第99期 #12
少年の牛革のランドセルには、人喰い魔人がいた。名をウシクイと言う。
「おい、おい、腹減らないか」
ウシクイのしゃがれた声を無視し、少年は走る。その小さな身体に重いランドセルを背負って走る。寒空の下、熱い呼気が白く背後に残されていく。凍った道路を踏みしめていく緊張感で、背中にじんわりと汗がわいてくる。
「なっ、なっ。俺、腹減っちゃったんだ」
少年はウシクイの甲高い声を無視する。
学校に着いて、まず少年は下駄箱の中身を確かめた。上履きのみ。とりあえず外履きから履き替える。
「だって、何も喰ってないんだもん」
少年はウシクイのくもぐった声を無視する。
そのとき少年の傍らを可愛らしいコートに身を包んだ長い髪の少女が通る。少年の視線はその白くなった頬に注がれる。髪のわずかに揺れる様を追う。
「腹の音が鳴っちゃうよ!」
ウシクイの叫びは、少女には聞こえない。少年は早歩きで少女の横を通り過ぎていく。淡い香りが少年の鼻をかすめる。
次に少年は机の中を確かめた。ろくに使わない道具箱のみが半分近くスペースを取って入っている。奥の方に手を突っ込むが、特別何も存在しない。
「あっ、あっ。いい匂いしてきたぞぉ」
ウシクイの強張った声がランドセルのしまわれたロッカーから響く。
少年の視線が泳ぐ。友人達が何か話しかけにくる。その言葉は少年には届かない。彼はこの世ではない風景を見ていた。
そうして一時間目が終わり二時間目が終わり三時間目が終わり四時間目が終わり全ての学業がつつがなく終了した。
少年は外履きしか入っていない下駄箱をじっと見ていた。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
純粋な騒音と化したウシカイの声がグラウンドに響いている。しかしそれを聞くことができるのは少年のみ。
天を仰ぎ、拳を握り締める少年。
「……帰ろう」
そう呟いて、何かを噛み締めて、靴跡ばかりの大地へと少年は眼差しを向ける。
が、その過程。
少年の視界に、可愛らしい包装を大事そうに鞄にしまうクラスメイトの姿が映る。
「ウシカイ」
騒音が止む。
「待ってました」
人のそれと懸け離れたおぞましくも冷たい声が響く。
ランドセルからずるりと、ぬらぬらと黒く輝くものが現れる。
少年はまたその瞳を天に向けてしまった。
次に彼がする行為は、耳を塞ぐことだった。