仮掲示板

Re*3:作品としての書評

こちらこそはじめまして。

〉〉 なお、申し訳ありませんが「暑寒」の評については、とむOKさん、海坂さんの感想を読んだ今でも変えるつもりはありません。
〉なぜでしょうか?

 このことを説明しようと思うと、拙い私の表現力では最初から説明せざるを得ず、長くなるのでできれば避けたかったのですが。とはいえ私は物書きではありませんので表現のヘタなところはギュッと目をつぶってください(笑)

 まず、この作品(に限りませんが)の私なりの読み方として、一読したあと、この作品のキーマンである語り部のシチュエーションを考えます。で、今回想像できたのが二つ。
 ひとつ目が、「真夏の昼下がり・日本家屋の居間で、となりには縁側。居間と縁側の間の障子戸は解放され、そこから日差しが差し込んでいる・うだるような暑さの中で、扇風機の横に寝っ転がっている男性(or扇風機の前であぐらをかいている女性)・全身汗だくの男性(女性)は右手に団扇を持ち、シャツの襟元から風を送り込んでいる」パターン。これをパターンAとします。
 ふたつ目が、「夏ではあるが時間帯は不明・クーラーの効きが悪い薄暗い書斎・人物(性別不明)が机(orパソコン)に向かって集中しながら物書きをしている・人物の額にはうっすらと汗」のパターン。これをパターンBとします。
 他にも考えられるシチュエーションはありましたが、この作品と合わせたときにどれもあまり面白くはならないので外しました。

 パターンAの場合、語り手は自らの暑さからの現実逃避のための思考に身をゆだねて語り、その思考の最後に、『シベリアのどこかに……』と、オチにつながります。
 また、パターンBの場合、論文あるいは記事(雑誌記事?投稿記事?)を書くための思考が「語り」になっており、最初は論理的であったものが暑さの所為で徐々に崩れ、最後にこの論が正しければ『シベリアのどこかに……』と、語り部の本音がオチにつながります。

 私は当初(正確には黒田皐月さんの記事193を読んだあとですが)、タイトルの「暑寒」を暑寒=ショカン=所感の暗喩と考えており、パターンAがこの作品にはふさわしいなと考えていました。また、パターンAだと理論展開に多少のウソや矛盾が含まれていても思考のながれるに任せた結果として片付けられます。
 しかしながら、パターンAだとすると作品全体に流れる固い口調(考慮すべきは……、解釈できる等)に非常に違和感があり、徐々に考えがパターンBの方がふさわしいのではと考えるようになりました。パターンBであれば、最低限のウソや矛盾を無くさないとオチの面白さが引き立ちません。従って、私の「暑寒」に対する評につながります。

 とむOKさんや海坂さんはたぶんパターンAが正しい読み方である(語り部のシチュエーションが私の想像どおりとは思いませんが)と主張されているのだと思いましたが、私はパターンBがふさわしいと思っていますし、何も読み方はひとつだけではないのだから、別にいいんじゃないかなーと思います。


〉お互いに、そうかぁ、と思って、変わっていくことがなければ、作品を発表したり、感想を書いたり、掲示板で会話をすることに意味がなくなってしまいませんか。

 正直に書きますが、とむOKさんの書き込みを読んだときには「そうかぁそっちの方か」と思いましたが、残念なことに海坂さんの書き込みを読んで素直に「そうかぁ」と思えるほど人間ができていません。


〉〉 大上段から切り捨てただけの「評」ですので、
〉どうして、大上段から切り捨てるのでしょうか。
〉読み手に読んでもらうことをもっと考えたほうがいい、読み手に優しい作品を書き手は考えるべきだ、という意見だったかと思いますが(違ってたらすみません)、

 はい、そのように主張したのは私です。ただ、言い訳をするならば、今回の一連の「評」について、ひとつひとつ解説するためにはとてもじゃないけど時間がありませんし(上記の「暑寒」について書いたものは約2時間弱です)、また掲示板は作品と違って双方向でやりとりができるので、わからない「評」についてはその都度、質問してもらえばいいや。と考えていました。甘かったようですね。
 質問が前後しましたが、大上段から切り捨てたのは、どうしても3行程度まででは上手くまとめられなかったからです。ココだけ空欄ってのも変だなと考えた末です。


〉〉当然根拠も理由も書いていません。というか、あの文章だけで私の意図を理解してしまったつもりになられたとは正直驚きました。
〉誰だって、書いてあることしか、わかりません。
〉それなのに、書いてあることに対して返事を書いた方に対して、「あれで私の意図のすべてがわかったと思うなんて」というのは、発言していないことまですべて理解しろ、と、無理難題を言っているように思います。

そうですね、誰だって書いてあることしかわからないと思います。
ところが海坂さんは、
〉さらに「粗を想像で補えない」というのもまた違うので、
〉かくの如く全く読めていないにもかかわらず、「図書館に1日でも籠もれば」なぞというのは全く方角違いであって、
と、なぜ「粗を想像で補えない」と書いたか、なぜ「図書館に1日でも籠もれば」と書いたかを理解して(その上で否定して)おられる様子でしたので驚いただけです。


〉どうして、根拠も理由も書かないことが当然なのですか。
〉それをきちんと書くべきではないですか、というのが、海坂さんの指摘ではないのでしょうか。(と、私は人の発言していないことを勝手に想像する悪い癖があることをお詫びします。海坂さん、他にご不快に思われている方、すみません)

 えーと、困ったな。
 「根拠も理由も書かないことが当然」ではなくて「大上段から切り捨てただけなので“当然”根拠も理由も書いていません」と発言していますよね。
 また、話の流れとしては、私の根拠も理由も書いていない「評」があって、それに対して海坂さんが「きちんと書くべきだ」と指摘しておられます。それを遡って私の「評」に根拠や理由を書き込むのは不可能ですよね。
 もっとも、この点について私は不誠実だったと思います。海坂さんのご指摘の通り、今後はできるだけ根拠や理由を入れるよう努力します。読解力はどうにもなりませんが。


〉チキンさんは、どう思いますか。

 私なんかはかなり“荒らし”に近い存在で好き勝手やってますので、いつ「出て行け!」と言われるかわかりません(笑)
 今回の件は海坂さんの「侮蔑的表現」にカチンときて噛みついたことです。またその根底には、読解力の低い人間は「悪」「不要」的な風潮も感じ取れます。

 なべさんは書き手も読み手も同じ“人”なのだから分ける意味がないと書かれていますが、書き手にとってはこれほど解放されたサイトはないと思います。一度投稿してしまえば、必ず反応があります。もちろん歓迎ばかりではなく、手痛い批評がある場合もあるでしょう。しかしながら、それは書き手にとって覚悟の上での投稿ですので次へのステップだと考えれば受け入れることができます。

 一方で、書き手は作品を発信しなければ始まらないのに対して、読み手は受け取るだけ受け取って発信する必要はありません。感想や投票という形、特に掲示板において反論をおそれず感想や評論で発信できる人は少ないと思います。一度手痛い反論を受ければ、再度発信しようと思う人はさらに少なくなります。これは発信する目的が違うからです。感想に次のステップはないですよね。より立派な感想を書こうと奮起する人であればいずれ書き手になるのではないでしょうか。

 私自身は10人の読者がいれば彼らの読解力に応じて10通りの読み方がある。と信じている人間です。ですから己の読解力を理由に掲示板に書き込むのを尻込みさせるようでは読み手にとってはまだまだ閉鎖的なのかなーと思ったりもします。

 私自身については今後も飽きるか「出て行け!」と追い出されるかするまでは拙い読解力と拙い表現力で発言していくんじゃないかなと思います。というか、いくらあなたの読解力は低いですよ。と言われたところで一朝一夕じゃあ何ともなりませんし。

ぐあ、気がついたら4時間も書いてるよ。明日起きられるか非常に不安(笑)

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