第99期 #9
俺の性根が腐っているので、てっきりこの世界も腐っていると思ったのに、今日の空はドギツイくらいの晴天だった。もうね、真っ青。
「あ、やっぱりつまんないですよね」
視線を窓から少年へ移す。
この少年はまだ性根が腐ってない。
「そんなことないよ。面白いよ」
俺は珍しく自然に他人に気を遣うことができた。
「その漫画のカタルシスがなんかこう、すごいんだろ?」
「そうなんですよ」
少年は再び笑顔になり、漫画の話を再開させた。
こたつが俺たちの膝を焼いている。
二時間。
彼はもうかれこれ二時間、自分の好きな漫画について語り続けている。
半ば、『漫画について熱く語る』という行為そのものに熱中している節も見えたものの、この一度たりとも絶やすことのない無類の笑顔は、俺を退屈させなかった。
居心地がいい。
中学生にしては純粋で、中学生にしては真剣な少年である。
このまま腐ることなく成長してほしい、と俺は切に願った。切に。
しかし、もうあと長針が半周もすれば十八時である。
少し早いが晩飯でも作ってやればよかったか。
俺は台所に残った洗い物に目をやり、数時間前、少年と一緒に作った昼飯の炒飯を思い出した。
俺が飯に卵を混ぜる様子を、俺が鍋をガチャガチャ揺する様子を、少年は真ん丸い目で凝視していた。
「なんで卵を先に混ぜるんですか」
「中華鍋って僕初めて見ました」
彼は、思ったことを脳を介さずに直接口から出すことができる。
俺も、彼といると自分の言葉が自尊心や羞恥心というフィルターを通らずに自然に口から洩れているのを感じていた。
会話が楽しい。
そう思えたのは実に何年ぶりだろうか。
十八時まであと一分。
いつも目やにを溜めるくらいしか役目の無い俺の目頭が、珍しく涙を流そうとしている。
実に何年ぶりだろうか。
「今日はありがとね」
俺が言うと、少年は笑顔で何か返そうとしたところで、正座の形のまま横に倒れた。
十八時だ。
俺はいつものように、死んだ少年を抱き抱えて玄関まで行き、ドアを開けたところにあるでかい段ボールに入れた。
明日はとうとう十六歳の俺が来る。
高校生だ。
明日来る俺に何か言ってやらなければ、俺は何も変わることができない。
いや、今の俺が言ってやれることなど無いことを、俺は知っている。
段ボールの中で丸まった少年は、未だ笑顔。
一度開いた涙腺は中々塞がらなかった。