、それだけで「短編」の楽しみが増えました。私も量より質です。

〉○のいさんへの返信

〉いろいろすいませんでした。今期は特におもしろかったです。初期の「空はオールブルー」あたりも好きですが、あのころあたりの「自分(もしくは独り言)一色」と比べると、この「奴隷日記」
〉は一人称なのに三人称の小説を読んでいるくらいに作者と作品のあいだに適度な距離感が保たれていておもしろかったです。来期も楽しみにしています。


〉○「奴隷日記」と「おじいちゃんの呪い」の比較感想

〉「奴隷日記」と「おじいちゃんの呪い」は私にはライバル的な作品だなあ、と思って一読したときから比較していました。今期の高橋さんの作品への感想をここに書くのは失礼かもしれませんが、比較なしでは感想も書きづらいので、ここに「おじいちゃんの呪い」の感想もあわせてかかせてもらいます。

〉●

〉この「奴隷日記」がどうしてこんなに面白いのかの推薦理由を書いてみようと思って、「どこが」面白いかを考えているところなのだが、

〉日記なのに「僕」とも「俺」とも書かず、あくまでも「自分」という主語がわずかに2回あるのみで、ほとんど主語が使われていない――というのが、この作品にリアリティを与えている気がする。ほんとうにこの主人公は奴隷なんだろうな、というのが読んでいて伝わってくる。

〉自分のことを「僕」とも「俺」とも「私」とも設定せず、なるべくなら<自分>とさえ使いたくない日記の書き手……これだけで、なんだか話にひきこまれるし、他の投稿作品とくらべて圧倒的に話にムリがなく読めるのも、この人称の使い方へのこだわりという、ほんのちょっとの差が大きいんだろうな、と思う。こういうリアリティの有無を決める小さな差の積み重ねが作品の深みを決定づけるんだろう。勉強になる。

〉「奴隷日記」が面白い理由はもちろん、これだけではない。設定が本来ならばメチャクチャであるはずなのに(死体の内臓を裂く仕事……)、それがまったく普通のことのように読める。死体の内臓をグチャグチャいじるグロテスクさを愛するマニアを意識して書いてる……わけでもなくて、あくまでも、このグロテスクな設定は、現実世界の比喩として、気持ち悪さをまったく感じさせずに読むことをゆるしてくれる。

〉○

〉少し脱線すると、今期の「おじいちゃんの呪い」はその点で、この作品「奴隷日記」とは対称的だったと思う。二つの作品世界は似ているようで、まったくちがう。「おじいちゃんの呪い」はあまりにも描写が巧すぎているのに、それだからこそ私には「性をめぐるあれこれ」部分ばかりが強調されてきて、私は受け付けなかった。超洗練された極エログロテスク小説を読んだ印象しか残らない。ここまで表現力があるならば、そのエログロを突き抜けた先の、愛への浄化みたいなものにはつながらないのか、と思う。つまり、私には作者はただ爺さんが孫のような女学生(あるいは本物の孫)を犯しながら死んだ情景をただ楽しみながら書きたくて、しかし、それを上質な読み物とすべく、あらゆるアクを丁寧にとりのぞき、匂いを消し、エログロに興味の無い人にも読めるような普遍的な展開に持っていった……としか読めないのだ。普通は逆である。老醜の悲しみ、老いても欲望が消えぬことなどを表現するために、あえて性描写を物語のなかに取り入れる。ところが私は
〉「おじいちゃんの呪い」からは、ただそのシーンのグロテスクさを楽しむためだけの小説としかよめなかった。

〉なので、もしエログロだけを読みたくてその中でランクをつければ、文句なしに最高級の一本ということになる。私はそういう性嗜好ではないので残念である。

〉さらにしつこいけれども、私ならば、ここまで技術があるならば、エログロをこえたものに向かって、主人公たちを導いていく話を書きたいと思う。


〉○

〉それで、この「奴隷日記」に話を戻すと、ここで出てくるハラワタやゾウモツはちっとも臭わないし、主人公の心象風景としてするっと言葉を受け入れられたのだが、たいがいの作品は、するっと読めると、今度はそれだけで終ってしまうのだが、このゾーモツやハラワタをナイフで日々裂いている奴隷の話は、臭くなくてスルッと読めるのに、なんだか切実な気持ちを読み手の私から引き出してくる。

〉涙をながしながら、土を掘っている男の顔みたいなのが見えてくるようで、それはゾーモツでも土でも、あるいはパソコンのキーボードを連打しているのでも、ひたすら台所で皿を洗っていることにも置き換えられるような、奴隷としての単純作業にたいするリアリティあふれる叫び声として受け取れる。それなのに、やはりこの作品で主人公がナイフを持ってひきだすのはハラワタでしかない、としか思えてくる。こういうところ(リアリティがあるのに臭みはないし、臭みはないのにやっぱりハラワタがみえてきて、それは自分にとっての労働に置き換えられるかとおもえば、やはり最後はハラワタにもどっていく……)がこの作品の深さだ。

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