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先日勝手に変えてしまった黒田さんの作品の
変えた理由を書きます。

最初の一行目と最後で月の描写が出てくるので、ここを目立たせるため
(過去形で文章がはじまってるし)、月にまつわる描写は過去形にしました。
花火大会は着々と進行していく様を月と対比させたかったのでなるべく現在形に。
〉「もはや残光は失せ、砂浜を彩っていた浴衣姿も色を失う。開始時刻が近づく。」
ここで「失せる」とう言葉が二回出てきたことに私は気付けなかったので
残光については失せるではない方がいいですよね。
携帯電話の描写はこの作品のアクセントとにはなっても重要じゃないので極力減らしました。皆が携帯を持っている今、花火大会でどのように使うかは大体想像つくと思うので。
〉いまや闇へと沈む浴衣姿に見せつけるかのようにだ。
最初の「砂浜を彩っていた浴衣姿も色を失う」が面白かったので、これを引き立たせる為、同じ言葉の繰り返しは避けました。違う言葉で短くすることを念頭に「闇へと沈む」をえらびました。ちなみに「ようにだ」は「ようだ」の間違いです、すみません。

以下の花火の描写は、次々に打ち上げられる花火を強調する為、「また」というリズムを崩す接続詞は削りました。
〉「光と音が破裂の衝撃や火薬の匂いをまとう。」赤、青、黄、緑、桃色などのさまざまな色の光が、あるいはまっすぐ飛んで一瞬「に」消え、あるいは枝垂れ柳のように残り続けて海面に「落ちる」。中心点から球状あるいは放射状に大きく飛ぶ光、二段階の破裂によって随所から不規則な方向へ「飛び散る」光、あるいは「魚やクラゲを模した」光などが次々と「舞う」。「(また、を省略)」笛が仕込まれているものや第二段の破裂を細かくすることで爆竹のような音を「響かせる」ものもあり、光だけでなく発せられる音までもが観客を「喜ばす」。

この「そして」のあと、すぐ「それら」という音の近い言葉が出てきて
そちらに注目して欲しいので「「そして」は削りました。
〉「(そしてを省略)」連続して放たれたそれらが織り成す総体「は」、夜空のキャンバスにひとつの作品を作り上げて「いく」。観客は一様に、月よりも高いところで作り出されたその芸術を、首を上げて「眺める。」あるいは「携帯電話」。

以下から花火大会が終了し、作品自体も終わりに向かっているので過去形になっています。
またここからが作者自身の美意識が語られるので、ここは前とは違うという意味も込めています。
〉やがてすべての花火が打ち上げられ、大会終了の放送が流れた。広い砂浜にはどの程度に観客が散らばっていたのか、拍手の音はまばら「であった」。しかしそこにはどれほどの観客が詰めかけていたのか、駐車場へ向かう浴衣姿の列はがやがやと賑やかで、長く混雑していた。当然に駐車場から出る自動車の列も、いつまでも進めずに列を成した。道路を彩った自動車のランプは花火よりも明るかったが、その不整然さは花火のようには美しくなかった。そのランプに映し出された浴衣姿の雑然とした列の方がまだ美しかったが、「それも」いつしか駐車場に吸い込まれて消えた。

以下に「それを」という言葉が来るし、そちらを際立たせたいので音が近い「それも」は削ってもいいかもしれません。あと、「その」も多いのでどちらかを削ってもいいかも。
また、花火大会が終わっても、月の描写で余韻を残し、最初と呼応して印象を強める為最後は現在形で締めています。

〉 月はそれを、花火よりもまだ低い場所から眺めていた。もう誰も見上げることのない空を悠然と、花火よりもずっと高く上がろうとして「いる」。

現在形と過去形の使い方は正確に知っているわけではないですが
私は演出効果として使い分けています。

またこの作品は、やけに文節が長く、それが文章自体をぼやけた印象にしているような気がしたので、長い文節は短くすることに務めました。
大体の長い文節は単に前後の文章の繰り返しによる物だったりしたので、そこは思い切って切り捨てたり、違う言葉に置き換えてみたりしました。

〉それで、いつもどこかしら「あまり良くない表現だけど投稿してしまえ」という部分がある黒田皐月なのですが、今回は実は「駐車場へ向かう浴衣姿の列はがやがやと賑やかで、長く混雑していた」だと思っていました。ここに触れなかったのは、作品を変えてしまうからとの遠慮があったからかもしれません。

これはこの文章の中で重要だと思われたし、それまでの長い文節が大方短くなったので、ここで長い文節を出しても逆に印象強くなるかと思いました。


〉満月の夜の、大洗海上花火大会。茨城県です。

大洗ですか!いいですね。水はちょっと冷たいですが、波が荒くて面白いです。
大洗の水族館が関東近県の水族館の中で一番好きです。是非お勧め。

私は泊りがけで行ったのですが、素泊まりの旅館であったにもかかわらず
旅館のおばちゃんが朝おにぎりを握ってくれました。

それから三浦さんが「語り手が海だったら」と書かれていましたが
この描写の仕方が、かなり遠くから、例えて言うなら28か35ミリの広角レンズ、5×7か、8×10のような大判のカメラで静かにシャッターを押すような雰囲気と情景の切り取り方だったので、これはもしかすると海かもなと思わせる部分が確かにあったということではないでしょうか。
何も文章で「と海は見ていた」などと入れちゃうと逆につまらなくなりそうです。あるいはあと90字あるので、それとなく匂わせる文章を入れてみるとか。

長くなりましたが以上です。
色々と失礼をお詫びいたします。

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