第97期 #5

満月の夜に

「おとうさん、ほら見て、きれい……」
 女の子はそう言って、夜空を指さした。
 そこには満月がきらきらと輝いていた。
「うん、きれいだね」
「おかあさんはあそこにいるの?」
「そうだよ」
 父親はやさしく答えた。
「あそこは天国?」
「うん、天国かもしれない。おかあさんはいつもあそこから見守ってくれているんだよ」
「そう……」
 かわいいえくぼをへこませて、女の子は月にむかってほほ笑んだ。
「おかあさん……」

 彼女が物心ついた時には、もう母親はいなかった。いつも父親と二人だけだった。だけど、不思議とさびしさは感じなかった。なぜなら、母親は夜空を見上げればそこにいたからだ。
 月が彼女の母親がわりだった。
 三日月になったのを見ては、    
「おかあさんがやせて、かわいそう」
と言って、目にいっぱい涙を浮かべた。
 そして、満月の時は、
「きれいね、おかあさん……」
と、うれしそうに満月を見つめ、ほほ笑んだのだった。

 いつしか月日は流れ、女の子はりっぱな娘に成長した。見ちがえるばかりに美しくなり、その姿は母親にそっくりだった。

「こんなにきれいになって……」
 父親は目をうるませながら娘を見つめた。
「お前もだんだんと母親に似てきたな……」
「おとうさんは、おかあさんがいなくてさびしくなかったの?」
「さびしくなんかないさ、お前がいるからな」
 父親は母親にうりふたつの娘を本当に愛おしく思っていた。
「おとうさん、私の小さい頃のこと覚えている?」
「ああ、覚えているよ。とってもかわいかった……それに、いつも月を眺めてばかりいた……」
「そうだったわね……」
 彼女の顔にふと、さびしさがよぎった。そして、思い切るかのように父親に向かって言い放った。
「おとうさん、私……知ってしまったの!」
「何!」
 突然の言葉に父親は驚いた。そして、父親は観念したように押し黙った。
 いつかはこの日が来るのを怖れていたかのように……。

「おとうさん、長い間本当にありがとう……」
 娘の目には大粒の涙があふれていた。
「これから、母のところに行きます……さようなら」
 そう言うと、彼女の体はまばゆいばかりの光につつみこまれた。そして、夜空に向かって、ふわりと舞い上がっていった。

「待ってくれ!……」
 父親は、夜空に向かって大声で叫んだ。

「そうか、知ってしまったのか……、お前の母親は………かぐ………」

 夜空には、満月がきらきらと輝いていた。



Copyright © 2010 志崎 洋 / 編集: 短編