記事削除: パスワードの入力

削除する記事の内容

〉〉10 夏の続き わら 1000
〉〉 最愛の人のお葬式で、泣いたのは、ぜんぜん悲しくない自分の気持ちに与えた憐憫だったのです。と、云う小説の構造を思い出しましたが。毎日人が死んでいるんですけどねぇ、
〉〉やっぱり悲しまなきゃいけないの? で、しょうか? ……やっぱり、


〉感想ありがとうございます!
〉ええと、頂いた感想というのはやっぱり気になるもので、何度か読み返したのですが、過度のアルコール摂取により壊死が始まっている僕の脳みそではうまく理解が及ばないというか、まあ有り体に言ってしまうと、全然意味わからなかったんでもう少し詳しく教えて頂けるととても嬉しいです。
〉何がわからないのかと問われると答えられないくらいさっぱりわからなかったので、全体的に教えてください。お願いします。

 あれ、わかり難い感想で、すみません。
 私なりにはよく分ったのですが、……。
 
 作品の狙いは、読者によって、受け取り方はさまざまだと想像いたします。


〉強いて一番わからない点を挙げろと言われたら、読点で終わっているのは途中で投稿してしまったからなのかどうかが一番気になります。

 途中ではありません。
 作品のなかに、死者が作者を通して、読者に語りかけているのだろうか?
 と、思ったのです。

 しかし、それは、読者の勝手な想像で、作者の描写する「カオリと一緒に頑張ろうね」という状況は、ほんとうにあったのかもしれないし、あったとしたら、たしかに書かずにはいられないだろうと、考えたのでした。

 しかし、なかったのかもしれないし、創作だったら。どういう狙いなのだろうと、考えたのです。

 作品の状況はよくわかるのですが、作者の企画・狙いは、わからないなぁ。
 と、思ったのです。
 そこで、小説のような状況が、実際にあったら。哀しみを感じなければいけないのでしょうか?
 それとも、「とぼとぼと配置についた。団長は恨めしげに」行動しなければいけないのでしょうか?

 それとも、遺影と一緒に、青春を謳歌して、頑張っていいのでしょうか?

 遺影をランドセルのようにしょって、クラス対抗に勝利するというのも、感動的だと思います。

 そういう状況もあるのでしょうか? 

運営: 短編 / 連絡先: webmaster@tanpen.jp