仮掲示板

いまさらですが第62期の感想です

批判をすることは比較的簡単で、それ以上のことはできそうにありませんが、感想と、感想への感想も一部、書きます。

8本足の秘密/YUKI
感想:
 一読の時点では面白い作品。最初の字下げがあればちょうど千字。
 ではあるが、これで良いのだろうか。大きなクモは周囲の獲物では満足できなかったことが動機であり、海が7割であることを知っていることが行動の方向性を決めている。さてこの情報は、どこから入手したものなのだろうか。同時に他の情報も得られなかったのだろうか。これだけのことで海を目指したことが、頭のいいことと言えるだろうか。
 リベンジがあるとしたら、楽しみにしたい。
感想への感想:
 決勝投票の12月8日2時11分の感想で内容のない話とされているが、真実性がないからなのだろうか。物語というものの存在について考えさせられる発言だと思った。

帰れない二人/公文力
感想:
 独立した作品として見ていない意見であるが、話が漂流してしまっているように思える。その方向性、話の流れとは違うのもののことだが、方向性は、初期の公文力氏の作品のそれに似通ってきているようである。
 繰り返し断るが、この作品は単独で読めることはないと思う。連作として、榊原君の登場以降に限定して読んでみると、彼はこの瞬間、弟の最期の瞬間を見届けるためにここまで来たのだろうと思える。それに巻き込まれたハル子が連作の主人公や榊原君とどのような関係性を紡いでいくかということを楽しみに、今後を待ちたい。

闇夜の果てへの旅/三浦
感想:
 これがこの作品の魅力なのかもしれないが、闇が何であるのか、あるいは何を暗喩しているのかと言った方が良いのかもしれない、わからない。第一段で主人公は、羽化を果たし、冷たい呼吸への抵抗を放棄して、自身がより深く闇に染まった。第二段の屍は羽化ができなかった者、墓守は彼らを見守る役割を負わされた者を指すと思う。第三段で主人公は暖かい墓ではなく、絶望的な闇へ向けていよいよ旅立つ。背中の羽はいつ広げられるのか、そのときに主人公は何者になれるのか、謎を残して主人公の姿は消えてしまう。
 その温感、明暗が上手く基底としてあるのは、さすが三浦氏だと思う。
感想への感想:
 決勝投票の12月8日2時11分の感想でくたびれたという言葉に対する批判が挙げられているが、この言葉は疲れたと同義ではないことを指摘したい。また、この作品は書くことと書かないことによって作られたものだと思われるので、半端だと切り捨てることには疑義がある。

愛を伝える/藤袴
感想:
 これは小説ではないと思う。そうかと言って小説以外のどこで見られるものかと言われると、それはどこにもないようにも思う。そして描くべきことではないかと言うと、決してそのようなことはないだろう。「ふふっ、恋文みたいだ」と言った時点で一方的な想いであることがわかるのだが、何故か私にはストーカーのような狂気は読み取れなかった。
 最期の一文に句点がないことが気になる。この作品の書き方から推定するとこの一文も手紙の文章のように思えるが、それでは無粋になってしまうのではないだろうか。
感想への感想:
 三浦氏の感想でもロチェスター氏の予選投票の感想でも愛することの内容がないことが挙げられているが、ふたつの感想は正反対だと思った。そのうち、ロチェスター氏の感想では愛は概念に過ぎないと悲観視されてしまったが、言葉は内心を完全に表せるものではなく、氏の感想は見方が逆ではないかと思った。

宛名のない手紙/黒田皐月
感想:
 孤独という言葉はよく用いられるものだが、多くは人が大勢いる場所にはいるもののその中の誰とも精神的に交流していないことを指している。そのため、この言葉を用いるときには、人が大勢いることとその中でも誰とも精神的交流がないことを描かなければならないだろう。当然、物語にするためにはその理由も必要である。この作品にはそれらが揃っているだろうか。
感想への感想:
 海坂氏の予選投票の感想で、差出人が書いていない方が〜天然さが浮かび上がってくるとされているが、主人公はそのことがわかっていてそうしているのではないだろうか。

百円の正直(1000文字版)/わたなべかおる
感想:
 話しかける文体にするからには聞き手の存在が必要である。例えば第59期の「こわい話」にはそれがあった。この作品にも聞き手はいて、むしろ「こわい話」よりも明確に書かれているのだが、存在感と言うべきか必要性と言うべきか、そういった点では劣るように思える。
 物語としては、仕事ができない主人公が、親の話を初めて話すほどに親密さの薄い人と、居酒屋らしい場所にいるという事象が、現実味に欠けるように思えた。物語の全否定になるが、第二段落の主人公のケチさ加減を同じ釣銭の話など別のことで表現していれば、良かったのかもしれない。

キメラ/qbc
感想:
 第三段の「理解。〜高い毛布なんか使ったこと無いけど。」がよく理解できなかった。まず、最初の「理解。」。これは「ここでは緩慢な関係が許されていた」ことを理解した、ということなのだろうか。それとも他の何かだろうか。ただ、この一語は必要のないものではない。なぜならば、なくしてしまった場合に主人公が見た事象とそこから得た心象が唐突につながってしまうことになるからである。そして、なぜその「緩慢な関係が許されていた」ことが「高級な毛布を初めて夜具にした時の気分」と例えられたのだろうか。しかも「高い毛布なんか使ったこと無いけど」と言わせたことで体感したことのないことで例えられているのである。子供たちを見て感じているこの心象は、より懐古的なもの、例えば陽だまりなどを例えにする方が良いのではないだろうか。
 第四段以降の問答は、上手いと思うし、qbc氏らしいと思う。
感想への感想:
 予選投票の11月17日の感想はキメラというものを知らないだけなのだろう。同じく予選投票の11月21日の感想で最後は酷く弱々しく、気違いが言ったとすべきではないかとの意見があるが、私はそのままの方が体言止めのような効果を持っていて良いと思う。海坂氏の決勝投票での発言は、氏の言及しているとおり、前期の国旗国家と同様な言葉狩りにも似ていると思う。qbc氏はわかっていてこの言葉を使っていることと思われるが、この言葉は放送禁止用語であることを付記しておく。決勝投票の12月8日2時11分の感想で、「俺は無職だった」の直後に「碌無し返上の為に必死に新聞配達をした」は変ではないかとの意見が挙げられているが、アルバイトは定職ではなく社会的地位としては無職とされるので、これで正しいと思う。
 余談であるが、前述の12月8日2時11分の感想には批判を多くしたが、感想の手本としたい詳細な感想であり、特にキメラの感想についてはその魅力を改めて教えてくれた感想だと思ったことを告白しておく。

ooopen/藤舟
感想:
 顔から五センチでようやくものが判別できるほどの酷い近眼のくせに、最初に包丁を持ったときによく手を切らなかったものだと思った。そう言えば、この(おそらく)血は誰のものなのだろうか。
感想への感想:
 三浦氏の感想で、導入部ですよねと投げかけられているが、どうにも後に続かないように思った。

生きてる象の解体現場/朝野十字
感想:
 何を思えば良いのかわからない作品だが、時間感覚は本当にこれで良いのかということを疑問に思った。分厚いマニュアルを読みながら、レバーやスイッチや電球がずらりと並んだパネルの操作をしたり本格レストラン並みの厨房で料理をするのだから、ものすごく時間がかかりそうに思う。その割には夕食前には夕日が見られるように、規則正しい日々を送っているのである。行動範囲が多岐にわたるのでタンカーには他に人がいないように思えるし、ひとりだとだらしがなくなりそうにも思えるのである。

チューズデー/戦場ガ原蛇足ノ助
感想:
 手がかりが得られなかったことを野球の空振りに例えたのは面白いと思った。ただ、面白くはあるが、三人ごとにワンアウトと一区切りつけることに意味はあるのだろうか。あるいは、警察に捜索願を提出するまでに九人当たってみようという意思の現れかもしれない。また、最後に叔母の前で「警察」の二文字を丸で囲って見せた場面は、何となく怖かった。その理由はわからないが、そのように読者に感じさせることができるということは、上手いということである。
 ところで、従兄の携帯電話は女たちを男名前で登録してあったということだろうか。

おいしい牛乳/宇加谷 研一郎
感想:
 作品群として読む場合、現時点ではこの作品の主人公が「足を揉む」の主人公と同一人物である必要はない。この人物についても、これから語られていくのだろうか。今の感想としては、「足を揉む」の主人公はもっと理知的だったように思い、また「足を揉む」は古田さんを中心とする作品群と雰囲気を異にしているようにも思えるので、違和感がある。どうせならば、「話し終えると急に恥ずかしくなってきた」を「訳もなく涙が頬を流れた」くらいにイメージを破壊してしまっても良いのではないかとも思った。
 ところで、長期保存のできない牛乳のボトルとは何なのだろうか。

Can&Cannot/fengshuang
感想:
 単品で掌編小説になるふたつの話を相容れないものにして併せた野心作、なのだが、改行などもっと協調させるべきはずである。
 ユキがキーホルダーを川に投げ捨てる場面と瞬が引き出しにしまう場面でのそれぞれのおかれている状況がまったく同じではないのはどうかとも思うが、しかしこれがドラマチックで良いとも思える。

dive/藍沢颯太
感想:
 文字通りに読むと街が波に飲まれたとなるはずなのだが、この作品は抽象画のようなものであり、何かが何かを暗喩しているとも思われる。それが何かは私にはわからなかった。もしも狂気を表したかったのだとすれば、足りない。
感想への感想:
 qbc氏の感想でも三浦氏の感想でも簡単な言葉で読んでみたかったとの感想が挙げられているが、この作品は言葉遊びのようなもので、それをやってしまっては何も残らなくなってしまうのではないだろうかと思った。そう言ったものの、私もこの作品は読めてはいない。

アルカイックな彼女との対話/かんもり
感想:
 思ったことを言わせているだけでは物語にならない。ではあるが、この作品は何もなさすぎるところが物語であると思われる。疲れているが、端正に佇んでいる。その姿から、何を読み取れば良いのだろうか。
 「退屈だから皆競争する」の一文から、「吾輩は猫である」の猿股の話を思い出して、普遍性のあることなのだと改めて感じた。
感想への感想:
 qbc氏の感想で問題の答えが書かれていなくて残念とされているが、この物語に必要なもの、この物語が描きたいものは答えではなくて問答そのものではないだろうか。

鳥が瓶を食べ、熊が釘を食べる/咼
感想:
 小瓶とは何でありそしてなぜそれが不法投棄の山にあるのか、それを示唆するものがあっても良さそうに思うのだがまったくないので、何のことなのかわからない。塵芥の山の割には不潔感が薄すぎて、だからやはりこれらは何かの記号でしかないのだろう。
 最後に題名どおり、鳥や熊が瓶や釘を食べているのだが、探している小瓶と食べられている瓶は関係がなさそうであり、それならば同じものを用いるべきではないと思った。

ロードムービー/るるるぶ☆どっくちゃん
感想:
 るるるぶ☆どっぐちゃん氏は地面を描くよりも空を描く方が似合っていると、勝手ながら私は思っている。地面の方が人工のもので敷き詰めることによっていろいろな色彩がありそうであるが、氏は空に色をつけてしまうように思うのである。その先入観からすると、この作品は地面が主であり、空の描写が半端な比重を持っているように思える。

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