第94期 #9

カラの世界

 緋色の羊水。
 伝う心音。
 暗闇の向こう、怨嗟の慟哭。
 夢の果てで、私は覚めない夢を見る。
 そこが、開かれたとき――



「こんにちは」
「おはよう」

 それが私とソラコの出会い。
 機械の山と、一軒の家と、うねうねした木と、真っ白な砂浜と、真っ青な海。そこが私とソラコの世界。
 この島だけが青空の下にあり、青の海に包まれている。水平の果てには黒が広がり、時折雷鳴に似た音が響いてくる。

 ソラコは私を『箱』から出してくれた。

「カラはどこから来たの?」

 カラは私の名前だ。ソラコが付けた。私の入っていた箱が私以外空っぽだったからだそうだ。

「よくわかんない。多分、怖いところ」
「そっか」

 ソラコと私は極自然に親友となり家族となった。無限の日常。私達は可愛らしい煙突のついた家で、点かない暖炉の前でぼーっとしては、砂浜に寝転がってぼーっとしていた。
悠久の会話。私達は何度も何度もお互いを想像し合った。

「カラはきっと遠い国のお姫様だったのよ」
「じゃあソラコは王子様?」
「私もお姫様がいいな」
「じゃあソラコは女王様?」

 幾千億もの夜を越えても尚、私達はずっとソラコでカラだった。私達二人の意識が溶けることなく、私達は常に孤独ではなかった。距離が、私達の魂を知覚させる。
 手を握る、その心のもどかしさが私達を守っていた。


 ある日、黒い雨が世界を包んだ。
 荒れ狂う海に機械の死骸が降り注ぐ。
 世界中の悲鳴が、ついにメビウスを破壊したのだ。
 また、私は失おうとしている。

「カラ。怖いよ。死にたくないよ」

 ソラコが私にあらん限りの力で抱きついている。その細腕から流れる血もまた黒い。

「カラ、カラ! 怖いよ! 死にたくないっ! 真っ暗は嫌、消えるのは嫌、忘れたくないよぉっ!」
「私も怖い」

 ソラコを抱きしめる。
 世界は黒の雨で塗りつぶされていく。
 あの可愛らしい家も最早、ただの汚物だ。

 私はソラコの手を引いてかつての砂浜へと走った。そして、予想通りのものがそこにあった。
 箱には、緋色の液体が満ちている。
 私はソラコを無理やりそこに押し込めた。

「やだ、やめて! 嫌っ!」

 私は黒い涙を流す。泣き叫ぶソラコを箱につめ、乱暴にその蓋を閉じる。
 そして、後に残されたのは。唯一人の恐怖。
 ――メビウスの足音が聞こえる。












 緋色の羊水。
 伝う心音。
 暗闇の向こう、怨嗟の慟哭。
 夢の果てで、私は覚めない夢を見る。

 そこが、開かれたとき―― 



Copyright © 2010 彼岸堂 / 編集: 短編