■読者の一人としての感想に徹したいのでHNは1002でいきます。よろしく。
■1002あてに感想希望の意思表示をしてくれた作品への感想となります、希望されるかたがいればどうぞ。
■予選終了後に投稿予定でしたが、82期の「全感想」があまりあがっていないので早めにだします。
■投票に影響が受けそうな方は後日お読みください。
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(↑記事が消えてしまったみたいですが……つまり、読み手の私と書き手の作者の立場は対等であるので、私の感想に対してなにかあれば遠慮なく意見をくれれば私も得るところがある、ということです)。
●前期「感想希望」された、黒田さん、高橋さん、のいさん、アンデッドさん、石川さんへの感想
○テロリストという職業選択
不景気で自主退職に追い込まれた主人公が、社会制度そのものが悪いんだ、と考えて「テロリスト」という「職業」を選ぶ話だと読みました。
純粋な感想を書かせてもらうと、作品から離れて、
(この不景気は洪水で家を流されるようなものかもしれんな……)
というなにか諦めみたいなことを思いました。この作品の主人公も「社会が悪い」と憤りつつも、昔のように「搾取者=資本家=大企業」というわけでもなく、どこに怒りのほこさきを向けていいのかわからずに結局自死を選んでいて、その流れが「やっぱりそうか」とこちらの予想通りでした。やはり、「たたかう」、といった活動の選択は古い時代のものとなってしまったんでしょう。
作品としての出来栄えについては、いささか疑問が残らなくもないです。というのは、この小説で作者がためされるのは、まさにこの(あきらめるしかない)という現実を、どう想像力であたらしい解決法を提案できるか(たとえそれが混沌としたものであっても)、というところこそ、この話の魅力であって、ここを「自殺」でまとめてしまうと、いったいなんなのだこれは、最近の新聞記事の表面をなぞっているだけではないか、と思えてきます。
では私であればどうするか……難しいな……
「なにもかもがどうでもよくなった俺は、ある日ふと『なにもかもどうでもよくなった』ということを歌っているミュージシャンやアナーキーな画家たちがどれくらいいるのかをネットで調べてみた。それこそ五万といた。私は強奪した大金をすべて集め、彼等とともに「どうでもいいとも(敵は本能にあり!)」という政党をつくり、出馬するつもりでいる。」
……みたいな流れにするだろうか。
○腹の中
昔から親友であるけれども、実際は都合よく利用されているような関係をやめられないでいる相手についての話だと読みました。
いろいろと細かいところがリアルに描写されているなあ、と思いました。主人公が呼び出しのメールをもらったあと、
それをすぐ削除して、
外行きの、ブラウスを羽織ってでる、
というところなんか私は上手いなと思ってしまいます。
読者としては、主人公→絵里 だけではなくて、絵里→主人公 もっというと 主人公←作者→絵里 という視点があればいいのにな、と私は思いました。一応、小さい頃からの友人であるならば、絵里も悪いだけの女ではないだろうし、ここを読む限りは絵里の悪いところばかりが目立っているけれども主人公だって、そこそこ嫌なやつなんじゃないか、と思えてしまうところもある。
なので、そういった「負の連鎖」だけではなく、絵里の長所を(かろうじて二人が友情を保ってきた理由になりそうなもの)さりげなく、挿入してみると、奥行きが増すような気がします。
それでは私ならば、と考えてみると、
主人公はもっと美人な女という設定で、絵里は昔から気が強く主人公を支配する立場にあるけれども、絵里は美人ではなく、性格も悪いからモテない。主人公は(絵里が原因の)目元の傷があるので、絵里は主人公にだけは負けないという自負があるが、主人公は絵里の片思いの「伊藤君」からメールがくる。
私はここで、主人公は絵里について傷のことでうらみ、普段の態度のことでもうらみを持ちながらも、伊藤君からのメールをこっそりとみることで、ふいに絵里を許してやれるような気がした、という展開ならばどうだろう、と思いました。
○幼稚な嫉妬
これは投票します。
私は正直いって、べつに「文学賞下読み委員」ではないので、句読点や段落下げはまあ、どうでもいいと思ってます。一般的に受けるかということも、私の興味にはない。読者として臨んだときの「短編」で期待するのは、たった1000字のなかに書き手の精神が踊っているか、読んでいるこっちまでざわざわと熱くさせてくれるか、ということに限っていて、その意味で「短編」はすごく刺戟的なサイトです。
それでこの「幼稚な嫉妬」は実はあまり一般受けしないだろうと思う。私くらいしかこの作品のよさを理解できないんじゃないか、という自負もあるし、この作品を認められる読み手がいたら、私はライバル視したい。
……と過剰反応したのは、この作品のながれが私にはすごく感動的であったから。文章のリズムというのは、表面的に言葉をずらしたりすることから生まれる、と思われがちであるけれども、私はそうは思っていない。ズレや反復や語感で読ませる文章を書くには、相当に洗練された都会的なセンスを必要とするし、それくらいまで練り上げられていてはじめて最高の威力を持つ。
だが、その一方で「愚直なリズム」というものがあると私は思っている。語彙も平凡で、技巧もとくに凝っていない……だが、使われた単語は作者の実感のこもった言葉であり、まさに書きたい、という思いで貫かれた文章というものは、わざわざ武者小路をひきあいにだすまでもなく、読んでいて納得させられるものをうむ。
この作品のなかで
「我慢して飲み込んだ分の言葉だから知らず知らずのうちに出てしまうだけなんだ」
という一文は、(なんだ、この力強さは!)とこちらをハッとさせてくれるものがあり、
「ああ、でもさ…もしかしたら本当にこうだったかも知れない」
「違うかもしれないじゃん」
「うん、確かにね。でも確かじゃない」
というところなどは、葛藤と葛藤のぶつかりあいが伝わってくる。すごくいいと思う。
そしてなによりも、一組の恋人たちがシンデレラについて語り合いながらも、それぞれの恋愛観が語られていて、男はかつて自分がマザコンであったことを認め、それを女のために克服したんだ、ということを伝えたり(そこはどうかと思うが……そこは伝えるなよ、と個人的には思うが)、それを急に言われても「そうだね」と軽く受け流しつつ「嫉妬してたの?」とフォローにまわる女の機転の良さなどに、感動してしまう。
とても良かった。
○あたしジャスティス
第一印象としては、とても書きなれている感じがして、安心して読める。「安心して読める」文章が書けるというのはすごい能力だと思う。
ただ、今期の作品「腹の中」の女子2人のリアルな会話に比べると、マクドナルドで、ポテトをネタに、ナンパという設定と、その連れられた先で「洗脳」されたという構図が、あまりにつくられた感じがしてしまう。
言ってみれば、腕のいい料理人が、それこそマクドナルドでハンバーガーをつくっているようなもので、せっかくの文章技術が活かされていないような……。なんとなく、書く前に話をすべて決めてオチまで決めてから設計図通りにつくっているような小説だと思いました。それもアリとは思うけれども、レシピどおりに調合するのではなく、ときには脱線して、書きながらつくっていく、というやりかたもいいのではないか、と思いました。
○『混沌の神の創り方』
汲み取り式便所で大便をしていた男が最後に落ちてしまった話と、私などはつい、文学的空想部分をカットしてしまって要約してしまうクセがあるんですが、この話をもしも楽しむのだとしたら、たぶん、この「穴」が飲み込むもののところに何が書いてあるかを楽しむ、のかもしれないのですが、正直なところ、これは私には楽しめなかったです。
というのは、小説のもつ(精神の)リズムというのと、この羅列がうむリズム感は違うと思っているからです。羅列はいってみれば、「アのつくおいしい食べ物は」的な脳のつかいかたしかしない気がする。私には便所の穴が吸い込むものがなんなのかは、それがいかに正しいものであっても、あまりどうでもよくて、そこを書くならば、むしろ落ちてしまった主人公が落ちながらみた便器の内部の姿や、落ちてから白骨になっていくまでの感じ、しかたなく飢えにまけて食べてしまったであろう糞の味にこそ、そこに作家的想像力を働かせていただきたかった、と思いました。