頂いた感想には基本的に返信しないと決めているのですが、今期はちょっとわからないところがあったので、質問させていただきたいと思います。
お手隙のときにでも返信いただければ幸いです。
私がこの作品でやりたかったことは柔道です。柔道では相手の襟を掴んでゆすぶって、隙が出来た所に技をかけるものだったのではないかと記憶しています。
「子犬のワルツ」では、突然ピアノを弾くことによって先生である主人公の足元を危うくし、すとんと目の前に立つことによって二人の立ち居地を変えることを試みています。
そのためにあまりピアノ曲が重要な意味や印象を残して欲しくなくって、その上素人がパッと聞いてすごいと思う曲で、かつ短いという理由から「子犬のワルツ」を選曲しました。
それをふまえまして八海さんが
>タイトルから、どうしても子犬のワルツを連想してしまいますが、弾いてた曲は絶対に子犬のワルツではないはず。この場面の選曲に子犬のワルツはあまりにも軽快すぎると思うのです。たとえ戸川君は子犬のようでも、ここはひとつ違うワルツであることを祈ります。
という印象をもたれた理由を教えていただければなと思いました。
この作品では、先生と生徒という立ち位置から、22歳と17歳という立ち位置に主人公たちの場所を変えるというのがねらいでした。
生徒の一人である戸川君は、先生である主人公にとって、髪を染めたり授業をろくに聞かなかったり、困った子供の一人であったのですが、意外に男だったというのを、ピアノを弾くあたりから主人公の気持ちを揺り動かして、突然目の前に立たせるということではっと気付くという演出にしています。ですから、黒田さんの言うように、最初から大人びた普通の生徒とはちょっと違うという印象を戸川君に持たせてしまうと、当初のテーマから外れてしまいますし、最後まで子供っぽいとうまくこの、何の変哲も無い普通の話に少しの変化もつけられないのではないかと思ってしまうのですが、黒田さんは、どうしてそのような印象をもたれたのか教えていただけますでしょうか。
>主人公は二十二歳とされており、つまり教師一年目、社会人一年目である。それがここまで達観できるものなのだろうかと疑問に思った。五年の差、それは、たかだか、と言えるかどうかの分かれ目と言えると思う。比較の相手が十七歳、比で考えれば、それ以上の差を、たかだか、と言うことには無理があるかもしれない。しかしこの感慨は一年目の者が持てるものなのだろうか。三年目として、たかだか七年前と言ってしまっては、共感は得られないだろうか。
>それから、主人公から見て少年は大人びているとされているが、それに対して彼の逆立った髪を子犬に擬することは良くないと思った。「答えるときの彼の唇は思っていたよりずっと大人びている」とするよりも、少年らしい野心的な表情を見せた方が良いのではないかと私は考える。
以上になります、よろしくお願いいたします。
リクエストをいただいたようなので、八海パートの返信をさせていただきます。
相も変わらず、拙い日本語ですみません。
〉 私がこの作品でやりたかったことは柔道です。柔道では相手の襟を掴んでゆすぶって、隙が出来た所に技をかけるものだったのではないかと記憶しています。
〉 「子犬のワルツ」では、突然ピアノを弾くことによって先生である主人公の足元を危うくし、すとんと目の前に立つことによって二人の立ち居地を変えることを試みています。
〉 そのためにあまりピアノ曲が重要な意味や印象を残して欲しくなくって、その上素人がパッと聞いてすごいと思う曲で、かつ短いという理由から「子犬のワルツ」を選曲しました。
補足説明していただき、ありがとうございます。おかげで、根本的な部分の考え方のちがいに気づきました。
長月さんは、この作品において物語の起点あるいは、転換点となるピアノの演奏を目立たせたくないとお考えなのですね。主役はあくまで二人の立ち位置というか関係性であるから、ほかのものは目立たないほうがいい。そう仰っておられるように感じました。なるほど、それも演出のひとつだと思います。
ですが、八海には、それがかえって違和感を覚える原因になってしまったのです。折角の物語の起点になんの意味も印象も与えないというのは、かえって不自然ではないでしょうか。例えば、ピアノ曲と今回の作品のイメージが重なるとか、戸川君のイメージがまさにピアノ曲のそれとピッタリ符合する(ここまでいうと、やりすぎという気がしないでもないですね)というような使われ方をされたほうが、自然だったのではないでしょうか。
誰でもすごいと思う短い曲なら、なんでも良かった、というのは演出として、少しもったいないと思うのです。
そういうことが頭の中にあったものですから、八海短文感想の内容が、子犬のワルツを弾かないで、というようなものになっているわけです。
別段、みんなが知っている短い曲を選ぶ必要もないかな、とも思います。
長い曲でも演奏は途中で止められるし、知ってる曲といっても読んでいるほうはあくまで、視覚から情報を得ているわけで、個人的には“4つのマズルカ作品67”とかのほうが読者にはハッタリ利くのではないかな、と思ったりします(知っている人は知っている。知らない人は、おおなんだかすごそうな曲だ、とか思ってくれないかなー、という期待が持てる…ような気がしませんか? 若干、弱気)。
まあ、あくまで個人的な好みの問題といってしまえばそれまでだとは思いますが。でも、冬の音楽室、二人っきり、静かに変わっていく二人の立ち位置に“子犬のワルツ”。どうしても二つのイメージがぶつかってしまう。ピアノの音符がウキウキ、キャンキャン言っているような気がする。
あ、あと気になったのが、
〉 窓の外を降りしきる、雪の速さに良くあっていた。
“子犬のワルツ”って結構テンポが速いと思うのですが、いかがでしょう。雪の降り具合がいまひとつ、想像しにくかったです。
かなり、長文になってしましました。
重箱のスミをつついたり、辛口の毒を吐いているかもしれません。いや、きっと吐いていると思います。
最後にこの場を使って、謝罪申し上げておきます。
感想のところにも述べたと思いますが「子犬のワルツ」は、とても素敵な話だと思うし、八海のなかでもお気に入りの作品です。
ただ、それだけに選曲がぁぁぁ…。(←くどい)
なにかの参考になれば、幸いです。
大変、失礼いたしました。
どうしてそのような印象を持ったのかとの問い、その回答は、
〉 「子犬のワルツ」では、突然ピアノを弾くことによって先生である主人公の足元を危うくし、すとんと目の前に立つことによって二人の立ち居地を変えることを試みています。
とは思えなかったから。より正確に言えば、思わなかったから。そして、
〉 この作品では、先生と生徒という立ち位置から、22歳と17歳という立ち位置に主人公たちの場所を変えるというのがねらいでした。
〉 生徒の一人である戸川君は、先生である主人公にとって、髪を染めたり授業をろくに聞かなかったり、困った子供の一人であったのですが、意外に男だったというのを、ピアノを弾くあたりから主人公の気持ちを揺り動かして、突然目の前に立たせるということではっと気付くという演出にしています。
〉 最初から大人びた普通の生徒とはちょっと違うという印象を戸川君に持たせてしまうと、当初のテーマから外れてしまいますし、最後まで子供っぽいとうまくこの、何の変哲も無い普通の話に少しの変化もつけられないのではないか
と思ったから。
主人公の像は、以前にも申し上げたとおり、22歳とはこんなものなのかと疑問に思ったのだが、戸川君の像は、野心的な少年に見えていた。夢見ることが子供っぽいという固定概念のせいなのかもしれないが、大人っぽくは見えていなかった。だから立場が覆ったとは夢にも思わなかった。
では何が必要だったのか、正解ははわからない。
主人公と戸川君が相対している最後の場面にあとひとつふたつ、戸川君の表情か何かの描写があれば違っていたかもしれない。しかしこれはきっと、ライトノベル的な感想なのだろう。
実は「子犬のワルツ」なる曲を知らなかったとは、今さら言えない。
返信ありがとうございます。お忙しいところお手数おかけしました。
提示する状況や小道具によって、何を読み手に期待されるかということがよくわかりました。ありがとうございます。私としましては、戸川君という17歳の少年にリアリティを出す為、服装や髪型から、ピアノを弾くということをあまりかっこよく思っていないがピアノに関してはそれなりの自尊心もありつつ、17歳という年齢からくる照れみたいなものを考えて、また先生と二人きりという状況も加味しつつあえて、気楽な意味で「子犬のワルツ」でした。しかしこれは作品であって、もうすこし味付けが必要でした。
でも以外に雪には合いますよ。バーっと降って来るボタン雪とか。
それから教えていただいたショパンの曲ですが、手元に音源が無く、近いうちに手に入れたいなと思いました。いろいろとありがとうござました。
返信ありがとうございます。お忙しいところ恐れ入ります。
二人の関係性、了解しました。不足が多かったですね。黒田さんの考える22歳の女がどのようなものか、文章からはわからないですが、この主人公に関しましては、ちょっと年より幼稚な面があるなとは思います。その辺もうまく書ければよかったのですが。
お手数おかけしました。ありがとうございます。