第98期 #5

薔薇ノ里と薔薇ノ海

四股名はこの際置いとこう。
私は信二と言う名前で、それ以外の何ものでもないのだから。
塩を撒く、にらみ合う、時間一杯、

(見合って見合って、八卦よい!)

でぶつかってくるのはダンプカーみたいなでかい衝撃、バチッとした火花が目に浮かんだの。手の平で思い切り頬をはたきやがった。

(のこった!のこった!)

もう一度言う、四股名はこの際置いとこう、相手のこいつは賢治という名前で、それ以外の何者でもない。
私は賢治が大嫌いだ。
賢治とは何か生理的に同類の人間であるような気がしている。自分と近い人間がなんとなく嫌だと感じるのは、デパートで同じ着物を着ている力士に出会ったときの気まずさを思い浮かべてほしい。
むこうも大方そうなのだろう、いつも嫌悪であふれた妖艶な視線を浴びせてくる。
私は賢治を取組中に本気で殺害したいとさえ思っている。投げ飛ばして、そこに座っている九重親方に抱きかかえられる形で首の付け根を折って殺害したい。考えようによってはそれはある意味幸せな最期といえるかもしれない。だとしたら私からの最期のハナムケというやつだ。とにかくそういう風にごく自然にあくまでも事故として片付けられるように巧く殺害したい。大丈夫だ、部屋こそ違えど同期入門である私たちは表面上は仲が良いということになっており、

(八卦よい!)

二人きりになることはないが稽古や祝賀会だって、何度も同席している。他人の目があるとき、ふたりで談笑する様子、他人の目がないとき、ふたりで目配せをする様子など、何か共犯者めいた秘密を共有するねじれた仲間意識さえ生まれているぐらいだ。

(のこった!のこーった!)

賢治は私を四股名でなく信二と呼ぶ。もちろん私もしかりだ。
土俵際、右手をゆんとひねる。ひねる。持ちこたえた。
賢治の爪、綺麗に磨かれた爪に薄く桃色のマニキュアが塗ってある。それに光が反射して私の目をくらます。それが私をさらにいらいらさせる。

(八卦よい!)

ふいに、賢治はちいさく、ほとんど息を吐くのとおなじぐらいちいさくそのやはり桃色のルージュが引いてある唇でつぶやいた。ラブユー信二、お前とずっとこうしてたいよ。

(のこった!!)

せかいがとまる。

(のこーったぁ!!)

ミートゥー。
ミートゥー賢治。あたいもこうしてたいよ。

(八卦よぉーいぃい!)

そうさ木村、いや庄之助もおいでよほら、いっしょにがぶりよつろうよさあ。
長い相撲になりそうだった。



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