# | 題名 | 作者 | 文字数 |
---|---|---|---|
1 | ノッキン・オン・ヘブンズドア | アンデッド | 959 |
2 | 喫茶店 | A- | 999 |
3 | 灯りの下 | 八代 翔 | 962 |
4 | オズワルド | 志保龍彦 | 995 |
5 | 霜月の夕刻 | 雲桜マル | 1000 |
6 | 蹴飛ばされた劣等感の山 | 高階 | 1000 |
7 | セオリー | 葛野健次 | 998 |
8 | 与次郎の恋 | 朝野十字 | 1000 |
9 | 空が真っ赤な朝でした。 | ボリス・チリキン | 993 |
10 | 「宇宙の穴。」 | てつげたmk2 | 1000 |
11 | 朝餉 | 鳴兜 柑子 | 100 |
12 | 2 | きん | 1 |
13 | 問題 | さいたま わたる | 1000 |
14 | 『生首灯籠』 | 石川楡井 | 1000 |
15 | 星屑ユートピア | 山羊 | 1000 |
16 | あくび | なゆら | 994 |
17 | 硝子は鎖す | いー | 910 |
18 | 『それ』は…… | 彼方 | 784 |
19 | 三吉と稲生の事 | クマの子 | 1000 |
20 | 恋する妹はせつなくてお兄ちゃんを想うとすぐくるくるしちゃうの(ことばあそびに憑かれた男) | 笹帽子 | 1000 |
21 | コースデビュー高校生 | おひるねX | 1000 |
22 | 国語便覧 | エム✝ありす | 1000 |
23 | 徘徊 | 高橋唯 | 1000 |
24 | イワオの馬鹿 | わら | 1000 |
25 | 魔笛 | 彼岸堂 | 1000 |
26 | 沈黙することは賢い、だから僕は沈黙しない | euReka | 984 |
27 | 不仲と買い物 | 謙悟 | 1000 |
28 | かんたんな話 | えぬじぃ | 1000 |
29 | 世間話 | 石川順一 | 999 |
太陽が眩しいと感じた青年は、長めの髪を隠す様に上着のフードを深く被った。山の斜面を足早に降りる。繁茂した草木が青年を避けたが、彼はそれを正常と誤解していた。
彼の名はエンディミオン。山頂で目覚めた彼には記憶がない。己が誰かも解らない。だがまだ見ぬ宿命は感じていた。
青年が山を降りた時、麓で猿と邂逅する。猿は鼻筋の通った彼の顔を称え、貴方の美名が欲しいと懇願した。
青年は名前の代わりに何かを耳打ちした後、猿に聞く。
「知ってるか? 天国では皆、海の話をする」
*
アメリカ・ネバダ州南部にある空軍基地。ジョン博士はエリア51の地下研究施設に召集されていた。南極で発見された物体を調査する為に。
それにしても離婚間近のローズと仕事するのは気まずい。防護服に身を包む妻を見てジョンは憂鬱になる。
密閉された研究室中央の座席。そこには骸骨が鎮座していた。多数の機器と助手達に囲まれる中、エンドスケルトンと名付けられた骸骨は一見模型にも見える。
「ただの模型、じゃないのよね」
国防総省から派遣された妻が夫に聞いた。
「CTスキャンを始め様々な検査をしたが、これは水晶に似た未知の物質で出来てる」
「まるでSFね。他には?」
「破壊は不可能。そして驚くな、この骸骨は生きてる」
「生きてる?」
「ああ。なぜか生体反応があるんだ。骨なのに笑える」
モニタリング機器。コードが繋がった骸骨。ジョンは眺めながら自嘲気味に笑った。
「まるで眠ってるみたい」
ローズがそう呟いた時、異変は起こった。
「天国なんてない」
誰かが叫ぶと同時に、機器が異常な数値や波形を示した。周囲の助手達も次々パニックに陥る。
「……扉……嫌!」
「……エン……」
「天国? 黙れ!」
「海だ。ハハハ」
涎を垂らし壁を叩く者。頭を抱える者。叫ぶ者と笑い狂う者。ジョンとローズも例外ではない。
「なん……幻覚? 糞、耳が!」
「あなた、ごめんなさい」
ローズの涙。
骸骨が輝き出す。
そして浮遊する。
腕を広げ天を仰ぐ。
光は強さを増した。
「本当は私――」
ジョンが最後に見たのは、彼が愛した妻の泣き顔。
光が全てを包んだ。
*
青年は草原で目を覚ました。
何処からか飛んできた小鳥が彼の肩に止まる。
青年が囁くと、彼女は海を目指して飛び立った。
「天国では皆、海の話をしてるんだ」
その日は、喫茶店で友人と話し合っていた。
『ねえ、次の日曜、久々に会ってみない? 最近メールや電話ばっかりでさ、アヤと半年も会ってないよ』
誘ったのは、私からだった。一週間前、久しぶりにアヤと電話をしていると、ふと会って話をしてみたいと思ったのだ。
『ごめん、日曜日は予定入ってるんだ……。あ、ちょっとまって。来週の土曜なら大丈夫。近くに喫茶店見つけたからさ、そこでそこで会おっか』
『そうね。喋りたいことが山みたいに溜まってるから。私の長い愚痴、ちゃんと聞いてよね』
そうして、久しぶりにアヤに会う事になったのだ。喫茶店の中でアヤを一目見た時、以前よりも綺麗に見えた。彼女は携帯販売店で働いているらしく、今は彼氏もできたらしい。私といえば、毎日仕事に終われているせいでテレビもろくに見れていないというのに。
席に座ると、さっそく愚痴が始まった。
「部長ってさ、何であんなにちまちましてるんだろ。去年のミスを引っ張りだして、お前はここが悪いんだって毎日言ってくるのよ。その上好きな子には思いっきりえこ贔屓。見ててイライラしてくるわ!」
「私も、先輩の言葉が毎回キツいの。この間なんかさ、『あんたそのレベルでお客様と話そうとしてるの?』って言って……あ、ごめん。お母さんからメールだ」
数十秒の間画面を見ると、彼女は笑みを浮かべながら「お父さん、昨日の夜に迷子になったんだって」と言った。「仕事の帰りにね、ふらーっとどっかに行っちゃったらしいの。気がついたら知らない場所にいて、慌ててお母さんに電話したんだって」
「何それ、変な人」
ふと、私は昨日の夜のことを思い出した。
「そういやさ、昨日変なことがあったの。多分夢だと思うんだけどね、私が家に帰ってくると、ドアの前に白い犬がいてさ」
「それで?」
「その犬、私に向っていきなり『ここはどこですか?』って訊くの。いきなりの事だからびっくりしちゃって。それでも場所を説明したら、『ボーイズビーアンビシャス』って言って帰っちゃったの……」
ふとアヤの方を見ると、必死に笑いをこらえているのか、手で口をおさえているのに気がついた。その笑い方があまりにも不自然なものだから、私は訊いてみた。
「アヤ、そんなに面白い?」
するとアヤは、
「あのね、それ夢じゃないよ。だってその犬、私のお父さんだもん」
テーブルに置かれた携帯電話には、しっかりとソフトバンクの文字が刻まれていた。
夜の街を、たった一人の男が、分厚いコートを纏い、震えながら歩いていた。煙草に火を付けようと燧火を擦ったが、その小さな炎は風で失せてしまった。
男は、会社からの帰路にあった。
彼は作家という副職をも持っていた。先日も大きな賞に応募したが、自分がそれを獲るとは思っても見なかったので、その日発表の雑誌に触れることはなかった。
が、偶然道に、その雑誌が落ちていたのである。男は運命を感じた。それは、闇の中で煌々と輝く運命の街灯の下にあった。
男は黙ってそれを拾った。雑誌は驚くほど冷えていて、持っていると手が凍ってしまいそうであった。震える手で、雑誌を開いた。
男は目を見開いた。男の胸は躍った。そして小さく笑った後、男は、家に駆けた。
翌日、多くの報道関係者が、男の家に訪れた。男はそれを押しのけるようにして、出版社に行った。
午後、男は出版社の担当の女と話していた。
「申し訳ありません。編集ミスで、本当の入賞者は、別の方なんです。」
男は凍り付いた。
言うまでもなく男は抗ったが、無力だった。その日丁度、詫び状が届くらしかった。
男は訂正板の雑誌を渡され、出版社を去った。
男は昨日と同じ道を歩んだ。ふと、街灯が目に入った。その瞬間、男の怒りは沸点に達した。男は雑誌を投げ捨てると、腹いせに街灯を一蹴りした。その音は町中に響き渡った。
その日、十二時を回った頃、また一人の男が同じ道を歩いた。男は薄れたコートを纏い、震えながら歩いていた。
男は、果てるつもりであった。二十年間作家として活動してきたが、ずっと応募してきた文學賞を、今年も取ることができなかったのである。男に副職はなく、生活保護で何とか生活していた。その苦しさもピークに達していて、その年の文學賞の賞金が、唯一の希望の光だった。が、その日の朝街角の店で見たニュースでは、別の男が讃えられていた。男は雑誌を買うつもりもなかった。
が、偶然、道にその雑誌が落ちていたのである。男は運命を感じた。それは、煌々と輝く街灯の下にあった。
男は黙ってそれを拾った。雑誌はほんのりと温かかった。持っていると、凍り付いた手が和らぐようであった。男はため息をつくとその雑誌を開いた。
男は目を見開いた。そして男は半信半疑の気持ちで、小さく笑うと、その雑誌を抱きしめ、出版社に駆けた。
私の部屋には一匹の蜘蛛が住み着いている。彼は私の友人で名前はオズワルドという。彼が名乗った訳では無く、私が勝手にそう名付けたのである。名前の由来に関しては、J・F・ケネディもジャック・ルビーも関係ない。ただ、瞬間に浮かんだのがその名前だっただけである。
彼の体は酷く小さい。中途半端な長さの脚を伸ばしても一センチにも満たないだろう。そして、彼の同胞である女郎蜘蛛などに比べれば、惨めな程に地味だった。暗褐色の体に数本の黒いラインが入ったその姿をジッと壁に這わせている様は、ベンチで眠る萎びた老人のようだった。
だが、このしみったれた同居人のことが私は大好きだった。彼は実に寡黙だった。私の部屋を訪ねてくる知人は、とかく喧しい者が多かった。お喋り好きな者をはじめとして、或る者は重苦しい羽音をブブブンと立て、また或る者に至っては網戸にゴツゴツと特攻を仕掛ける始末だった。それに対して、オズワルドは決して如何なる音も立てなかった。いつも、気がつけば其処にいるのである。かと言って、気を使う心配もいらなかった。
そして、何よりも好ましかったのは、その自己主張の消極さだった。身体の大きさから、服装から、食事、行動に至るまで、あらゆるもので彼は自己主張をしなかった。己を誇張しアピールしなかった。私は彼ほどに謙虚な奴を見たことがなかった。私にとって謙遜、謙虚は限りの無い美徳であって、自己主張などと言うものは悪徳や悪癖の類でしかなかった。それが雄弁なる者達や交際家達への低俗な嫉妬に由来することは自覚していたが、だからと言って、やはり謙虚が美徳であることに変わりはなかった。
そんなオズワルドであるが、ある日久方ぶりに会うと、以前よりも身体が二倍も大きくなっていた。前よりも目立つようになっていたが、これは身体が成長したからであって彼に罪はなかった。それから、見かける度に、彼の大きさは倍になっていった。それでも私は気にならなかった。
だが、ついには彼の身体は私よりも大きくなってしまった。私の頭の横で緩慢に動いている鋭い顎は、恐らくそのうちに私を噛み砕くのだろう。しかし、私は逃げようとは思わなかった。その時が来たならば、黙って食われてやろうと心に決めていた。それが、親愛なる友人に対する私のささやかな礼だった。彼のことだから、きっと遠慮がちに私を食むのだろう。あくまで静かに、あくまで上品に。
「用件は? 」
「斎藤安行らしき人物を見たんですけど」
「いつ? どこで? 」
「天留川駅のフレンドリーの辺りで見ました」
「フレンドリーってデパート? 」
「そうです 」
「新しく出来たん」
「はい」
「見たんはその近くでいいんですね? 」
「はい」
「犯人の特徴教えて下さい」
「三角顔でがっしりとした体形」
「住所とお名前教えて下さい」
「え! …」
「早く、早くして忙しいから」
「え!大阪府高成市日陰ヶ丘9丁目13の11」
「名前は? 」
「夏浦」
「下は? (怒) 」
「………………」
「早く。 (怒)下は?聞いてんのに答えてよ。 (怒) 」
「清子」
「キヨコってサンズイヘン? 」
「はい」
「年いくつ? 」
「え〜と40歳」
「はい、ありがとう」
「はい、もしもし」
「あ、娘さんですか? お母さんおられる清子さん」
「はい、ちょっとお待ちください」
(20秒ぐらいあく)
「はい、代わりました」
「清子さんいないの? 」
「はい、私ですけど」
「あ、清子さんでしたか失礼しました。天留川警察ですけど、東京連続殺人事件のことについてもう少し教えてほしいんやけど」
「はい」
「あっ。忘れんうちに聞いとくは。住所は? 」
「え〜〜〜〜〜〜!! 」
「そんな驚くことあれへんやんか(ないんじゃない)? 住所聞いてるだけやのに。 (怒)言うて」
「大阪府高成市日陰ヶ丘9丁目13の11」
「下の名前は清子さんでおうてんねんなぁ〜」
「はい」
「清子さん。年は? 」
「40」
「犯人の特徴は? 」
「三角顔でがっしりとした体形」
「はい、じゃまた何かあればよろしくお願いします」
「天留川警察ですけど。さっきのことについてもう少し詳しく教えて下さい。どこらへんで見られたんか具体的に説明して」
「天留川駅のフレンドリーの辺りで見ました」
「それ見たんいつ? 」
「11月20日火曜、フレンドリーの辺りで見ました」
「じゃあ。おとついか。じゃ〜また家伺わしてくれる? 」
「え! それは無理です」
「なんでや」
「え! ちょっと仕事上の都合で」
「働いてはんの? 」
「はい」
「その犯人見た! 言う時は何してはったん? 」
(2、3秒間があく)
「ちょっと娘の用事で学校まで」
「あっ娘さんの。じゃあ。また、暇な時家伺わせて下さい。詳しく聞きたいんで」
「いえ、それはちょっと無理なんですけど」
「なんで。何か行って困ることあるんか? 」
「いえそんなことないけど仕事が忙しいから」
「じゃあ、またかけます」
自分を大切にしなさい、というのが亡き祖母の口癖だった。私はと言えば、祖母がいなくなってからの五年間、その口癖を心の入り口にぶら下げたまま過ごしている。
自分の作った作品を、どうしても大事にできなかった頃があった。
小学生の頃の私は、自分の描いた絵を作った作品を書いた書き初めを、つくりあげた数日は自慢げに見遣っていたのに、ほんの数週間経っただけでもうどうでもよくなってしまって、家に持ち帰るや否やゴミ箱に捨てていた。自分の作った物を好きになれなかった、もしくは自分よりもいいもののように思えた他のものが、疎ましかったのかもしれない。思い返せばどんぐりの背比べだったに違いない、あの頃の作品もあの頃の自分も。所詮は小学生で、子供で、白かったから。拳一つ分のちっぽけな心が。
その時初めて自分を大切にしなさい、と言われた。夏休み、帰省した母の実家にいた祖母だった。
真夏の影も短い真っ昼間、日が差し込まず明るい影に覆われた和室で分けもわからず泣いたのを覚えている。
二人きりだった。景色などないも同然だったのに、嫌に鮮明だ。立ち尽くしたまま喉が不規則に引きつって、祖母は何も言わずただ手を握ってくれていた。
泣き止んだのは夕立が降り出した頃だった。
祖母は小さなことは言わず、度胸と底力があって、必要な沈黙を大事にする背中のしゃんとした人だった。小さな私にはその背中が大きく感じられ、時折見せるその真剣な横顔が誇らしかった。
今になってはあのとき泣いたのは、訳もない自己の縛りの許しを貰えたからなのだろうと思う。自分の作品を大事にできなかったのは、劣等感の強い自分を認めることができなかったからで、勝手に巻き付けた自制の鎖を解いてくれた言葉に解放を覚えた。否泣きたくなるくらいに優しい眼差しを受けた初めての出会いだったのだ。
先生も友達も親でさえも、あんなに真っ直ぐに自分を見つめてくれたことがなかったから、逸らすことができないほど強い眼差しに緊張して、けれども優しいそれに感極まったのだと思う。そして慈愛を感じると同時に、浅ましい自分を見られてしまったと言う羞恥を感じ、狼狽えたのだ。見られてしまったと。だから私は、何を言うでもなく只泣いた。
だからだろうか、懐かしく優しい思い出に嬉しくなるのに、思い出す度に口の中で嫌な苦みが不意に広がる。
私はあの時から十二年間ずっと、その言葉に捕われたままだ。
駅前で繰り広げられていたエコロジーミーツファンタスティックな思想を唱える新興宗教の勧誘をすり抜け辿り着いた喫茶店でコーヒーを啜りつつ窓の外に行き交う人々を眺める俺二十二歳は今日も人間観察に没頭していたのだが席一つはさんで右手に座った同じくフリーター風の男子推定童貞の手元のノートブックから紡ぎだされるエンターキーであろう過剰な打鍵音によってその作業を阻害されていた。
その他の打鍵音も一定の間隔でリズミカルに響いているが、許容の範囲である。ともすればミニマルミュージックの如き安定したリズムに混じって挿入されるエンターキーの無秩序ぶりからこのフリーター風の男スラム育ちと推定。恵まれぬ環境で懸命にバイトを続けようやく手に入れた憧れの神器ノートブック、それは彼にとって現代的ブルジョワジーの証であり知性の象徴であった。興奮抑えられぬ彼は親にクレジットカードを借り即座にイーモバイルへ加入、一秒間に約二百キロバイトの転送量を生かしユーチューブで面白動画を見付けてはほくそえむ日常を送っていたが、迫りくる将来の不安を完全に払拭することは出来ず、むしろノートブックを買うために働いてた自分の方が輝いてたのではないかという本末転倒な疑問を抱えながらも手に入れた神器に魅入られ、腐葉土に群がる幼虫が如く無線ラン標準装備のこの喫茶店でユーチューブを貪っているのであった。恐らくニコニコ動画に羽化するのも時間の問題、燻る感覚をエンターキーに打ち付け己の中指を酷使することが彼なりの自己嫌悪の表現といった所か。
彼の鬱屈した熱量は手元のカップの氷をみるみる解かし琥珀色に輝いていたカフィの色合いはさながら隠し芸の如く褪せ最終的にマチャーキの様相を呈していたが、これが俺流の一流ギャグだと、正月はBIG3ゴルフ原理主義の彼には理解できまい。
そんな俺のユーモアを尻目に彼の打鍵スピードは勢いを増しエンターキーの間隔もドンドングングンズイズイ狭まるタンタンタンタンタンタンタンカン! タンタンタンタンタンタンタンカン! タンカン! タンタンカン! ミニマルを通り越しパンクに着陸したそれはノーエフエックスの存在を俺に再確認させたが、そんな事よりも一瞬挟まれたタンカン! というサウンドによって俺の心に湧き出たダンカン今何してんだ映画撮ってるかちゃんと飯食ってるかという暖かな気持ちを大切に育てていきたいと、今は思う。
昔々、人類がまだほんの子供だったころのお話です――。
与太な兄がおりまして、名前を与太郎、この与太郎にはさらに輪をかけて与太な弟・与次郎がおりました、という一席――。
「兄さん、兄さん、おれ、恋をした」
「そいつはたまげたな」
「キラキラ光ってた、フリフリ揺れていた」
「ぜんてえ、どこのどいつだ」
「それがわかんないんだよ。フッと消えてしまったよ。でも、好きだ、好きだあ!」
「そいつはてえへんだ。よし、おれが日本政府にかけあってやろう」
お役所仕事というのは、今も昔も相変わらずのようで――。
「日本政府の公式見解としては、隕石が落ちて火災となりそれはすでに鎮火したということです」
「弟が神社に参拝した時たまたま裏山が火事になり、見に行ったら、銀色の光の中に赤い帯をした女がいた。フッと消えたそうだ。あんた名前は?」
「市民生活相談課の斉藤と申します」
「で、弟の恋はどうなるんだ」
「さてそれは、なんとも――」
与次郎は恋病みで見る見るやせ衰え、虫の息になりました。
「これから日本は人口がどんどん減っていくんだ。というのも、この時代の政府が冷淡だからさ。若者の恋の話をしても、うんともすんとも言いやしねえ。まだしも、そんな恋愛許さんとか言ってたロミオ&ジュリエット時代のほうが懐かしいぐれえだよ、なにしろ関心がねえ、ぴくりとも動かねえ、死んだも同然だよ、この時代のこの国は。すまねえな、弟よ」
「おれはあの子が好きだよ。たとえ日本政府が認めなくても――」
「よし、兄ちゃんに任せろ」
そう言ったものの、この時代、宇宙人の存在を政府は隠しておりました。
北海道から沖縄まで、すべてのUFO研究家を訪ねて回る旅が始まりました――。
やがてお江戸は中央区日本橋にきたあたり、与太郎が面会したUFO研究家の自宅には先客がおりました。
「いったい、こんな辺鄙な惑星に不時着した途端に、うちのお嬢様が現地人に一目惚れときた。お嬢様は豪商の一人娘なんだよ。どんな相手だって選り取りみどりのところ、なぜか、ただただその男の人相を繰り返すだけで、床に伏されて日々やつれるばかり。ご両親のご心痛、いかばかりか。そこで番頭のおれが、この星この島の隅々まで探し回ってるんだが、この優男を知らないか?」
そう言って異星人が広げた写真が、与次郎だった――。
まだ、人類が異星間恋愛を禁止していた、西暦2010年夏のできことでございました。
お後がよろしいようで――。
『午前5時25分のニュースの時間になりました。皆さまおはようございます。では最初のニュースですが、本日を以って世界は滅亡します。乳を寄せて男に媚びを売る以外能がない癖に、やたらインテリぶりたがる、あの糞アナウンサーの好奇心が、アマテラス4号炉を臨界させやがったのです。××××! だから俺は言ったじゃないですか! クロイツフェルト・ヤコブの老人より脳味噌がスカスカなあの×××に、原子炉の取材なんか務まるはずないって! ××××! ××××!』
つけっぱなしの液晶テレビの向こうで、銀縁眼鏡のキャスターさんが声を荒らげて、ディレクターさん?の頭をマイクでぽこぽこ殴っています。
だらだら血が出ていて、とっても痛そうです。あのキャスターさん、知的で冷静な人だと思ってたけど、ちょっとだけ幻滅しちゃったかも?
リモコンを探したけれど、そういや昨日お隣さんと喧嘩した時に壊しちゃった事を思い出して。だって、手ごろな鈍器が無かったんですもの。だから私は、もぞもぞとお布団から這い出て、とりあえず、カーテンを開けてみたのです。
「わぁ」
空が真っ赤な朝でした。夕焼けぞらの、一番あざやかな色合いに、端の欠けたお月さまが薄く浮かんでいます。
『天気予報をお伝えします。晴れ時々原子雲。日本全国で突風警報が発令されています。この風はおよそ4700ミリシーベルトの放射線を含有しており、死亡率は約50%です』
どうしようもなくわくわくしたから。だってそうでしょう? こんなにも空が綺麗なんだから!
寝巻のまま、スリッパを引っかけて、私はアパートの階段をきゃははと駆け降りたのです。これほど気分がいい朝は、生まれて初めてかもしれません。
道路向かいの自販機に、500円玉を一個放り入れます。目覚めのコークの味わいは格別でした。ふふふんと上機嫌に鼻歌だって漏れるわけです。
『九州は既に全滅。ここ四国が屍の島となる時も近いでしょうが、しかし我々愛媛放送のクルーは最後の最後まで報道を続けます!』
そういやテレビ消してなかったなぁとか。人通り皆無な心地よい早朝の静寂を邪魔されて、ちょっとむぅとしますが、でも許してあげるのです。だってこんなにも空が赤いんですもの。
気分がいいついでに、お隣さんと仲直りしてあげてもいいかなとか閃いたり。手土産にはやっぱりコークよねとお釣りの中から硬貨を三枚つまみ上げて。
「あら、売り切れかしらん?」
ブラックホール
大質量恒星の寿命が尽き超新星爆発した後、極限まで収縮され光さえ抜け出せない高重力場であり宇宙に開いた穴である
西暦二二四六年八月
太陽系第八惑星「海王星」軌道外側でブラックホールが発見された
新型宇宙望遠鏡のトライアル撮影時に現れた画像の歪みにより発見されたのである
その一報に世界は驚天動地をしたのは言うまでも無く
「太陽系崩壊」「宇宙人陰謀説」など井戸端会議の話題にもなるほどの大ニュースになっていた
が、精密観測でマイクロブラックホールである事が判明、コンピューターシミュレーションによって太陽系には被害が及ばない事が判明すると人々の関心は薄らいでいった
それでも「木星をマイクロブラックホールにぶつけるべきだ」と主張する熱狂的な人々が居たとか居ないとか
人間の欲望は底が無い
一年後に太陽系をかすめ飛び去っていくマイクロブラックホールを利用する方法を考えた
「捕獲し無限のエネルギーを取り出す」「ワープ航法に利用する」数々の案が出ては実現不可能を理由に却下されていった。
マイクロブラックホールの移動速度の関係もあり現存する技術を用いた「一年以内に実行可能」な案を優先させた結果「月面の電磁石式物資大量輸送設備マスドライバーで廃棄物を射出しマイクロブラックホールに投棄する」計画が世界規模で動き出したのである
世界中から集められた廃棄物は特殊セラミック加工された箱に無造作に詰められると軌道エレベーターによって宇宙へ向かい定期航路を使い月面のマスドライバー基地へと運ばれていった
数万個の廃棄物箱は二十四時間体制、一分間隔のタイムスケジュールでマスドライバーからマイクロブラックホールが移動してくる宙域へと射出された
一年後
廃棄物箱は長い旅路を終え目前に迫る宇宙の穴へと吸い込まれるのを待つだけであった
全人類もその光景を見守っていた様々な思いが詰められた廃棄物箱の最後を見届けるために
ついにその瞬間が訪れた廃棄物箱は宇宙の穴へと吸い込まれ――なかった
マイクロブラックホールは小惑星を吸い込みながら何故か廃棄物箱だけは無視をしてその前を通り過ぎていくのである
全人類は瞬時にその理由を理解した
「分別されていないゴミは投棄できません」と、マイクロブラックホールの入り口に看板で表記されていたからである。
全人類の溜息が響く中、宇宙の穴は漆黒の彼方へと姿を消したのであった
手を合わせ醤油を引き寄せる。
俺は上機嫌で茶碗の角に卵をぶつけた。
湯気の立つ飯の上に落とされたのは…
形作られる前の雛。
膜の張った濁った目が俺を睨み、白米の上でゼリー状の体はほどけ、嘴が滑り落ちていった。
これから放送する問題文をよく聞き、次の各問に答えなさい。
【1】問題文中の「ムカンシン」という用語を漢字にしたときに、最も文脈にあうものはどれか、次の中から選びなさい(5)
(ア)無関心
(イ)無問題
(ウ)莫大小
(エ)機関銃
【2】教室に入った主人公が、窓から眺めた景色としてふさわしいものを次の中から選びなさい(10)
(ア)ブルーシートを掛けられた木材のようなもの
(イ)どこまでも澄みきった青い空
(ウ)青信号なのにも関わらず、信号待ちをしているおじさん
(エ)勝ち誇るブルーレイの広告(永ちゃん)
【3】教室の中央付近の机の上に置かれていたものを、次の中から選びなさい(15)
(ア)ひびの入った古い手鏡
(イ)片方のレンズが曇っているメガネ
(ウ)ガラス製の花瓶に活けられた花
(エ)大麻のようにみえる草のたば
【4】突然机に上がったクラスメイトの発言の内容として、一番近いものを次の中から選びなさい(20)
(ア)宇宙の広さにくらべると、人間ってのは何ともちっぽけなものだ
(イ)日頃から気に食わない主人公に対する糾弾、罵声
(ウ)世の中が2次元にしか見ることのできない奴は、3Dメガネをかけたほうがいい
(エ)お前の一番大事なものを差しだせ、と言われたとしてもそれは決して命をくれと言われているのではない。
【5】担任が主人公に指示した内容として正しいものを次の中から選びなさい(20)
(ア)整理整頓清掃清潔しつけ(5S)
(イ)朝の号令
(ウ)放課後一緒に欠席者へのお見舞い
(エ)バケツを持って廊下に立ってなさい
【6】この文章で作者が言いたかったこととして、もっとも内容の近いものを次の中から選びなさい(30)
(ア)ヒマそうなひとに向かって、どうせヒマなんだろという誘いは、往々にしてヘンなプライドみたいな気持ちを呼び起こさせる結果となるので、あまりやらない方がいい。
(イ)もうわたし(=作者)に残された選択は、押入れにこもって虚構の中に身を没頭させるか、もしくは、旅に出るかしかない
(ウ)「あなたは幸せですか」「三食飯は食えます。寝る場所もあります。戦争に駆り出されることもありません」とてもこれ以上の幸せは思い浮かばない。
(エ)先生が必ずいつもどんなときでも携帯しているという先生の持ち物リストをどうしても一度目にしたくって、そう思い始めたら、そのことしか頭ん中に浮かばなくなって、眠れなくなって、そうして不眠症になった。
見えるのではない。感じるのである。
幼い頃から恐怖が在った。静けさの中に、連なる灯火の群れ。祭囃子が尾を引いて途切れた其の後にさえ、焔の輪郭は残った。此処は稲荷神社だからと、友人の間で噂に聞いたことがある。狐の神様が人間世界に窓を開ける。炎を纏う狐面の舞い、幼い頃のわたしたちはそれを狐火と呼んで畏れた。子どもながらの、怪談話にもならぬ他愛なき空想である。
苔生した小さな階段を上り、石畳を歩くと、記憶の果てからそれは浮かび上がってくるのであった。あの頃、わたしたちは夜の境内のその風景を、決して直視してなどいなかった。感じていたのである。瓦礫とも見紛いそうな灯籠の陰から、埃の立つ物見櫓の麓から、石畳を挟む木陰の奥から、得体の知れない闇が流れ込んでくるのを感じていたのだ。だから怖かった。けれども今はどうだろう。光が差さぬだけの暗がりは陳腐に見える。視界が届かぬだけで、其処に人外の存在を感じることも無い。かつて身の毛を弥立たせた葉を揺らす夜風さえ、今では心地のいい酔い覚ましの良薬である。脳裏に閉じこもった恐怖とやらは、石畳に連なる灯籠を眺めても蘇ることは無かった。何故だろう。見えぬ、感じえぬ。白日の下、照明の中でもいい、瞼を閉じても光を感じることが出来る。そんな感覚に近い。無数の灯籠の前を横切ろうとも、感じるのは、仄かな温みと、数多の視線だけである。
わたしは一本の灯籠の前で立止った。
あるいは。
わたしは一部始終を見ていた。泥に塗れたスーツ姿の男が、石畳に現れ、ふらふらと歩んでくるのを。両脇に並んだ友たちが、男の覚束ない足取りを見、けらけらと笑っている。蒼い焔に、黄色の焔、燐光に包まれた友の生首の笑みを久方ぶりに見る気がする。男は、わたしの前に立ち、そうっと腕を突き出してきた。
境内に棲むのは、生首灯籠。人の首を乗せた、奇怪なる妖かしである。それを教えてくれたのは、矢張りかつての友人たちであった。そう、何時ぞや夏祭りで知り合った、懐かしき友。
目の前にある灯籠は誰の首か。既知。わたしが捜し求めていたもの。焔の中でわらう生首は、誰でもない自分のものだ。思考などはせず、見えるのでもない、感じるのだ。
わたしは男の両掌に挟まれ、脳も持たず、彷徨を続けていた己の胴の上に乗らんと焔を離れる。頭上に輝った星の煌きを、眼球が捉えた。
わたしは佇み、今漸く首を傾け、星々を見るのである。
― 樹海を抜け出すと 目にまっすぐに飛び込んできたのは
星屑またたくユートピアだった ―
☆★星屑ユートピア★☆
そこは夜なのに星屑の光でとても明るかった。
そこで男の子が一人なにかをしていた。
君はこんな所でなにをしているの? と、僕がたずねると、その子は星屑を集めていると言った。
遠く離れた場所に研究所があり、集めた星屑をそこで売って生計を立てているのだという。
僕よりも4つくらい年下だろうに、偉いなあと思った。
「そんな事より、ここは明るくて危険だからモンスターがくるまえに逃げよう!」
「どこに?」
僕はなにも言えなかった。
迷子だからどうしようもないのだ。
「ねぇ、お兄ちゃん。ぼくの星屑、とらないでね?」
「いらないよ! 大体そんなのどこにでも落っこちてるだろ!」
「こんなにいろんな種類の星屑、みたことある?」
そういえばそうだ。
赤、緑、黄、青。色とりどりの星屑は、とても鮮やかで綺麗だった。
「……ほしい?」
いらないと言っているのに、しつこく訊いてくるものだから怒ってしまった。
仲間からはぐれたイラ立ちと、戦える力のある者がいないこの状況に焦っていたからかもしれない。
「うるさい! そんなのもってたってしょうがないだろ!」
するとその子は、なんの脈絡もなしに何故かにこっと笑った。まるで僕の心を見透かしているかのように。
「星屑はね、ぼくたちを守ってくれるんだよ」
やはり子供だ。ただの星屑にそんな力があるわけない。もしそんな事を信じてるようなら、僕が教えてやらないと。
「だからっ――」
説明する口を開いたそのとき、その子の背後から大きなモンスターが襲いかかってきた。
僕は怖くてその子を置き去りにして一目散に逃げ出した。
そしたらなぜか、その子を無視して僕を襲ってきた。
「なんで僕を狙ってくるんだよっ!!」
あの子のほうが小さくて弱いのに、動物の性格的に間違ってるじゃないか。
走る事よりも現実を受け入れない事に必死だった。
ふと、モンスターの足音が消えている事に気がついた。
はっとなって振り向くと、モンスターは倒れて動かなくなっていた。
「星屑……?」
モンスターの頭の上に星屑が刺さっていた。
偶然だろうか? 空から星屑が降ってきてそれが当たったんだ。
僕は悠然と歩いてくるその子を息を切らしつつも見た。
「ね? いったとおりでしょ?」
またなにも言えなかった。というより、安心していたのかもしれない。
その子と、星屑の、その力に。
あなたはあくびを殺しながら私の右腕に腕輪をつけた。ふたりおそろい、しろつめくさで作ったの。
「ではいきますか」やけにのんびりとあなたは言って、私の手を握った。ほんわりと優しいぬくもりが伝わってきた。冷たいなあ、とあなたはつぶやき、暗い穴に入る。手を引かれた私は振り返る。しんしんと雪の降ってくる空を見ておく。
穴の中には乾いた枯葉がたくさん置いてあって、お日様の香ばしい匂い。
枯葉の中にせーのって沈み込む。
かさかさと音が鳴って、なんだか少しこそばゆい。
初めての冬、私は少し興奮していた。だって、春までの間ずっとあなたの匂いが、体温が、寝息がいつでも右隣にあるのだから。私はちょっとエッチな気分になっていた。なんとなく落ち着かずに、寝る体勢を微調整し、その度に鳴るかさかさが妙に気になった。
もしもあなたがすぐに眠ってしまって、変な興奮している私がずっと眠れなくなったら・・・。
考えれば考えるほどもっと気になって、目が冴えてくる。思わずあなたの手をぎゅうと握る。
「どうしたの?」「足の先が冷たくて」とつよがりの私がごまかす。
「あたためたげるよ」
ゆっくりさすってくれる。かさかさ、がさっきまでとは全然違って聞こえた。「だいじょうぶ」と言われてる気がする。なんかふわふわして、思わずあくびがでた。少し遅れてあなたもあくびをする。あ、うつった、と思うとなんだかうれしくなった。
あなたは穴にたんと蓄えてあるどんぐりをひとつつまんでかじる。こりこり、って美味しそうな音がして、私も食べたくなる。ひとつつまんでそれをかじりながらつぶやく。
「ねえねえ、春になったら、野原で寝転がろうね」
あなたはゆっくり答える。
「ハルは、ねむるの、好きだねえ」
やわらかい陽だまりをあなたと感じたいんじゃないのもう鈍感、って悔しいから口には出さず、かわりにあなたの左腕にあるしろつめくさの腕輪を触って、解けていない事を確かめた。
あなたは大きなあくびをして、おやすみ、とささやいた。もう寝息を立てている。おやすみ、と答えて私もあくびをする。あなたのがうつったんだ。やっぱりうれしくなって、手をまたぎゅうと握った。こうしてたらぐっすり眠れるかな。だいじょうぶ、って聞こえた気がした。春までちゃんとつないでて。だいじょうぶ。
なんだかあなたの夢を見れるような気がして私は、急いでどんぐりを飲み込んだ。
街道。
白い光。
木陰の形は、遠い記憶。
「ブッラクホールに入ったらどうなると思う?」
僕に何か尋ねるとき、瀬川、君はいつも微笑んでいた。
ブラックホールではとてつもない重力がはたらいている、程度の知識はあった当時の僕は、少し考えて、「押し潰されるんじゃない」と答えたように思う。
「うん。実はね、潮汐変形を受けて、入ったものは棒状に引き伸ばされるんだ。スパゲティ化現象と言うんだけれどね。潮汐力は分かる? 潮の満ち引きは月の引力によるものだとは知ってるよね――」
瀬川は潮汐力について一通り説明した後、宇宙はどのようにして形成されたか、エーテルの存在等について話してくれた。
「何故風が吹くか知ってるかい?」
「建設時屋上にあるクレーンは、どのようにして下ろされるのだと思う?」
「海流が何故出来るか分かるかい?」
瀬川は僕に心躍る疑問を毎日贈ってくれた。成長するにつれ、人見知りで内気になっていた僕に対し、クラスの人気者だった君は、変わらず親友として接してくれたね。
赤方遍移、ラプラスの悪魔、モンティ・ホール問題、コリオリ力、コンプトン散乱……今では知っていて当然のワード達。しかし中学生だった当時の僕は、君がくれるそれらの言葉に、未知なる未来を感じていたよ。
瀬川、君が変わったのは、あのときからだろうか。
「回転は、音だからね」
脈絡の無い瀬川の返答に、謎掛けかと戸惑う僕を見て、君はひどく驚愕していたね。
(――すまない……)
(――今日は一人で帰るよ……)
(――考えたいことがあるんだ……)
夜12時に君が僕の家に押しかけて来たあの冬の日を、僕は生涯忘れないだろう。
「本当に、君は、何も、感じないのか!?」
両手両腕を広げる君に、僕は冷たい玄関で、困惑しか返せなかった。
八角人形、円の外角、有限な白、隅のテトラグラマトン――。
ねえ、瀬川……君は余りに多くの謎を残し、去ってしまった。
君は言っていたね、宇宙には“閉じた伸縮宇宙”と“開いた発散宇宙”の2つのモデルが存在すると。
この宇宙の曲率が限りなく0に近いならば、僕はどうだろう。果たしてどちらの道を進んでいるのだろう。
ねえ、瀬川。
君は世界の何を見たんだい。
父は仕事で疲れて帰ってきても、いつも笑顔を絶やさない穏やかな人だった。
母は料理上手でおだて上手で、時々怒るけどそれでもとても優しい人だった。
姉はわがままで一直線な性格だけど、いつでも僕の手を引っ張ってくれる、そんな頼れる人だった。
この愛すべき人たちは、今はもうどこにもいない。
僕が『それ』を知ったのは雨の降る夜。
近所に住む従妹の女の子と一緒に荷物の整理をしている時だった。
父の書斎を片付けていた従妹が一通の封筒を持ってきて「ごめん」と言いながら僕に差し出した。
何の事かも分からずに僕はそれを受け取り、そして『それ』を知った。
初めは理解できなくて、理解しても『それ』を信じることはできなかった。
混乱する頭が一瞬フッと空っぽになって、外に響く雨音が耳に入り僕を現実へと引き戻す。
頬を伝う涙に気付いた。いつの間にか跪いている自分に気付いた。そして、目の前にしゃがみ込み、僕の手を握ってくれている少女に気付いた。
温かい、姉の『それ』とよく似たとても温かい手が、僕の心を支えてくれていることに気付いた。
封筒と、そこに入っていた一枚の紙は、今は床に落ちてその悲しい事実を晒していた。
戸籍謄本というものがある。『それ』は、僕に悲しみをもたらした。
家族を失い、絆という思い出に縋る僕から、血の絆を『それ』は奪い去った。
後になって気付いたのは、家族を失った事よりも、僕だけが本当の家族ではなかった事の方が何倍も悲しかったという事。
僕はそれだけ家族を愛していたし、多分、愛されていた。
だからこそ、その事実は僕に大きな悲しみをもたらした。
だけど、僕は知った。血の絆よりも大切なものを。
温かい手の少女が『それ』を僕に教えてくれた。そして『それ』は、やがて子という名の絆を僕にもたらしてくれた。
子はかすがい。
昔の僕が、あの愛すべき人たちの『それ』であれたのなら、僕にとってこの上ない幸せである。
夏休み、寮生活を送る三吉は久々に故郷に戻ってきました。村の人々は三吉を見て、あの悪戯っ子も高校二年生だとよ、町は時間も早く過ぎとるようだ、と噂しました。
三吉は川原を歩いていました。誰かが西瓜を冷やしていたら、食べてやろうと思っていました。
すると、川原の上で椅子に腰掛けて絵を描く男が居ました。シャツの裾や腕には絵の具が飛んでいます。後ろ姿から四十代半ば、と三吉は思いました。
「ばぁ」と言って三吉は男の顔を横から覗き込みました。男は驚いて、嫌な顔を見せました。
「なんだお前は」
「さんとこどっこい、どっこいしょの三吉だい」
「ははぁ、おもしろい奴だ」
「あんたは誰だい」
「俺はぶくぶく老いしげ、しげ垂れるの稲生様だ。おい、不出来な顔をした奴少し付いてこい」
稲生は藪の中へ入っていきました。三吉も一緒に付いていきました。幾らか歩くと、切り立った斜面にぽっかり空いた洞窟が現れました。
やや、こんな所に洞穴があったとは。三吉は興味津々に穴の中へ入っていきました。
中は暗く、外の光も届きません。手探りで進んでいくと、ぼんやりと灯りが見えてきました。
それは一本足の台に立つ蝋燭の灯りでした。隣には揺れる火に影を揺らす老人が座っていました。
「あんたは誰だい」
「わしは仙人だ。稲生はここに来ることを許しておるが、お前はなんだ」
「三吉様だい」
「こら、さっきと同じ挨拶をせんか」
「なんだこの小童は。なぜこいつを連れてきた」
「見込みのある奴だと思ったんですがね」
「全く詰まらん奴だ。見込み違いだな」
すると、どこから甲高い声が聞こえました。
「お前は詰まらん。それより大事な物をよこせ」
三吉が声の主を捜していると、蝋燭の火から火の精が現れました。
「おい、大事な物をよこせというのだ」
三吉はポケットを探りましたが何も出てきません。
「そうだ、これでもいいかい」
三吉はシャツを手繰り上げて、一本だけ伸びた臍の毛を抜いて火の精に差し出しました。
火の精は毛を受け取ると、ジジッと音を立てて食べてしまいました。そして幾つもの小さな火を生んで、輪を描きながら踊り始めました。
初めて見る火の舞に三吉は目を輝かせました。
「全く汚い物を見せられた代償だ」と言いつつ、仙人も満足げな表情を浮かべています。
稲生は紙と鉛筆を取り出し、「今年もこれで食ってける」と言って下手なスケッチを始めました。稲生の絵は毎年日本を幸せにします。
「生まれた時から待ってたの!」
野原で回転する君の笑いと叫び。微風も頬に吹いてきて。天を君につられて仰ぐと。永久に浮かんでいて欲しい夏の雲。
「もっとこっちにおいでよ!」
喜びかなしみオレンジワンピース。涼しげに君はいつの間にか遠く。苦しくって僕も追いかける。
「ルーレットみたい!」
いつか見た光景に君がしゃがみ。見上げて花を指さし報告。
「くるくるー、ってなりそう!」
うん、と苦笑。
「うん、確かにルーレットみたいだけど、それは時計草だよ。よく見て、文字盤と針に」
「にゃっ、時計だったんだね! ねぇ時計さん、間違えてごめんねぇ、くるくるー」
「ルーレットじゃないんだよ、くるくるって。て、しかもそれ反時計回り」
「りんは進むはいやなのぉ! お兄と一緒なら何度でも繰り返すから!」
螺旋のように時針は悲痛に丸まり。りんは急に抱きつく。苦悩に心臓がくねり草の上に転がる。
「ルーレットも時計も何でもいい、ずっと待ってた。ただずっと、お兄と二人でいられる日、ね……」
熱。つくりごと。戸惑と焦り。りんの急に大人びた声。艶なる息。気が体中を駆けた。たまらずりんを抱きしめ。目に眩し。褥に注ぐ天の陽の光。りんのにおいが背中から満ちる草のにおいにまじると。遠くで犬の声が。
「我慢して。天から見られてるから、私の名前を呼ばないで。でないとそこで終わっちゃう」
頷く。苦しげに震える背中を両手でさすり。りんはここにいる。ルビーの活字で心に刻む。
「無理しちゃだめ、力を抜くんだ」
黙ってりんは僕の肩にうずめていた顔を上げる。瑠璃色の瞳の奥。くるくる時計草が反時計回り。りんと僕はくちづけて。天は見てるだろう。生まれた時から。ララバイとエレジィ。今際の歌唄。ためらいフラジャイルそっと。時は夢の中。体は現実の続き。君と僕とは愛しあう。生まれた時から待っていた。
黄昏に溺れる寝台に横臥。画家はもうこの病室を去った。大海を知らない少女の一輪を携えた姿を描き終えて。天上までサナトリウム文学は続く。朽ちかけた扉が開かれ。レンブラントの解剖学講義。銀色の死の影を医者たちが覗き込む。
夢幻の中か。
彼は五分で一周程度さっき映像化した幻を観ています。
凄まじい病だな。
なにしろ、覚めたくないくらい幸せで辛いんですから。
来訪者が去るのにも気付かず眠る男。鼓動は窓の外に咲く彼女へ。永遠に外の世界まで巻き込んで続く。くるくるくる、一輪の時計草。
「ただいまぁ」
栄太は台所、母親にまっすぐ会いに向かった。
そして、封筒を渡した。さすがに無理だろうと思いながら……。
封筒の中身を一目見ると
「あなたなにをいってるの夏休みはお勉強でしょ。夏期講習休むつもりなの?」
あっさり、否決されてしまった。ゴルフのコースレッスンと、イベント保険の申込書はポンとテーブルの上に落とされてしまった。
「うん、そうだよね。無理だよね。いや、その、一応誘われたから、ハイって返事しちゃったら、これ渡されて、一万五千エンだなんて知らなかったんだよ」
それでも、平気な顔してる。ぐっと大人になったようだ。
「そうよ、ウチにそんなにお金があると思ってるの、夏休みはお勉強に集中して頂戴」
母親がめずらしいものを見るような顔で栄太を見てもう一度、
「だめよ、勉強しなさい」と、言った。
ところが、一転、逆転して栄太はコースデビューすることになるのだ。それというのも、母親がもう一度考え直すのだが、潔く諦めた我が子のことを父親に言って見たくなったのが、話の展開を招いたのだ。
母親としては誰かに自慢したくなるような、栄太の変化だった。あまり勉強ができるわけでもないのはわかっていた。だめでもしょうがない、ちょっとでも勉強してくれるならと、考えていたのに、なにか、子供からおとなになっていくのを感じるような嬉しさに、いいつのる相手としては父親ぐらいしかいない。
そうしたら、父親の言うには勉強は大事だが、いま、ゴルフは飛び出せるチャンスのときなのだという。それというのも、
いま、学生アマチュアはせいぜい2回ほどのトーナメントしか出られないのだ。2週間までしか学校を休めなくなったのだ。
だから、予選から一週間かかる試合なら、二回しか参戦できないのと言うだ。
学校を放り出して年中試合をしながら強くなる道が閉ざされた。
誰にでも、ちょっと余裕があるなら、学生チャンピオンになれるチャンスのときなのだ。というのが父親の意見だった。
栄太にとって両親の仲良いところを大いに感謝。コースデビューを果たせることになる。
そのときも、栄太は、
「わぁ、ほんとに? ありがとう」って言ったのだが嬉しそうなのだが、落ち着いていて。母親としては物足りないくらいだった。
広いグリーンに向かって、歩いていく。さそってくれたゴルフ場のおじさんは、元プロ滝音重雄、近所の主婦甲斐小雪、シングル屋福次郎、高校二年横林栄太の4人、スタートである。
八月の夕暮れ前の炎天下には急勾配の坂の途中に陽炎が立つ。陽炎は境界となり、景色を散りぢりにして揺らしていた。そのゆらぎの中に散らばった色が少しずつ繋がりあって輪郭となり、やがてそこから一人と一匹が姿を現した。
一匹は老いた小犬で、リードは既に外され、震える足取りで一歩いっぽ確かめるように歩いていた。それを老爺が斜め後ろから固唾を飲むようにして見守っている。老爺は骨に皮の張りついた晩秋まっ只中の身体をステテコとランニング、便所サンダルで装うという、人目というものをまったく気にしていない出で立ちだったが、老犬が心配そうに振り返るたび、駆け寄って抱きしめてしまいそうな自分を抑えている様子――犬の目は気にするようだ――が見て取れた。老犬は数歩あるいては振り返り、そのたびに二人きりの世界の匂いが強烈に沸き立つ。やがて二人はよちよちと去っていった。不意にセミの死骸の放つ、腐り始めた蛋白質の甘い匂いが鼻についた。セミを見やると、この炎天下には働きアリも休むようで、生前の姿のまま取り残されていた。
強い風が東から吹き始めた。東の空を見上げると、いつの間にかもやのような雲が現れていた。
もやはすぐに厚みのある雲となり、風に煽られるまま西を目指していた。そうして散りぢりの雲たちは集合体となり、傾いた太陽の陽射しを遮りながら空を覆って地表を陰に落とした。沈黙していた田圃で一番蛙が啼き声をあげると、そこに潜む無数の蛙が一斉に共鳴し、草花を震わさんばかりの大絶叫となった。セミにはいつしかアリが喰らいつき、黒い群れは塊となってセミを蝕んでいた。雲に追われるようにして日が沈み、物陰からコウモリがつがいで飛び立った。暗い橙色の空の下で、コウモリは影だけの存在となってクネクネと跳ね回り、地上の獲物を嬉々として物色した。
ついに雲は空を覆い尽くし、夜に蓋をした。風は冷気をはらんだ夜の匂いがした。
風が止み、雲がすべて西へ流れきってしまうと、既に沈み始めの月が黒い空に青白く浮かんでいた。
遠くで花火があがった。
街灯の明かりの下を、軽薄で悪趣味な柄の浴衣にくるまれた子供たちが、手を叩いて笑いながら歩いてゆくのがみえた。だが、あの道は誰もが歩き、父とその父も歩いた。ただそれだけのことだ。
※
「昼の死と夜の生という対比を軸に変化と存在の繋がりを書いたんだ。どう?」
「つまんない。それに、なんだか念仏みたい」
愛すべき息子に「違和男」なんて名前をつけた親が、息子の将来にどんな願いを込めたのか。
字面通りなら、その願いは見事に叶った。違和男は周囲に違和感を与えるだけにとどまらず、常に和を違える男だった。違和男がいるだけで秩序は乱れた。と言っても無法者なのではない。小学校の時、いじめはいけないと言ってクラス中から無視され、無視されるとPTAに訴え出た。とにかく正論を吐いてその都度孤立した。道ばたで他人を注意して殴られるなんて日常茶飯事だった。どこに行っても煙たがられ、進学も就職も順調にはいかなかった。
違和男が町の小さな工場で働いていた時、悪い工員たちが強盗の計画を立てた。適当な嘘で騙された違和男も頭数に入れられ、彼らは大富豪から金を奪った。翌日大富豪の元に、違和男が金を返しに来た。違和男も逮捕されたが、大富豪は彼を擁護した上に、返却された金を全額寄贈した。
工場長は違和男の率直で高潔なところを高く買っており、その金で選挙に出ろと勧めた。だが違和男は、町が殺風景だという住民の嘆きを聞き、金をばらまいて公園を作った。今度は工場長が嘆いたので、なんとか金を工面して衆院選に出た。公園を作ったことで知名度と支持を得て、違和男は当選した。
違和男には聖域などなかった。どこにでも踏み込んで叩かれた。パフォーマンスと非難する向きもあったが、給料をごっそりコンビニの募金箱に入れようとして揉めていたところを、居合わせたマスコミが報道した。感心する者笑う者様々だったが、違和男は圧倒的な人気を得た。
世論に押し上げられて違和男は総理大臣になった。政治家としては大胆さしか取り柄がなかったが、違和男を慕って集まった善意あるキレ者たちが、具体的な所を補ってくれた。
そんなこんなで何度目かのノーベル平和賞を受賞した後、違和男は法案を提出した。国民投票の結果憲法が改正され、日本は王国になり、違和男は初代国王となった。並立する皇室との関係は多少の混乱を招いたが、問題はない。間もなく国連で全世界統一政府の設立が採択され、違和男はさらなる高みへ上るのだから。
「クックック……」
世界を見下ろして違和男は笑った。歪めた口と細めた目は、不穏な夜の鋭い三日月を思わせた。和を違え続けてここまで来た世界の王は、今度は自らが定めた秩序を、破壊しようとしていた……。
そういうことになってしまうから、子供の名前は慎重に考えよう。
ゆみなりのつきのひ。
少女は黒い大樹の下で服を着た大きな兎と言霊を重ねていた。真夏の夜の熱が汗として結ばれ、吐息が血風と共に流れていく。少女の細い指が兎の汗ばんだ体毛と体表をなぞり、爛々と輝く真っ赤な眼球へ何かを伝えようと伸びていく。兎の口からむせ返る様な呼気が放たれる。
おお、白き月の魔女よ。汝の望みはどこにある。
少女の首筋に放たれる兎の言霊。ほんのりと血の赤を帯びた彼女の背筋に、兎の汗が落ちる。
おぉ、なんという。
少女は呟く。もう全てがどうでもいいのだと。もう全てがお伽噺だと。つまり、彼女はとうに願いを告げていたのだ。全てから見放され、全てを憎む少女はゆみなりのつきのひに最後の夢を見にきたのだ。
あぁ、あぁ。なんということだ。
兎の暖かく大きな手が少女の手に添えられる。少女の瞳に揺れる赤が重なる。黒い影は少女の体を包み、月明かりは大樹に遮られ、熱気を帯びた風だけが少女を慰める。
私の主よ。美しき月の魔女よ。この哀れな兎に慈悲を。
少女の乳房に影が重なる。少女の唇に悲哀が潜む。
美しき我等が月の魔女よ。虚ろなその呪いをこの身に。大いなる暴魔の意志とその力を私に。あなたのために私は魔笛を鳴らしましょう。無垢なる世界に歌を聞かせましょう。あなたこそがこの世界を統べる実存であれ。
兎の瞳が、少女の背中を眺める。
原始の痛みが少女に新たな芽を宿す。聖なるものとは邪なる神と紙一重であることを少女は知る。大樹のざらついた表皮に両の手をあて、失った全てに別れをつげる。影が少女の全身を包む。少女はゆみなりに。
兎の声だけが少女を確かにしていた。何もかもが幻のように霞んで溶けるなかで、兎の言葉だけが憎悪を確かにしていた。少女は大樹に爪痕を残す。
白き月の魔女。私が憎いですか。
その兎の言葉に少女が応えることはない。
音は止み、影が夜を包み、二つの吐息が熱を帯びる大樹の元で、少女は全てを統べる夢を探る。
ゆみなりのつきのひ。
白き月の魔女は穢れた兎の魔笛を慈しむ。
影が消え朱が差し、冷たい風が訪れを告げる。闇にゆらり蠢く赤。幾百もの魔の眷属が少女に寄り添う。
少女を乳白色の石の玉座に乗せ、兎は自ら顔の皮を剥ぎ少女に与える。
大樹は枯れ、穢れの権化たる虫々の醜悪な足音が響く。
少女は残酷で可憐な夢を携えて、昨日までの自分に別れを告げた。
ゆみなりのつきのひのことである。
8月の、とある原子野を歩く私。
「ねえ、夏休みの宿題やってる?」
ヒロシマ・ナガサキの時とは、全く違う思想で作られた新型の原子爆弾らしい。
「夏休みの自由研究さ。この写真を見てごらん。体中の皮膚がむけて、赤くただれてるだろ。彼女は中学生の女の子でね、初めての恋文をまだ渡せずにいるんだ」
再びメールが届いた。
「相手の男の子は無事だったの?」
「ああ、彼は無事さ。裏山の鉱山で、ウラン鉱石の採掘に動員されていたからね」
「よかった。早く彼女のこと抱き締めてあげて。きっと、すごく怖がってるから」
私は裏山へ彼を捜しに行った。
「村井Aくん! どこにいますか!」
赤く燃え盛る街を、無言で見つめる男子生徒たち。
「同じクラスの坂本清子さんから手紙を預かってきたんです!」
「おい! キヨちゃんがどうしたって!」
私は、駆け寄ってきた村井Aに坂本清子の恋文を渡した。
「どうしてこんなときに」と村井Aは言いながら手紙を開いた。「そんな……、俺、嫌われてると思ってたのに」
村井Aは読んだ手紙をギュッと握り締めると、鉱山の斜面を転がるように駆けて行った。
「で、そのあと二人はどうなったの?」
坂本清子は数時間後に息を引き取った。村井Aは被爆の後遺症に苦しみながらも、79年の人生を生きた。
村井氏は晩年に記した自伝の中でこう述べている。
「幼馴染みだったキヨちゃんの変わり果てた姿を目にしたとき、私は彼女に近寄ることすら出来ませんでした。彼女はもう人間の姿をしていません。まるで地獄の使者か、さもなくば、新しい神か……」
私の自由研究はすでに5千ページを超えていた。ヒロシマ・ナガサキの原爆と酷似している、この新型爆弾の意味とは何だ?
「坂本清子は普通の女の子よ」
「分かってる」
「この戦争を止めて」
「それは出来ない」
♪おもく重なった アキバの空の下 人刺して わが子密室で 餓死させて 毎日の テレビ画面のあちらとこちら
「歌?」
♪息とめて 痛み閉じ込めて 死にたくなったら 一人で死ねっていうキモい戦争
「もうやめて下さい」
坂本清子が私の手をそっと握った。
「手紙、届けてくれてありがとう」
目の前には、緑の草原がどこまでも広がっている。
「ここは?」
「原子爆弾の故郷です」
誰もいない草原を、夏風が吹き抜ける。
「彼らを、故郷へ帰します」
「彼ら?」
メールが届いた。
「P.S. また、学校でね」
近所のスーパーのバイトを辞めてから、三ヶ月が過ぎようとしていた。そして今日は、ちょっとした気の迷いで、その元バイト先に一人の客として買い物に来ている。
もう辞めたといえど、いやむしろ辞めたからこそ、元バイト先に行くというのは気乗りしないものだが、今日は少し気分が違った。ちょっとおかしかったと言ったほうが正確かもしれない。
とにかく、来てしまったものは仕方ない。客観的に見れば品揃えは豊富だったし、ロケーション的にも自分からしてみればなかなか良かったので、来たからには色々買い込んでおこうと意気込み、売り場に向かった。
知ってるバイト仲間は、まだまだ店に残っていた。たまに目が合えば適当に会釈をしつつ、買い物を進めていく。そうしていると、突然自分の後ろから大きな声が聞こえてきた。
「何よ、買おうが買うまいが客の自由でしょ!」
女性の声。そして、あまりの大声に店中の空気が一瞬停止した。
自分も例には漏れず、そこで手が止まり、そのまま声がするほうに顔だけを向けた。
「ですから、冷蔵品はデリケートな商品でございますので、長時間取り出した状態でまた戻していただくというのは……」
そこにいた店員は、知ってる顔だった。元バイト仲間。お世辞にも仲がいいとは言えなかったが。
「そんなの、知らないわよ。だったらそのまま買えっての? 商品を買う権利も買わない権利も客にあるんだから、要らないのに買うとか、冗談じゃないわ」
「お言葉ですが、我々にだってちゃんとした商品を提供する義務がありまして」
「なに、私の戻した商品がちゃんとしてないとでも言うつもり?」
「いえ、そういうことではなく……」
『そいつ』の言葉遣いはまだ丁寧なほうだったが、話していくにつれ、明らかに苛立っている様子がわかった。思わず、傍にいた別の元バイト仲間に声をかける。
「店長、呼んだほうがよくない?」
「ああ、もう別の人が呼びに行ったよ」
「……そっか」
話しているうちに店長が駆けつけ、すぐさまそいつに頭を下げさせた。その態度からして、まだ納得こそしていない様子ではあったが、頭を下げたということもあり、一応事態は収束した。
そいつとは性格的に合わず、バイトを辞めるまで相容れなかったけれど、今回ばかりは同情した。
去り際にその女性が吐き捨てるように「ちゃんとやりなさいよ」と言ったときには、そいつはまた睨みつけかけたが、店長がすぐ気づき、諌めていた。
いざとなったら死ねばいい。悩むことはない。簡単なことだ
それを口癖に生きてきた。会社が前触れもなく潰れ、再就職が決まらないまま失業手当が尽きた今日。首を吊ろうとあっさり決められたのもそのためだ。
手頃な紐を探して押入れを漁ると、買った覚えのないウイスキーが出てきた。ずっと前に、友人が海外の土産として持ってきたものだ。
せっかくだし飲んでから死ぬかと、オン・ザ・ロックにして傾ける。クセがなくあっさりとした味で、喉をするする滑り落ちていく。高級というほどでもないが悪くない。
そうやって一杯二杯と飲み干し、三杯目に口をつけたとき、急に苛立ちが腹の底から湧き上がってきた。
なぜ俺だけ死ななきゃいけないんだ。誰かを道連れにしてやる。どうせなら大物がいい。
そう思ったとき、放置していた古新聞の一面に、有名政治家の顔を見つけた。こいつで決まりだ。世間をあっと言わせてから死んでやる。
そして次の日から、俺の暗殺計画が始まった。が、すぐに壁にぶち当たる。政治家なんて無防備に人前で演説していると思っていたが、いざ殺そうと観察すると、いつも近くにボディガードがいるのに気付いた。
しかたなく遠回りな手を使う。政治研究会を立ち上げ、あの政治家の支援者と付き合いはじめたのだ。
慣れぬ政治論を勉強し、支持者をおだて、俺は信用を得ていった。そしてついにその政治家のプライベートまでわかる立場になる。
だが奴に近づけば近づくほど、俺のやる気はなくなっていた。奴のことを調べて理解すればするほど、生きようが死のうがどうでもいい阿呆とわかったのだ。
俺は目的を失った。死ぬのももう面倒くさい。そんなとき奴の支持者の一人が、講演会の弁士をやってくれと頼んできた。
あまりにしつこいのでつい承諾し、演壇に立って適当な政治論を垂れ流す。するとなぜか聴衆からは満場の拍手。
弁士をするごとに謝礼が入るので、惰性で講演を続けていたら、不思議と支持者はどんどん増え、そのうち俺は選挙に立候補させられていた。
そして見事当選。喜ぶ支持者に囲まれ一人醒めていた俺は、駆け寄ってくる男を見つけた。ナイフを構え、俺に向かって突っ込んでくる。胸に突き刺さる冷たい感触とともに、景色が薄れていく。
そこで目を覚ました。テーブルのウイスキーがこぼれ、胸元を濡らしている。
「確かに、かんたんだ」
オン・ザ・ロックの氷は、まだ溶けきっていなかった。
「お坊さん、どうされました」
「いやいやこれは失敬。鐘をごんごんついとりましたら、ぎっく り腰になってしもうて。立てなくなっておったのじゃ。貴殿には 見苦しい所をお見せして仕舞って」
「そうでしたか。それはそうとあの件はどうなりましたか。イラ ンからイラン製の自転車が届いたと言うあの件は」
「ああ、あの件か。うん、わしん所も世の中のIT化に対応せねば と、ブログを開設して宣伝しとったら、あんな物が届いてしもう て。確かイラン製は輸入したらいかんのじゃ無かったか。たとえ 個人的な目的でも」
「いや、私は知りませんが。それよりもあの自転車、見た所軍事 目的で造られた物ですよ。ちょっとやばいんじゃないかと」
「それこそわしには分からんよ」
「お母さんの件はどうあいなりましたか」
「うん、その事よ。わしの実母はMHKのラジオ中国語放送の講師 をやっておった。ラジオだし天下のMHKだから、結構せこい苦情 がたくさん届いて来たと聞いた事がある。例えばマイクに少し多 めに息が吹きかかっただけでうっとおしいとか、紙の音が聞こえ て来るのはどう言う訳かとか、とにかく細かいし多いとか」
「それはそうとあの民事の件は」
「あれはわしが何も悪くないじゃろ。花の名前や特徴が解説して ある橋で女児が裸で出て来たのを、あ、かわいいと思ってデジカ メで撮っただけじゃ。挙句の果てには下着姿の女児まで出てきお って。かわいいと思ってすかさずシャッターを切るのは自然の流 れじゃろ。それをもうお布施は払えませんとは何と不自然な所業 じゃ。わしこそ訴えてやる」
「まあまあそう興奮なさらずに。少しあなたのマイナス面を思い 出させ過ぎて仕舞いました。私の不徳の致す所で。ところで、最 近伊井直弼の自伝を出版なさったようで」
「うむ。あれは畢生の大作じゃ。出版社のやつめ、是非出版させ てやって下さいと三顧の礼をとりおった。自費出版じゃないから な。売れるかどうかは分からんが、全て出版社持ちでわしの負担 は一切無しの出版じゃ」
「そうでしたか。でも、最近大腿骨の手術をされたとか」
「うむ、左足の大手術じゃった。名医のな、あの、ほれ、名前が 思い出せんが、あの、まあ名前は忘れたが、やつめ、わしがホッ トコーヒーを飲みながらくつろいで居る最中に手術を終え居っ た。どうやったかは口外出来んがな。水曜日の事だった」
「へーえ。企業秘密ですかね?」