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第230期『愛らしい妹』の感想

 まず、


  妹との差を顕著に感じ始めた十代の頃から妹とはずっと距離をとっており、話しをしたことなどなかったが、(4段落目)
  妹の部屋に出向くのは初めてのことだった。(5段落目)


 と語る「おれ」に、「妹」を正確に把握することなどできないでしょうし、


  妹のような愛らしさをもたず、卑屈で、他人に対しては恐怖と敵意しかもっておらず、他者から疎まれ避けられていた。(3段落目)


 と自認する「おれ」の


  妹は愛らしく素直で笑顔が可愛らしく、妹を嫌うものなどどこにもおらず、誰しもが妹に好意をもった。(2段落目)


 という評価についても、疑問が残るところです。
 さて、その「妹」ですが、語り手である「おれ」の意識を免れていると思われる発言が、一箇所だけ存在します。


  お兄ちゃんなら大丈夫だと思っていた(7段落目)


 この「お兄ちゃんなら」という言葉の前には、「両親」では無理だけど、というような言葉が入るはずです。というのも、この「両親」は、「連絡が途絶えていた」(4段落目)「おれ」に「妹の様子がおかしいので見てやってくれないかと」(4段落目)「平身低頭の勢いで電話」(4段落目)をするほど、「妹」が「さなぎ」になった事態を受け入れられていないからです。そのことは、


  廊下にいた両親は階段を駆け下りていってしまい、声も聞こえなくなった。(8段落目)
  親は家を出て行った。(11段落目)


 と書かれていることからも確認できます。
 では、「実家に戻り、妹の部屋で過ごした」(10段落目)という「おれ」は、「妹」が「さなぎ」になった事態を受け入れられているのでしょうか。


  ごつごつした妹は枕にもならないが、そばにいると気持ちが穏やかになる。(10段落目)
  おれは身体が大きく貪欲な妹のために、虫を集め、庭を畑にする。(12段落目)


 これらの文を読むと、受け入れられているように思えます。
 さて、ここで「お兄ちゃんなら大丈夫だと思っていた」(7段落目)という発言へ戻りましょう。実際に「おれ」は、人間の姿を失った「さなぎ」姿の「妹」を目の当たりにしても、「両親」のように逃げ腰ではありません。「両親」は意思疎通が可能であるにもかかわらず姿が変わったことで娘を見捨てましたが、どうやら「おれ」は、見た目では「妹」を判断していないようです。では、何で判断しているのか。「妹」に対する「おれ」の発言を拾ってみましょう。


  妹は愛らしく素直で笑顔が可愛らしく、妹を嫌うものなどどこにもおらず、誰しもが妹に好意をもった。(2段落目)
  妹の兄であるおれは、妹のような愛らしさをもたず、卑屈で、他人に対しては恐怖と敵意しかもっておらず、他者から疎まれ避けられていた。(3段落目)
  妹との差を顕著に感じ始めた十代の頃から妹とはずっと距離をとっており、話しをしたことなどなかったが、平身低頭の勢いで電話をしてきた親の態度に優越感を覚え、完璧だった妹が困っている姿というのも見たくなり、足が遠のいていた実家を訪れた。(4段落目)
  これこそが自分の妹だ。今までの妹はまがいものの幼生だったのだ。(9段落目)
  ごつごつした妹は枕にもならないが、そばにいると気持ちが穏やかになる。(10段落目)
  妹はずるずると部屋のなかを移動し、おれに食べものを求める。(12段落目)
  小さな口をもごもごと動かし害虫を食べる妹は誰よりも愛らしい。(13段落目)
  おれがいないと生きていけない妹(13段落目)


 これらの文から、「おれ」は、「嫌うものなどどこにもおらず、誰しもが」(2段落目)「好意を」(2段落目)持つ「妹」が、自分が「いないと生きていけない」(13段落目)という状況に陥っている事実に満足しているために、「両親」のようには「妹」を見捨てないのだろうと考えられます。だからこそ「おれは今日も穏やかに眠る」(13段落目)のです。
 では、「妹」は「おれ」のことをどう思っているのか。それを探るヒントは、語り手である「おれ」によって排除されています。「おれ」は「妹」の気持ちを「妹」本人に確認しませんし、推し量ることすらしていません。ただ一方的に、「退化した両手両脚は戻らず」(11段落目)「害虫を食べる」(13段落目)ことにしか(おそらくは)使えない「小さな口」(13段落目)で(おそらくは)喋ることもできなくなった「妹」の存在に、満足しているだけです。
 非常に気持ち悪いですね。

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