第95期 #17

硝子は鎖す

 街道。
 白い光。
 木陰の形は、遠い記憶。

「ブッラクホールに入ったらどうなると思う?」

 僕に何か尋ねるとき、瀬川、君はいつも微笑んでいた。
 ブラックホールではとてつもない重力がはたらいている、程度の知識はあった当時の僕は、少し考えて、「押し潰されるんじゃない」と答えたように思う。
「うん。実はね、潮汐変形を受けて、入ったものは棒状に引き伸ばされるんだ。スパゲティ化現象と言うんだけれどね。潮汐力は分かる? 潮の満ち引きは月の引力によるものだとは知ってるよね――」
 瀬川は潮汐力について一通り説明した後、宇宙はどのようにして形成されたか、エーテルの存在等について話してくれた。
「何故風が吹くか知ってるかい?」
「建設時屋上にあるクレーンは、どのようにして下ろされるのだと思う?」
「海流が何故出来るか分かるかい?」
 瀬川は僕に心躍る疑問を毎日贈ってくれた。成長するにつれ、人見知りで内気になっていた僕に対し、クラスの人気者だった君は、変わらず親友として接してくれたね。
 赤方遍移、ラプラスの悪魔、モンティ・ホール問題、コリオリ力、コンプトン散乱……今では知っていて当然のワード達。しかし中学生だった当時の僕は、君がくれるそれらの言葉に、未知なる未来を感じていたよ。

 瀬川、君が変わったのは、あのときからだろうか。

「回転は、音だからね」
 脈絡の無い瀬川の返答に、謎掛けかと戸惑う僕を見て、君はひどく驚愕していたね。
(――すまない……)
(――今日は一人で帰るよ……)
(――考えたいことがあるんだ……)
 夜12時に君が僕の家に押しかけて来たあの冬の日を、僕は生涯忘れないだろう。
「本当に、君は、何も、感じないのか!?」
 両手両腕を広げる君に、僕は冷たい玄関で、困惑しか返せなかった。
 八角人形、円の外角、有限な白、隅のテトラグラマトン――。
 ねえ、瀬川……君は余りに多くの謎を残し、去ってしまった。

 君は言っていたね、宇宙には“閉じた伸縮宇宙”と“開いた発散宇宙”の2つのモデルが存在すると。
 この宇宙の曲率が限りなく0に近いならば、僕はどうだろう。果たしてどちらの道を進んでいるのだろう。

 ねえ、瀬川。
 君は世界の何を見たんだい。



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