第99期 #6
僕は最近どんどん脳が溶けてきている。
だから君ともうまく話せないんだ。生まれた時からの病気なんだ。
世界中の人の一万分の一はこの病気なんだよ。さらにその一万分の一が犯罪者で、その一万分の一が殺人者なんだ。作り話だと思うかい?
もうすぐ僕はすっかり君のことも、過ごした時間も、可愛がっていた犬のことも、ついには頑張って覚えた円周率30桁も忘れてしまうかもしれないんだ。とっても深刻だろう。
さて、大層に振舞ってしまったが、実のところ僕は言い残したいことなんて何にもないんだよ。
申し分のない人生を送っていたわけでもないし、何か大きなことを成し遂げたわけでもない。
あぁ、そんなに悲観的に捉えなくても結構だよ。充足とはいかずとも満足はしているんだ。
ただ、これからきっと君に対して僕は他人のような親しさで接してしまったりするかもしれない。その非礼を先に詫びておくよ。
もちろん様々な愛着を忘れていってしまうことは単純に悲しいよ。けれど、決まっている運命を嘆くなんて、毎週やってくる月曜日を嘆いているのと同じことだろう。
それでも嘆いてしまう、僕はそんな人間が大好きだよ。とりわけ君のことは食べてしまいたいくらい大好きだよ。
これじゃまるでカニバリズムだって、君は怖がるかな。まだ僕が犯罪者にならない可能性は捨て切れていないしね。
けれど少しわかるんだ。だってどんなに肌を合わせても君と僕は別々の物体だし、君の考えていることなんて、恥ずかしながら5パーセントも分かっちゃいないんだ。
つまりいつ僕の前から消えてしまったり、君の頭の中から僕が消えてしまったりするのかも分からなくって、いつもヒヤヒヤしてるんだ。
もし君のこと残さず全部喰っちまえば、もう君と僕は一つだ。あぁ、もちろん逆でも構わないよ。新鮮なうちにどうぞ。
話が逸れてしまったね。早くも僕の指は速度と精度を落としてきている。いつも話の長い奴だと、また君に怒られてしまうね。終わりは近いかもしれないね。
ただ覚えていてくれ。(これから忘れゆく奴がいう科白かね)
僕の記憶があろうとなかろうと、意識だって、身体だって、たとい存在すら消されてしまったとしても、僕は君を愛する運命なんだ。
生命体が地球に存在するよりずっとまえ、ビックバンよりもっとまえから決まってたんだ。少なくとも僕はそれを疑わない。
君はまた大袈裟だと笑うだろうね。
ありがとう、まったく幸せな人生でした。これからもね。