第96期 #7
仕事場に近いその定食屋に入ると、いつものように店主が忙しく立ち働いていた。
入口付近の席に座ると、「いらっしゃい、何にします?」と店主自らが注文をとりにきた。
ふと壁の方を振り向くと、黄ばんだ壁に貼られた新しい貼り紙が目についた。
「肉の日?」
貼り紙には“肉の日”と大きく書かれており、それ以外の情報はなかった。
「はい、毎月二十九日は」
小太りの店主がにこにこしながら言った。肉料理が安くなるのだろうか。
「牛にします?豚にします?」
まだ肉にするとも言っていないのに、店主はそんなことを尋ねてくる。僕は仕方ないなと思いながら、「牛にします」と答えた。
しばらくして、美味しそうなステーキ定食が運ばれてきた。「おまちどおさま」という店主の声に顔を上げると、そこには牛が二本足で立っている。
僕は、店主が“肉の日”のパフォーマンスをしているのだと考えた。かわいい豚みたいな体型だとは常々思っていたが、まさか牛の着ぐるみがこんなに似合うなんてねえ。
しかしどうやらそれは着ぐるみではないらしいのだった。茶色の丸々と太った牛の姿は、毛の一本一本までがリアルだ。声は店主の声そのものだけれど。
着ぐるみではないと確実にわかったのは、その牛の肋骨が剥き出しになっていたのを見たからである。血生臭さを今更感じる。痛くないのだろうか、ということより、このステーキはそこから取られた肉なのだろうかということが気になってしまった。
「あれ、召し上がらないんですか?」
店主はまだこの場を去らず、僕を促す。いや、牛か。牛になってしまった店主。それとももともと牛だったのだろうか。
机上のステーキが目の前の牛のものだと思うと、急に食べる気が失せてしまった。
それにしても、自分の体の一部が食べられようとしているのに、なぜこの牛はニヤついているのだろう。
不気味さの正体。僕はフライドチキンの広告を思い出した。デフォルメされた鶏のイラストがかわいく踊っている。あるいは、ハムのパッケージ。ピンク色の豚のキャラクターがこっちを見つめて上機嫌にしている。おい、今から食われるのに、なに笑ってやがる。
しきりに自らの肉をすすめる牛の店主に、僕はそれらと似た不気味さを感じた。
「全部食べきって下さいね」
牛の店主は、ますます人の好い笑みを強くする。自分が食べる側なのに、こちらが取って食われるかのような心地だ。僕の額に脂汗が浮かんだ。