仮掲示板

怨を転じて恕とは、成らず

宣言をしておきながら手詰まり感がありましたので、変な題名で転機を自作自演。批評とは、肯定だけに非ず、否定だけでも非ず。故に、批判を無視することは、是に非ず。

〉 無視されると思っていたので、お返事があり誠に感動しております。

投票で、ご意見を意識しているといったものもありましたことから、それを読んだ方は各自それぞれに受け止めているかと思います。それを掲示板に載せたのが、偶然に私だったと、そういうことかと思っております。

〉 プロの作家の一般的な形で慣れ親しんできた私にとっては、オチのない作品はどうも不安定な気分になってしまうのです。ですが、プロを目指している方々がいないのであれば、オチ云々は確かに野暮です。こういう世界もありです。プロを目指さないのであれば。

プロとアマと指向が異なるべきなのか、根源的には同じであると思いますが、違うところもあるのかもしれません。プロでないからこういう世界もあり、とは、異なる見地からすれば、プロがやらない裾野にアマがいるとも言えるでしょう。もっともこれは、黒田皐月の同人漫画に対する見解ですが。
かく言う黒田皐月は、プロ指向ではありません。

〉 ですが、気になる「美しい」とか「綺麗だ」という感想は、小説に向けられたものではありません。これは、大自然の産物や風景に対する感嘆符です。小説というのはその大自然の産物や風景を見た作者の主観が入って然りです。

追体験に「美しい」などとという言葉を用いて良いか否かという議論かと思いますが、「美しい」が個々人の感覚によるものであり、このことも感覚的なことであると私は考えますので、絶対的な答えはないかと思います。

〉 主観つまりテーマ。確かに「オチ」「スピード」「意外性」を抜きにしても物語は伝わります。しかし、このテーマだけは欠かせない。テーマがない作品、テーマに気づかすことが出来ない作品は小説ではありません。ただの文章の羅列です。

これについては貴見のとおりかと。
しかし、それを満たさないものでも他人に見てもらいたいという欲求が実現される、悪く言えば実現されてしまうのが、ネット世界に代表されるような現代社会の姿かと、私は思うのです。と、それはきれいごとで、そうあって欲しい。

〉 自分に意味が分からないから、それはすばらしいんだという短絡的思考はなしです。
〉 相対性理論は本当にすばらしいですか? そう思い込んでいるだけではありませんか?

正に。そちら方面の成り損ないとしては特に耳の痛い言葉。
考えることを放棄してはいけないということ。

さて完結している意見にコメントをして何の意味があるのかは実は考えていない、黒田皐月でした。

運営: 短編 / 連絡先: webmaster@tanpen.jp