私もしつこいね(苦笑)皆さん生産的な仕事をしてるのにいつまでこんな絡んでるんだ自分。
〉 とむOKさんや海坂さんはたぶんパターンAが正しい読み方である(語り部のシチュエーションが私の想像どおりとは思いませんが)と主張されているのだと思いましたが、
とむさんのことは知りませんが、少なくとも私は全く全然そんなことは考えませんでした。語り手(語り部ってのもちょっと変わった用語ですな。民話か昔話か)が扇風機に当たっているかクーラーに当たっているか、縁側にいるか書斎にいるかなんて関係ないと思いますけど。
ま、これは揚げ足取りに類する話で、チキンさんは「論文」かただの「意識の流れ」かという点を問題にしてるわけですね。
でも私の見るところ、残念ながらそれも関係ないのですね。なぜか。そんなことは書いてないからです(笑)もう少し判りやすく言えば、このテクストは観念・思念だけを純粋に表現しているのであって、語り手のことは極限まで切り詰めてある。その結果、最後にかすかに出て来た「暑い」という情報がきわめて印象深く刻みつけられるわけです。
〉と、なぜ「粗を想像で補えない」と書いたか、なぜ「図書館に1日でも籠もれば」と書いたかを理解して(その上で否定して)おられる様子でしたので驚いただけです。
申し訳ありませんがこのくだりは何をおっしゃりたいか理解できません、と申し上げておきます。煙に巻かれた気分です。
〉 今回の件は海坂さんの「侮蔑的表現」にカチンときて噛みついたことです。またその根底には、読解力の低い人間は「悪」「不要」的な風潮も感じ取れます。
侮蔑だ侮みだと連呼されるのもなんか人聞き悪いよなーと思うんですけど、まあ、そう感じられたのでしたら、お気の毒さまでしたと。
その上でさらに遠慮なく言わせてもらえば、チキンさんってテクストの読みにおいて感受性豊かなんだなあと思います。これは確かに一つの才能です。『暑寒』の語り手の造型なんか、普通に読んでたら出来ません。
ただやっぱり書いてない事を勝手に読むのはよしあしで、読解力の低い人間は悪とか不要とか言われても、そんなことは誰も露ほども考えてませんよ、としか言いようがない。
ただ私が思うのは、読みが低い状態、ほど悪であると。だから最悪なのは作品のみ二十いくつか存在して票感想も一切ゼロ、掲示板も皆無。誰も読んでないんじゃないかという状態ほど不幸なものはないでしょう。
そして少しずつ読みは精密化されていかなきゃいけない。掲示板等に発表された感想は、だからみんなの共有財産なんだと私は思います。誰が正しいとか能力が高いとか気にする必要はないので、早い話が、チキンさんの書き込みがなかったら私は『暑寒』についてこんなに考えて書きませんでしたし。