第96期 #13

 慶長四年九月。伏見城の地下牢で一人の忍者が縛られていた。「伊賀の上忍、百地三太夫の息子」という触れ込みでまんまと石田三成に取り入った百地四太夫と名乗るその忍者は、諜報活動のため伏見城に潜入したものの、すぐに捕まった。実際のところ口がうまいだけの小物なのだから当然だった。
――フン、百地三太夫の息子、四太夫を舐めるなよ
 真偽はともかく大物気取りの四太夫は、米を溶かした液体を指先で縄に染みこませた。
――こうすれば鼠が縄を囓ってくれるのだ。どうだ参ったか!
 狙い通り、鼠が一匹寄ってきた。だが鼠は縄を囓らず、染みこんだ液体をぺろぺろと舐めた。
「おい、お前何やってんの!」
 四太夫は怒鳴ったが鼠は歯を使ってくれない。やがて味がしなくなると行ってしまった。
「お、俺を舐めるなと……」
 鼠にまで文字通りに舐められた四太夫は惨めだった。だがもう一度試みると、次に来た鼠は縄を囓ってくれた。両手が自由になった四太夫は、方々に先ほどの液体をぶちまけた。どこからともなく無数の鼠が出てきた。
「たいへんだー! ぺすとだー!」
 四太夫は大声で叫んだ。宣教師にでも聞いたのか、彼は鼠が大量発生すると「ぺすと」なる死病の前触れだということを知っていた。叫んでいると番兵が目をこすりながらやってきた。
「見てよ、こんなに鼠が! ぺすとだよ、みんな死んじゃうよ!」
「ぺすと?」
「恐ろしい流行り病なんだ! 早く何とかしないと。俺に考えがあるから鍵を!」
 番兵は寝惚けていたのだろう、四太夫に乗せられて牢の鍵を渡すと逃げ出した。何のためにそんなに持ってきたのか、四太夫は脱出の際に城の至る所に液体を撒いた。一夜にして伏見城は鼠に占拠された。

 徳川家康はこんな鼠の城には住みたくなかった。だが伏見城に住むことは秀吉の遺命であり簡単に背けない。家康は件の脱走した曲者を利用することにした。曲者を暗殺者ということにして強引に大坂城に入り、前田利長ら有力者を暗殺の首謀者にでっち上げて統制下に置いた。
 食事の時、家康の前を鼠が横切った。気づいた小姓が捕らえようとすると、家康はそれを制した。
「よいよい、行かせてやれ」
 家康は不敵に笑った。関ヶ原の合戦まで、あと一年である。

 ところで、四太夫は三成の元には帰らなかった。三成没後、伊達家に仕官しようとした百地五太夫と名乗る浪人が門前払いを食らい、その夜まだ新築の仙台城に鼠が大発生したとのこと。



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