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 こんばんは。

 解説ありがとうございます。


 私があのように『糞の礼』を解釈したのも、「日帰り温泉」が舞台ということにまず引っかかったからでした。私は私小説と銘打ってあっても原則として完全なフィクションとして読むようにしているので、単純に私小説である可能性を考えていませんでした。

 川野さんの場合「純粋に語ることそのものを目的として書いている」ように感じられるのに対して、qbcさんの場合「どのように語るかというその方法を目的として書いている」ように感じられ、そういう意味で、私にとっては川野さんとqbcさんは表と裏(裏と表)という印象があります。
 私小説は、「作者が体験した出来事が書かれている」ということに支えられているというよりも、「作者が体験していない出来事が恰も体験したことのように書かれている可能性がある」ということに支えられているような気がします。普通のフィクションならその「可能性」は自明なこととして読者に意識されないことが多いですが、私小説はその「可能性」を常に意識させることができるという点で有利だなと思っています。というわけで「語る=騙る」ということに関して私小説は便利だなという思いがあるのですが、その便利さの中でいかにとんがれるか、という大問題も発生してくるだろうと思います。私は『港町では』を書いてこれは無理だなと感じたのですぐに諦めましたが、川野さんはその茨の道を歩んでいるという感じがしています。

 『せぶんてぃ〜ん』が「不快を目的として書かれた」ものだとは思いもしませんでした。あれはどちらかというとハンニャさん的な快感を与えるほうの作品だと思っていましたので。

 「くだらなく、つまらなく、どうでもよいことを、すばらしく独特に上品に表現する」ことが、私がゆくゆくは1000字でやりたいことなんだろうと思っています。私が理想とする「独特」に今のところ一番近いのが、たけやんさんの作品ということになります。

 既存の(自分の)思考を逸脱することを目指して毎回投稿しているので、遅々として進まないとしか言い様がありません。

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