つづきまして、#15です。
#15 唾とばしちゅる qbc
http://tanpen.jp/200/15.html
この小説は、「私」を視点人物とした一人称小説です。以下のように分けてみました。
現在①:1段落目から7段落目
政府が始めた結婚相談所について:8段落目から14段落目
現在①の続きと、政府が始めた結婚相談所についての補足:15段落目から30段落目
「私」の「年下の恋人」が「私」の「休日」に、おそらくは「私」の自宅に「やってきて」、「突然ケーキ」作りを始めています。「年下の恋人」こと「彼女」は、「私」と「二人でいる間中はほとんど嬌態ばかりをしめ」しているようで、「私」の「鼻」に「メレンゲ」をつける「悪戯」をするのも、どうやらその一環のようです。
私たちは運命の二人だった。互いに互いが自分の半身だ。
うそじゃない。
まだケーキ作りをしている彼女に、私は言った。
「唾とばし」
「ちゅる」
私たちは性格も合っていたし、体の相性も抜群だった。何より一番驚いたのが、この唾液交換に一切嫌悪感がないことだった。
私の唾を、彼女は飲むのに抵抗がなかった。
唾とばしちゅる。この行為の名称。
「私」が上の引用のように思うほどの「彼女」との出会いが、8段落目以降で明らかになります。
政府が結婚相談所を始めた。
この革新的行政サービスは、誰でも受けられるわけではなかった。他人が決定したことに従順であることが、受給資格の必須条件だった。
そして一か月後、私は役所から彼女の連絡先を教えられた。
「私」は、「行政サービス」としての「結婚相談所」を通じて「彼女」と知り合ったようです。「性格診断アンケート」への回答、「何百という異性の画像を見」ることでの外見の好みの回答、男性器の「形状」および「性欲傾向」の調査などを受けさせられた「私」は、その結果「彼女の連絡先」を得たようですが、何よりも「私」が「他人が決定したことに従順であ」ったため、「彼女」と出会えたようです。
またこれもすごいが、このサービスを受けても結婚を強制したり、追跡調査をしたりされない。
ごくわずかの例外を除き、あまりにベストカップルなので結婚しないはずがないからだ。
「ごくわずかの例外を除き、あまりにベストカップルなので結婚しないはずがないからだ」と「私」が語っていることから、この「結婚相談所」の利用者の婚姻率は非常に高いのだろうと推測でき、また、サービスが開始されてから日が浅いものでもなさそうだと考えられます。
「私たちは国家に飼われた幸福な羊だ」
綿密な調査に基づく結婚マッチングは、研究開発に膨大な費用がかかったらしい。しかしそれでも帳尻は合うそうだ。
従順な二人の人間は大人しく税金を納め、やがて子供を作る。そして羊の子は羊だ。
「やがて子供を作る」「従順な二人の人間」と語られていることから、女性側も「結婚相談所」で「私」と同じような審査を受ける必要があるのだと推測できます。つまり、「私」も「彼女」も「他人が決定したことに従順である」のでしょう。この「他人が決定したこと」には、もちろん、「結婚相談所」が「マッチング」した「異性」のことも含まれると考えるべきでしょう。
結婚は時間の問題だった。
まあ結婚を政府が強制したら人権侵害だが。
「結婚相談所」による「マッチング」の「受給資格」者全員が「他人が決定したことに従順である」わけですから、当然「政府が強制」しなくても「ごくわずかの例外を除き」「結婚」に至るでしょう。これでは「政府が強制」するのとほとんど変わらないわけですが、「私」は、「結婚」するかどうかの最終決定権は「二人」にあるのだと考えているようで、「強制」されていることを意識していません。
「私たちは国家に飼われた幸福な羊だ」
従順な二人の人間は大人しく税金を納め、やがて子供を作る。そして羊の子は羊だ。
「私」は、自分と「彼女」が「国家に飼われた幸福な羊だ」という認識を持っていますが、それは「大人しく税金を納め、やがて子供を作る」という意味での「羊」のことのようです。しかし、何か血なまぐさいことが脳裏をよぎったのか、以下の引用のように考えます。
あと、それからきっと、まちがいなく戦争もなくなるだろう。
メスの奪いあいは争いの火種なのだから。
引用の1行目の「戦争」は、"平和"の対義語としての「戦争」だと思われますが、2行目の「争い」は、個人的な「争い」をあらわしていると思われます。#10を読んだ時に引用した"セカイ系"の定義を、ここでも見ておきましょう。
主人公とヒロインを中心とした小さな関係性の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、「世界の危機」「この世の終わり」などといった抽象的な大問題に直結する作品群のこと
これを言い換えれば、「私」と「彼女」を中心とした小さな関係性の問題が、「メスの奪いあい」という「争いの火種」を挟んで、"平和"の対義語としての「戦争」といった抽象的な大問題に直結している、となるでしょう。これをさらに言い換えて、以下のようにしてみます。
「私」と「彼女」という小さな関係性が、「政府が強制」するのとほとんど変わらない「結婚マッチング」によって生み出され、その結果、"平和"がもたらされるだろう
こう並べてみると、「国家」による「人権侵害」の果てに"平和"がある、というのと、ほとんど同じです。
(#16へ、つづく…はず!)