第98期 #12

手記「天使を食べた」

 『私は誰もいない夜の公園で奇妙な生物を発見した。
 それは白い一メートルほどの蛇に人間の脚と美しい純白の翼を生やしたもので、心地よい鳴き声を口にしていた。
 私は度重なる不幸(ここに記すべき過去ではないので、貴方達の想像に任せたい)により思考が麻痺しており、それを一目見た瞬間に「天使だ」と理解する程に病んでいた。天使は私を見て翼を大げさに羽ばたかせるが、飛ぶこともできずにのた打ち回っていた。私はすぐさま天使の頭を踵で踏みつけた。想像以上に柔らかく、短い悲鳴と共に天使は動かなくなった。
 
 その後、天使を家に持ち帰りとりあえず魚のようにさばいてみる。血液は精液を彷彿とさせるどろりと白濁したものであり、臓器は光る糸を束ねたようなものだった。眼球には金平糖のような水晶が存在し、それは光の当て方であらゆる色に変わった。翼はさばいているうちにいつの間にか萎れて愚図ついた色に変わっていた。
 とりあえず味醂と醤油で適当に肉を煮込んでみる。
 出来上がるまでの暇に例の水晶を口の中に含んでみた。すると、何とも言えない芳醇な甘みが広がってきた。まだ女性を知らない頃に逞しく想像した愛液の味がそう言えばこんな感じだった。過去の産物を神聖視するのが私の個性だった。
 やがて身が綺麗に染まり食べるのに申し分ない状態になった。無機質な皿にそれをよそり、一口。
 次の瞬間、私の毛髪が全て天井に向けて弾丸のように放たれた。パーティークラッカーが炸裂した後のように、吹き飛んだ髪の毛が部屋中に散らばる。
 もう一口食べると、背骨に違和感を覚え始める。やがて、ぼきぼきと不穏当な音を鳴らし、そのまま背に巨大な翼が生えた。
 面倒なので全てを一気に口に含み飲み込んだ。快感が体内から迸る。私の全身が鱗に包まれていく。目に何やら奇妙な情報が映るようになる。「人類は真の僕となる=滅亡する」「この項目に対し救済措置を取ることが可能」。
 はい。いいえ。
「いいえ」
 何も考えずにそう口にする。
 直後、拍手のような乾いた音が響いてきた。
「君は躊躇うことなく正しい答えを選んだ。おめでとう」
 はるか彼方から聞こえるその声は、所謂神だと考える。
 私は人型を保ったままでいることを悔やんだ。』


 ――記述はここで終わっている。
 手記の主は鱗生病の宿主であったと言われている。しかしながら行方は不明。政府は毛髪から得た遺伝子情報を今だに秘匿し続けている。



Copyright © 2010 彼岸堂 / 編集: 短編