仮掲示板

改変には失敗したが、第77期作品の感想は出してみる

 いただいた感想に返事を書きたい。しかし面白くない返事は書きたくない。それなのに面白い返事は書けない。だから返事を書かない。無視したいのではないのに。

 この作家はこんな系統の作品を書く、ということは新参の方にも古参の方にもあるのだと感じました。それが持ち味というものなのでしょう。ふと、そう思いました。それは今期だから感じたことではなく、私が気づいたのが今期だっただけのことなのでしょう。
 そう思うと、ほんの少しだけそれぞれの作品への好意が増しました。

#1 ラン・ホース・ライト
 再読して疑問点を探すのは、この種の作品の読み方として間違っているだろうか。本作の場合は、視覚が失われていれば聴覚に頼る部分が大きく、雑音の聞き分けこそが生命線であろうと思ったのだった。
 杖を器用に使うこととフラフラと歩くことが合っていないように思えた。ただし、全体の流れからすればここではまだ完全に立ち直ることはできないので、歩みはしっかりさせられないはずである。

#2 人間観察
 病んでいる主人公だと思った。臆病者の部分を除きそう見せることに集中できていると私は思ったが、その部分もあってはいけないほどのものではない。
 描写を足して登場人物に厚みを持たせるべきだろう。

#3 一滴の救い
 主人公と連れ子の兄の関係から他の人物の関係性を映し出そうとしているように見えるのだが、それがまるでわからないのは本当に私が本作を読めていないからなのだろうか。あの人の影が必要である理由は、読めばわかるものなのだろうか。
 それでも、「母のくれたこのかんばせ」は「お母様のくれたこのかんばせ」、「青ざめているあなた」は「青ざめているお兄様」が正しいのではないかと思う。

#4 『時を忘れた時計屋の話』
 本作には形式美がある。形式美は形式があるだけでは不完全で内容が伴っていなければならないと私は思うのだが、本作はそれを満たしている。しかも単なる逆回転ではなく、私は両方とも正転と読んだ。
 鐘の音の回数を違えた理由がわからなかったが、そうしなければ同じ話を二回読んだだけの印象になってしまったかもしれない。

#5 明るい
 千字小説という分類では評価できず、五百字小説として読むべき作品だろう。その分類であれば、上手とまでは言えないかもしれないが、構図はこれで良いと思う。

#6 Bライン
 最後の一文が主張であるとすれば、それは唐突な出現だと思った。この感覚は、ひとり主人公に閉じ込める内省の形式をとるべきではなかっただろうか。

#7 紺色のマフラー
 飾らない文体で統一されていることに、気遣いを感じた。
 回想の形式をとることには理由があるはずなのだが、本作の場合のその理由が私にはわからなかった。だから、蛇足を加えてみる。以下のようなものを本作の末尾につけたら、どうだろうか。
―――
この雪では、いつものジャンパーでは寒さがこたえるだろう。タンスの中に見つけた紺色のマフラーを取り出して、鼻水が出そうになるのをこらえて、首に巻く。
しかし、生まれて二度目のマフラーは、首に二周巻けずに少し寒い。僕は無性に、しんしんと降り続ける雪に「バカヤロー!」と叫びたくなる・・・。
―――

#8 水分茶屋 中川口物語-暮六つ
 さすが客商売、これは上手い応対だと籐衛門に感心した。これでは狐も裸足だろうと、何の疑問もなくそう思ったのは本作が良くできているからなのだろう。

#9 道
 ひとりで歩く先には何もないが、みんなで歩く先には何かがある。その違いが何であるのかと考えてはいけないだろうか。それから、本作では主人公が振り返りながら歩いていて集まってきた他の人に注意される立場になっているが、逆に主人公が集まる側の人でもあるという考え方はしてはいけないだろうか。

#10 尋問
 最後になって急に盛り上げて決めるという形になっているとも言えるのだが、急すぎて唐突にも見える。主人公の怒りの度合いが徐々に上昇する様を少し見せておくべきではないだろうか。
 殺してほしいと思う前に殺してしまいたいとは思わなかったのだろうか。

#11 ある雨の日
 「窓ってこんなに大きかったっけ?」から何かの所感が始まるのかと思ったのだが、終わってしまい肩すかしを食ったような気がした。これも千字小説ではない分類で読まなければならないのだろうか。

#12 観光地異聞
 きれいに話がまとまっているように見えて、しかし猿が人間の首を噛み切るのには無理があるだろうと思うのだが、それでもだからこその異聞なのだとも思った。それから、帰ってみるとイヤリングやネックレスが紛失していたというのはどのような状況なのだろうか。警戒してバッグに入れたのだがそれをくすねられてしまったということなのだろうか。
 ところで、人間界には腕時計を盗むために手首から切断するという荒業があると聞いたことがある。

#13 お茶っ葉な女の子
 姿の描写はティーバッグから顔を出したときでなく、テーブルに降ろしてからにすべきだろう。それから、最初の一言と最後のひとつ前の彼女を捨ててしまう行動がわからなかった。恋をしたのに何の感慨も見せずに捨ててしまうのは残酷ではないだろうか。
 セーラー服でなければ髪の色が緑でも良いと思うのだが、緑の髪が似合う服などあるのだろうか。

#14 ひとり暮らし(She is a university student)
 これもきれいに話がまとまっていると思う。最後に向かう間合いの取り方と言うのだろうか、緊張感の増し方が良いと思う。
 その他にも「ゴールなのかスタートなのかよく分からない結論」など、随所にセンスのある表現があると私は思った。特に「ほら自分でも言ってる」の切り返しには感心した。

#15 若き兵器の悩み
 「兵器」を「兵士」と読み、「開発者」を「敬愛する上官」と読んだ場合に、私たちは何を思うべきかという話なのだろうか。私ならば新大陸を消滅させずに、新大陸人との和平で決着させたい。なお私は本作を、兵器は使用されずに決着がついたものと読んでいる。

#16 続く
 そう言えば、明日こそ、と誓っていることは何なのだろうか、語られていない。
 それがリストカットだと仮定すると、随分と薄っぺらい感情推移だと思う。それをやめたくなるような恐怖の描写が足りないし、そもそもなぜそうしたいのかがわからないので共感できるところがない。

#17 叶わない願い
 そういうものを描いてみたかったと言って、どういうものを描いてみたかったのだろうか。

#18 サードラブ
 「馬鹿が」という返事がものすごく冷たいように思えたのだが、それが最後の場面との対比になっているのならば、それが良いのだろう。しかし、この主人公が結婚記念日を忘れることには無理があるのではないだろうか。
 このような話を素敵だと思える自分になりたい。

#19 傾斜
 「枝葉」は人生における可能性あるいは選択肢と呼ばれるもの、「傾斜」は人生を歩む様を傾斜した面にある水滴が転がっていく様子に例えたもの、そう私は読んだ。人生は水滴の残した軌跡であり、当事者はその軌跡しか知らない。あらゆる並行宇宙を含包する面に相当するものを知る者が、神であろう。そこにおいて傾斜を知った者はそれをどのように考えるのだろうか、という問いはこの世界の摂理をどのように考えるのだろうかという問いと等価だと思う。すなわち、神の御心であったり、自然科学の法則であったり、人間はさまざまに考える。だが、私はこの問いに意味はないと思っており、この作品も思索であって問いかけではないと思っている。軌跡しか知らない者が面を完全に理解することなど、できるはずがないだろう。
 純粋に感想になった。文章がどうであるなどということを考える必要がないからに違いない。

#20 セクシャルバイオレットNo.1
 一文ごとに盛り上がりを増していくようで、文の量が倍になれば倍の盛り上がりになったような気がする。もっとも、それは私の嫌いな盛り上がり方なのだが。

#21 二世帯住宅
 「自由に昼寝もできず〜一日で一週間分汚された思いなんでしょう」は主人公がそれだということではなく、一般的に言われていることを述べているのだろう。それならば、視点を変えた書き方にすべきではないだろうか。
 定年後に主人公がどのように過ごしているのかが見えていないので、なぜそこまで冷たくされるのだろうかとも思ってしまうのだが、落語か何かのような面白さは確かにある。

#22 蒸しまんと粥
 彼女は主人公にとって何だろうかと考えてみたのだが、実は主人公が自信を持つのに都合の良い存在だったのではないかと思った。言葉が通じないので反抗せずにただ微笑んでくれることは、主人公には肯定と見えるだろう。しかしそれは明確な肯定ではなく夢のようなものに過ぎないということが、彼女が消えてしまったということなのだろう。締めの急転換は、鋭くできていると思う。
 「それに対して〜見つけたのだった」の一文は、主語が「唯一の存在は」、述語が「見つけたのだった」であり、おかしな表現だと思った。おかしいとは思ったのだが、代わりの良い表現は思いつかない。文末を「見つけた彼女だ」にすれば、おかしくはないのだろうか。

#23 梅に猿
 宇加谷氏の作品にいつも思うのではないが、あるいは意識に上ったり上らなかったりするだけなのかもしれないが、百年ほど前の小説の世界を現代に無理なく再現しているような気がする。この気楽さはなかなかに思いつけるものではないと私は思うのだが、どうだろうか。

#24 変態
 虫になってしまったのかそうでないのかという冒頭が、いつの間にか街角で虫になってしまったとしたら何の虫が良いですかとなり、虫は昆虫とは微妙に違っていて漠然とした話ならば人間も虫の一種と言えるのではないかと転じて、みんなみんな生きているんだ友達なんだと虫的平和圏を制定してしまう。かなり面白い、かつ久しぶりに見た転回だ。
 それから、題名をはじめとして隠された意味のありそうな言葉を使うのが上手いような気がする。「もーそーですよ」は「もう そうですよ」なのか「妄想ですよ」なのか、などといったところ。

#25 空間
 私には読めなかった。彼女がいる人間がこのような状況に好んで陥ることをするのだろうかという疑問は、きっと的外れなのだろう。
 冒頭のふたつの段落だけでも印象的であり、それだけでひとつの話にすれば良いと私は思ったのだが、それも的外れなのだろう。

#26 嫌
 何もかもが気に障るという気分は確かにあると思う。それは本作に描かれているようなものであり、何もかもが気に障っていると気づくと自分が嫌になることも確かにあると思う。偽りない気持ちを描けていて、良く言えばそれに徹している、悪く言えばそれだけと言える。
 固有名詞が気にかかる。私がそれを可能な限り回避しているせいか、気にかかる。

#27 ホーム・ホーム・ホームレス
 日常の中で思う、何をやっているのだろう、という疑問と日常から外れてしまったときの、何をやっているのだろう、という疑問が、駅のホームでホームレスになることで連結されたのだと思った。そう思うと作中のすべてがよくできた舞台装置に見える。
 「何が起こったのかわからなくなったように立ち尽くしていました」の表現は自分の居場所を見失ったようで、それはホームレスとは違うのではないかと私は思った。

#28 R
 前半の「Rがガチャピン」、後半の他にもいろいろ、そして最後の「その思考回路の謎を解いてみたい」と進めているので、普通の流れを持った作品である。それなのに読後に読者である私も彼女の思考回路を解いてみたいと思えなかったのは、ガチャピンの印象が強すぎたせいなのだろうか。もしも前半がガチャピンでない他の何かだったとしたらどのように読めるものになっていただろうか、と思った。

#29 フォークロア
 唯一の瑕は、「あのだらしないところだけは嫌いだったな」が過去形になっていること。
 感想としては、他人の家の暗証番号を覚えていたのは元々は何を考えてのことだったのだろうかと怪しく思ったことがあった。

#30 金子口輪社
 文体と言葉遣いは合わせてあるのだと思う。しかしこれが大学生のものなのかということは、別の意図がありそうなので、考えてはいけないのかもしれない。それでも、「ぼくは、勝手なことでございますが、おもいます」だけが丁寧体であることは違うと思う。
 文体が邪魔をして内容が見えにくいが、実は内容などほとんどないような気がする。

#31 青空(空白)
 書割の背景が眼球に貼りついてしまったのならば、それは何も見えないことと同じで、青空も暗闇も空白も同じことだろう。心の空白に耐えられなくなり思考を空白にしようとして、人間でなくなろうと人を殺すが、それでも空白から逃れられなくて、今度は殺してほしいと願う。女の言葉に救われて現実に戻るようで、実は願いが切り捨てられる残酷な話なのかもしれない。
 この作品も書き方に難はなく、純粋に内容について考えることができたと思う。

#32 とある二月の昼下がり
 これだけのことができる主人公と先輩の関係性とはどのようなものだろうかと思った。
 甘い内容に書き方を合わせてあるところは良い。それから「凶暴なまでに〜空回りするチョコレート」の表現は、特別な技巧があるのではないが、私は良いと思った。

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