第93期全作品一覧

# 題名 作者 文字数
1 Dの呼応 アンデッド 1000
2 あの娘のシューズ 中崎 信幸 606
3 『天井裏の散歩者』 石川楡井 1000
4 貧と富の心の狭間で… 大荒 清統 968
5 言い訳 てつげたmk2 838
6 明日はそんなに晴れじゃなかった くわず 1000
7 まだ逢えないあなたへ 近江舞子 1000
8 いー 778
9 傷の話 でんでん 1000
10 いらっしゃいませ 岩砂塵 1000
11 カンナの日記 金武宗基 990
12 虚言癖 JUDE 529
13 前がみの人 香椎むく 998
14 星果録『真愛』の項 彼岸堂 1000
15 衝撃! 南光坊天海の恐るべき陰謀!! わら 1000
16 水底の世界 雪篠女 762
17 みえないナイフ 山羊 1000
18 月留学 立川雪 995
19 気になるなぁ おひるねX 872
20 時空蕎麦 笹帽子 1000
21 精神の統一 クマの子 1000
22 そらみみ 高橋唯 1000
23 スーパードライ 宇加谷 研一郎 1000
24 できるだけ素っ気なく、でも優しさを忘れずに euReka 977
25 気になること 篤間仁 1000
26 スプロール エム✝ありす 1000
27 十字路 るるるぶ☆どっぐちゃん 1000
28 動く物を食べる えぬじぃ 1000

#1

Dの呼応

 これは以前に僕が経験した話です。
 僕の友人にいわゆるオカルトマニア、その方面に強いコネのある人物がいました。その友人が悪霊だか悪魔だか何だかの声が入った不気味なテープを、独自のルートで入手したと言ってきたんです。僕には霊感とかもなかったので胡散臭い話だと思ったんですが、同時になぜか興味も湧きました。それで友人からそのテープを借りてみることにしたんです。今にして思えば、自身でそういった類の真偽を確かめたかったのかもしれません。友人は「お前を信用してる」と念を押してから、テープを貸してくれました。それでマンションの自室に帰宅後、テープを聴いてみることにしました。時代を感じさせる古めかしいカセットテープでした。所々に痛みがありましたが、再生するには問題なかったです。ラベルにはアルファベットで『D』と書き殴ってありました。どういう意味なんだろうと思いつつ、余り気にしませんでした。少し怖いので、テレビを付けっぱなしにしながらテープを再生。しばらく聴いてました。けどそれが、何も聴こえてこない。おかしいな、友人がテープを間違えたのかな、と思いました。その時、急に隣人が壁をバンバン叩いてきたんです。お隣りには、車椅子に乗った足の悪いお婆さんが住んでました。下からの目線ながら、常に僕を睨んでくるような人でした。音楽を聴いてると壁を叩かれることもありましたね。けどその時は、テレビの音量も大きくなかったんです。しつこく叩いてくるから、頭にきてこっちも壁を叩いてやりましたよ。すると、静かになりました。テープの方はというと、結局何も入ってませんでした。
 翌日の帰宅時。マンション入口付近が何やら騒がしかったので、居合わせた管理人さんに何事かと聞いてみました。管理人さんの話によると、お隣りに住んでいたあのお婆さんが、昨日亡くなったとのことでした。昨日が昨日だったので、人事にも思えず驚きました。しかも詳しく聞くと、どうやら自殺だったということです。天井から布か何かを垂らしての首吊り自殺らしい、という話でした。けどその話を聞いて僕はなぜか違和感を覚えました。
 後日、改めて友人にテープの件を聞いてみました。僕が受け取ったテープは確かに音声が入った本物で間違いない、と言ってました。その後、ふとなぜか気づいたんです。お婆さんは足が悪くて車椅子に乗ってたのに、天井から首を吊るなんてこと、出来るのかなって。


#2

あの娘のシューズ

 早朝、とある小学校にある下駄箱にて。

「おいっ!」
「何だよ」
「おまえ臭いぞ!」
「仕方ないだろう……うちの御主人様が、先週持ち帰るの忘れて洗ってもらえなかったんだから」
「その点、御主人様が女の子だといいもんだぜ」
「羨ましいな……それに、うちの御主人様は乱暴だからさ、ところどころ傷だらけで……」
「おまえ知ってるか? うちの御主人様は、おまえの御主人様のことが好きなんだぜ」
「それは驚いたな。こんな御主人様のどこがいいんだか……」
「考えてもみろよ。下駄箱の場所を決めるときに、こんなに近くになること自体がおかしいだろう」
「これって、出席番号順ではなかったの?」
「うちの御主人様が仕組んだみたいだぜ」
「学級委員だもんな……。やろうとすればできる立場だけれど、そんなことしないでさっさと告白しちゃえばいいのに」
「やっぱさ、女の子から告白ってなかなか勇気がいるもんだぜ」
「いきなり『好きです』って言われてもなぁ……まずは、話すきっかけがなくっちゃ! おっと、そろそろ登校してくる時間だ」
「オレにいい考えがある。まあ、見とけよ」
「何する気なんだよ。あっ!」

 下駄箱の前には、一足だけの上履きが落ちている。そこへ登校してきた男の子は、上履きを拾い上げると、すぐに女の子も登校してきた。
「それ、アタシの」
「ここに落ちてたぜ」
「ありがと」
「今日も……暑いな」
「うん。教室、冷房ついてるかな。早く、行こ」
 そして、二人は駆け出した。


#3

『天井裏の散歩者』

 蟷螂に威嚇の声はない。身構えて、背筋を伸ばして鎌を振り被る。ただそれだけのことで、無駄なき構えは完成し、迎撃体勢は整うのだという。教えてくれたのは婆だった。勝手口から忍び込んだ茶色の蟷螂は、石畳の上で、見下ろすが勝ちだと笑う婆の草履に踏み潰されたが、最期まで威嚇はやめなかった。
 天井に人ならぬ何かを飼い放している事も、夕餉の時間に婆は教えてくれた。だから天井裏には忍び込むなといわれ、僕も姉も震え上がった。夏の、一週間だけの、婆の家での宿泊は、初日から怖気を孕み、ただ一人、皆川は笑い飛ばしたが、僕と姉は気まずそうに白飯を飲み込んだ。
 皆川は姉が連れてきた。婚約者である。僕は苦手だったが両親の受けはいい。歓談して、婆も機嫌よく笑っている。すっかり気に入ったようだ。
 味噌汁を啜ると、口の端に髪の毛が引っ掛かった。摘んでみると縮れた白髪だった。調理の間に紛れ込んだらしい。夕餉を済まし、姉が風呂に入っている間、僕は皆川と茶の間で過ごしていた。会話はない。皆川は携帯電話をいじりながら、何かぶつぶつ呟いている。僕は座布団に顔を埋めて、眠るふりをしていた。鼻に何かが触れた。婆の白髪だった。
 就寝が近付き、与えられた床の間で布団に身を預けたとき、枕にも白髪を見つけた。毛を摘んで怖気を立たせていると、天井裏で何かが擦り歩く音がした。人ならぬ何かの正体を探る好奇心は持ち合わせていない。布団を頭から被る。そうして夜を遣り過ごす。
 翌朝、姉と皆川は一時間ほど遅れて起きてきた。朝食を出しながら、手伝いもしないで、と厭味を吐いた婆。僕は離れて夏休みの宿題に手をつけていたが、その瞬間、婆の耳元から毛がひらりと落ちたのを確かに見た。
 丑三つ時には、姉たちも婆も眠ってしまった。家も、晩夏の夜に冬眠している。用を足してから寝れば良かったと悔いながら、冷たい板張りの廊下を歩いていると、耳の端で幽かな声を拾った。便所に向かうのも忘れ、声のする方へ忍び寄る。徐々に明らかになっていく声は、姉の寝る部屋から聞こえた。僅かに障子が開いている。初めて聞く声色だった。片目を隙間に押し当て中を覗くと、姉の上半身が布団からはみ出していた。揉まれる乳房。喘ぐ姉の上に皆川が乗っていた。
 ふと視界で捉えた、天井から垂れた髪は、白く長い。
 蛍光灯の傍ら、無表情で目を剥いた婆の横顔が、二人の夜伽を凝視していた。腿を、温い尿が伝う。


#4

貧と富の心の狭間で…

2015年、それは僕がまだ6歳だったころ。中華人民共和国でマグニチュード8.4の大地震が発生した。
国際防災戦略(ISDR)の発表では死者は11万8000人にも及ぶと発表した。
世界中から支援・救助部隊が中国に送り出された。もちろん、日本からも…。

生存者1名を救出!! 医療班はすぐに治療を開始!! そんな声が響いていた。
僕は、両親に連れられて廃墟と化した大国にいた。埃や塵が舞い、瓦礫だらけ
の土地で、ただ父親の仕事を眺めていたのだ。
あたりを見渡すと、僕より2つ3つ上ぐらいの少女がいた。ボロボロの姿で…。
僕は母親が中国人のため、日本語よりも中国語のほうが得意だった。
地震というものをほとんど理解してなかった僕は無邪気に少女に歩み寄り、話しかける。
「なんでそんなに悲しそうなの?」僕は言う。
「お母さんも、お父さんも…どこかに行っちゃった。」
「どうして?」僕は相手に構うことなく、質問を続ける。
すると彼女は泣きながら、答えた。「お‥カネがないから、おうちがないから…育てていけないって…。もう一緒に暮らせないって…。」
当時の僕はとんでもないことを言っていた。「おカネなら銀行行けばいっぱいあるよ〜。」
少女は、少し間をおいて言った。「銀行のは自分のおカネじゃないじゃない。」
僕は勘違いしていたのだ。銀行に行けばおカネがいっぱいあると、好きなだけ使えると…。
「そんなことないよ、だってママはいつも銀行に行っておカネを持ってくるよ。」
すると少女は大粒の涙を流しながら叫んだ。
「もうあっちに行って。」
あまりの声の大きさに、周りの人が一斉に振り向いた。
そこで僕は父に呼ばれ、もうテントに戻っておくように言われた。
僕は父に怒られ、少女に悪いことをしたと後悔した。
後で聞いたのだが、その少女の名前は江小芳といい、日本の医師の人が引き取ったのだそうだ。
僕は、瓦礫の下で中国人女性の顔を眺めながら、思い出していた。
ホントにあの時は申し訳なかったと。ごめんなさいと言いたかった。
あんなひどいことを言った僕を助けに来てくれて、ありがとうと言いたかった。人生なんてどうなるかわからない。お金なんて当てにならないって、金銭的富よりも、心の富が大切なんだと、この瞬間思った。ありがとう、気づかせてくれて。僕は、彼女の手を握りながら言った、「あの時はごめんね、小芳さん。」


#5

言い訳

彼の名前は矢村守――二十六歳、独身。
 時間は午前十時三十分
 守は、会社へ出勤するために電車に乗っていた
 
電車内は通勤ラッシュの満員状態……には程遠く閑散としていた
 「まいったな――五日連続で遅刻しちまうなんて。」
 守は五日連続で座って出勤している自分に呆れつつ独り言を呟いた
 「昨日、部長と約束しちまったからなぁ……今日、遅刻したら辞表を出しますって」
 鬼の様な形相の部長とのやり取りを思い出しながら窓から天空を昇りつつある太陽を睨めつけてみたりした
 タッタッタッ……革靴の底面から音が響く――守は自分でも気がつかないうちに右足で貧乏ゆすりをしていた
 「何か――何か、良い言い訳はないか?」
 腕を組みながら脳味噌の中にある引き出しをつぎつぎに開いていった
 タッタッタッタッタッ――右足で取るリズムが早くなる
 「目覚まし時計が壊れしまいまして……あぁ、こりゃ一日目に使ったな――。」
 右手の親指を数え折りながら次の引き出しを開いた……
 「電車が渋滞に巻き込まれまして――」
 「強風の向かい風に出会いまして――」
 「夢の中で仕事をしていました――」
 「ウィッキーさんに捕まり英会話をしていました――」
 「ウィッキーさんが……ウィッキーさんで……ウィッキーさんと……」
 「――いやいや、ウィッキーさんに拘り過ぎだろ俺?。」
 守は「ぶるん、ぶるん」と、頭を右へ左へと何度も振った
 「何か――何か上手い言い訳がある筈だ」
 タッタッタッタッタッタッタッタッ――更にリズムが加速する
 そして、奇跡の引き出しが開かれた――
 「……ん! これだ! この言い訳なら部長どころか全人類が納得するぞっ!」
 守は「最高の言い訳」を思いつき興奮気味に貧乏ゆすりを最大加速させた
 タッタッタッタッタッタッタッタッタッ!
 右足は残像を残し音速を超え……次の瞬間――光速を超えた
 そして、時間が逆転した。
 
彼の名前は矢村守――二十六歳、独身。
 時間は午前十時三十分
 守は、会社へ出勤するために電車に乗っていた。


#6

明日はそんなに晴れじゃなかった

 ふぁごふ、なんて言うから何ごとかと思ったら、人を轢いたのだった。
 人轢きが善いことなのか悪いことなのか頭が判断する前に、脱げた右足のヒールをシートの下に探そうと屈むと眩暈がした。眩暈だけは善くないことだと即座に判断するも、脳の揺れが治まるのを目を瞑って待ちながら、手探りで何か掴んだと思いきや、ヒールではなく携帯電話だった。
 これも何かの縁と、ゆうちゃんに電話をかける。ゆうちゃんは今頃、居酒屋のバイトで一番忙しい時間帯だろう。
「もうかけてくんなッつッたろがクソアマッッ」
 人轢いたんだからクソアマ呼ばわりもしようがないか、と思っているところを見ると私はどうやら人轢きを悪と認識しているようだった。ゆうちゃんの罵声の背後から漏れていた見知らぬ誰か達の賑わいが耳に残る。俄然揺れに揺れる私の脳の中で、賑わいは旋律になり、感じるはずのない人いきれが夜冷えに晒された頬を少し上気させる。
 クソアマックッソアマッ、と鼻歌雑じりに車外に出てみると、轢かれ人のヒールがショッキンググリーンでいかにも私好みだったので、相変わらず見つからない私の右足ヒールの代わりに頂戴することにした。
 不意に、故郷の母から電話があって「浩正叔父さんが亡くなったのよ」と訃報を受ける、という想像をしてみる。浩正叔父さんの思い出と言えば、小学二年の時に尻を五秒間ほど触られたことと、左手中指が欠けていたことだけだ。それでも悲しむべきだろうかとぐずぐずしていると、母はもう次の話題へ移り「家の近所に汚ねぇババァのブティックができて」などと話し出す。「そんなブティック燃しちゃえ」などと妄想母を唆していると、いつの間にか自宅のあるアパートに着いている。ドアの前に立っていると、もう自分は死んでいるのではないかという疑いが競り上がってくる。けれど私の脳内に生えた、自己死人像の原始想念は、でもそこから少しずれてやはり脳の内側で文字になる。その少しのずれによって、私は本日最も白けてしまう。白けついでに「あら、私ったらもう死んでいるのかしらん」と声に出してみると、姿の見えない野良猫が「なあん」と返事をする。
 家を出る前に沸かしてあった風呂に浸かりながら、そう言えば轢かれ人埋め忘れたな、と気づく。何だかとてつもなく申し訳ない心地になり、居ても立ってもいられず、もう動かない人を埋めるうまい方法がないか、ゆうちゃんに訊こうと携帯電話を探す。


#7

まだ逢えないあなたへ

 まだ逢えないあなたへ。
 今日もまた失礼します。
 あなたのことを知れば知るほど、「知らない」が増殖します。それは勢いのよい長大な滝のごとく、まるで底が見えません。
 あなたの手紙を読めば未だ知らぬ顔を見て、あなたの写真を見れば未だ知らぬ声を聴く。わたしが想像力をたくましくすればするほど、「知らない」が尽きません。
 そうやって少しずつ欠片を拾っても、完成に近づくどころか遠のいていくようです。まるで終わりの無いパズル。否、何世紀にもわたってずっと建築中のサグラダ・ファミリア大聖堂かもしれません。年月をかけたとしても出来上がる気配がないのです。とっても重厚な、あなたという存在はわたしの前に大きく立ちふさがっています。
 出逢った、というか初めてお見かけしたのは、この広いウェブの海の中。つまらない、興味もわかない長い長い一日の仕事も終わり疲れきった金曜日の夜、偶然見つけたあなたの文章に惹かれ、思わず後先考えず感想のメールを出したのでした。
 たしかそれは、はにかむような表情が見えてくる、やさしくかわいい文章でした。世界の片隅で、そっと小声でつぶやくように落ち着いた言葉で慎重に語っていました。
 あなたが一日の始まりを告げる薄明るい朝焼け描けば、わたしには温かいオレンジが滲みました。
 あなたが夏の華やかな大花火を描けば、わたしにはさわやかなグリーンが弾けました。
 あなたが深夜に眠る穏やかな湖を描けば、わたしには暗いブルーが横たわりました。
 あなたがしんしんと降る雪を描けば、わたしには光るホワイトが跳ねました。
 あなたの言葉を通すと、わたしが絶望しきっていたこの世界のすべてが美しく輝いて見えるのです。そして、言わずもがな、わたしは一瞬であなたの虜になりました。
 いつも画面の向こうのあなたのことを思います。あなたは何を見て、何に触れて、何を感じているのでしょうか。今もわたしが知らないあなたのことを知りたい。
 けれども、知らないことが無尽蔵に増えても落胆はしていません。
 あなたの住む美しい世界が、そっとカーテンの隙間から垣間見えたなら、それだけで満ち足りるのです。
 あなたは遠い地にいて、みんなのためになる大切なことをしている最中。わたしが近づいては邪魔になる。だから、遠くから見守るのです。それだけは許してください。
 まだ逢えないあなたへ。
 いつまでも知らないことが増えることを願っています。


#8

「であるからして、諸速度Vは――」
 濛々たる熱気が充満する夏の教室で、武田先生の声は必要以上に明瞭だった。
 運動場からは生徒の透明な声がはしゃぎ声が聞こえ、蝉の声と共に夏らしいBGMを演出している。僕は汗を腕で拭い、シャーペンの先を親指に押し当て、暑さから逃れるよう窓に目をやった。
 そして、僕は目を疑った。
 遠くに見ゆるマンションの丁度真上で、巨大な黄金の十字架が浮遊しているのだ! 周りの建物から推測するに、高さは優に20mは有る。
「おい、お前、あれ見ろよ」前の席の若野に声を掛けた。
「ああ、あれがどうした?」面倒臭そうに若野が答える。
「どうした、じゃないだろ。浮いてるだろ?」
「そりゃそうだろ」
 僕は絶句した。若野はどうかしてしまったのだろうか。
「おい、三浦。うるさいぞ」と先生に注意され、僕は立ち上がり「先生、あれ」と飛行十字架を指差した。
 一瞬の完全なる間ができた。蝉の声のみが無音を渡る。
 先生は確かにそれを見た。しかし信じられようか、にも関わらず彼は、「さ、授業するぞ」と言って黒板に向き直ったのだ。
 おかしい。何かがおかしい。
 狂気的な暑さを肌身に感じながら、今日は異常気象だとテレビが言っていたのを思い出した。

 アスファルトが陽炎のように揺れる中、帰り道も相変わらず飛行物体は存在し続け、僕もまたそれを見続けた。
 道行く人々はその存在を何とも思わないようで、単調に歩数を稼いでいる。
 横断歩道を渡っていた少女が「あ、あれ」と怯えた顔を隣の母親に向け、「太陽が、ま、真っ黒」と言い、震える指で空を指す。
 太陽が黒いのは当たり前じゃないか。
 濁流し続けるビル群を見る。飛行機と月はやはり暗転した。幼女は驚愕の顔でそれら1つ1つを指差し、阿呆のように口を開ける。
 少女と目が合った。僕はにこりと微笑んだ。

 今日は、過去最高温度を記録したらしい。


#9

傷の話

 森を抜けた後、最初に僕を出迎えたのは子供たちだった。村に入ってきたよそ者に気づくと、歓声をあげて駆け寄り、泥のこびりついた長靴に手を伸ばし、帆布製のナップザックによじ登り、髭につかみかかってくる。脂で汚れた髪へ柔らかな指の腹が触れるたびに、僕は慄いた。誰かの指が最後に僕に触れてから、どれだけの年月が経ったことか。
 中央広場の前で立ち止まった。追想にふけるためではない。子供の顔に、薄いひび割れのような傷跡を見つけたからだ。その場の二十人のうち、傷がある子は四人。みんな年長で、どの傷も同じ場所、唇の右端から右目の下までを斜めに走っている。吸い寄せられた視線を反らすと、今度は大人たちが視界に飛びこんできた。ある者は縁台に座り、ある者は立ったまま腕組みし、骸骨じみた眼窩の底に白い光を揺らしながら、僕たちを遠巻きに眺めていた。そのすべての顔に葉脈のように、細い傷が縦横に走っているのを、僕は見た。

 もちろん、年齢差はある。午後遅く、僕に一夜の宿を提供してくれた老人はそう説明した。二十歳を過ぎても傷つかん男がいれば、初潮も来ないまま最初の傷がついてしまう子もいる。でも最後はみんな同じだ。傷が傷を呼ぶ。傷から逃げられる者はいない。あんたも私もだ。
 僕はこの村の人間ではありません。
 いいか、顔の傷なんてものは本当の傷ではないんだ。そんなものはただのしるしだ。あんたはとうに傷ついている。ただ、しるしがついていないだけだ。だが夜が明けるまでに、あんたに最初に傷をつけた者がここに現われる。あんたの顔にしるしを残していく。
 では、すぐに出発します。
 そうか、と老人は意外そうに言った。あんたは、会うためにここに来のかと思っていたよ。

 僕は出発しなかった。逃げたいのか会いたいのか、自分にもわからないまま、僕にあてがわれた部屋の中で、眠らずに待っていた。午前二時、私の旅のきっかけをつくった女、旅の間ずっと忘れようとし、ほとんど忘れることができたと思っていた女は、闇の中から現われ、あたりまえのように僕の前に立った。僕は息を飲んだが、次の瞬間にはそんな自分を滑稽に感じた。わかっていたことだ。この世界のどこを旅しようと、逃れることはできない。動悸がおさまると、村を囲む森と同じくらい深いあきらめが降りてきた。ベッドに腰をおろし、女が握りしめている三日月のように細いナイフに向かって、僕は右頬を差し出した。


#10

いらっしゃいませ

都内で有数の広さを誇る谷ノ内霊園。霊園内には寺、仏具屋に加えて、スーパーや床屋、コンビニまである。ひとつの町として機能しているのだ。
 宮田は霊園内のコンビニでアルバイトをしているフリーターだ。彼が勤務する深夜はほとんど客が来ない。だが、客が来たわけではないのに入り口の自動ドアが勝手に開くことは店員なら周知の事実であった。だが、宮田しか知らない事実が一つある。それは、宮田には「見える」ということだった。
 秋の訪れを感じさせる季節。深夜いつものように店内の商品配置をミリ単位で調整していた宮田に、冷たい空気が足元から迫ってきた。入り口の自動ドアが開き、一人の聡明な顔立ちの男が入ってきた。
「いらっしゃいませ。」
入ってきた男は「常連客」だった。昼間はほとんど観光客か墓参りの客しか来店しないので、常連客というのは珍しい。だが、宮田だけに「見える」客たちは、2日に一回は来る。それほど暇なのだろうと密かに思っていた。
 「常連客」は雑誌コーナーで長々と立ち読みをし、コンビニ内を一周しておにぎりを2個とペットボトルの緑茶を手に取り、レジへと歩いてきた。宮田は驚いた様子も無く、商品4点のバーコードをスキャンした。
「合計で1078円になります。」
「…私は、本当に大政奉還をしてよかったのだろうか。」
「常連客」の慶喜がため息をもらした。確か、去年も同じことをぼやいていた気がする。宮田は笑顔でこう言った。
「何を言っているんですか、慶喜さん。今も侍の時代が続いていたら、こうしてジャンプを立ち読みすることもできないですし、コンビニだって無いですよ。もちろん、このDVD付きのエッチな本もね。」
慶喜はハニカミながら、おにぎりとお茶とは別の袋に入った本を大事そうに抱えて出て行った。
 30分後、今度は老婆が入って来た。初めて見る顔だった。最近この霊園に引っ越してきたのだろう。高級そうなガウンを纏い、点滴の管が何本も袖や胸元から出ている。驚いたことに、両足のすねが骨までかじられている。晩年は苦労したのだろう、顔はげっそりとしている。老婆は「骨元気」と書かれた牛乳を3本レジまで持ってきた。宮田は優しい顔で老婆を見つめた。
「この牛乳、温めますか?」
老婆は少し驚いた後、にっこりと頷いた。
「人肌ぐらいにお願いします。」
暖かな湯気が残った。
翌朝、宮田はおにぎり、お茶、本、牛乳の代金をこっそり支払ったのは言うまでもない。


#11

カンナの日記

6月2日

まあ、遺言だわね、 一年ぶり。カンナです。

20世紀のモンスター、
浦沢直樹はそんなふうにいったけど

新自由主義経済、というのを使うとうまいこと愚民をコントロールしたよう!

とそのうちコントロール不能のメルトダウンでモンスター化、暴走!

例えばの一つね。


抑圧して操作して一時うまいこといっても、しっぺ返しの墓穴掘ったはあなたなのよ。

ホメオスタシスってシーソーだからさ。腐れば清くなる。落ちれたら登れる。



3月38日

山人。やまとンチュね。

海女はあまてらす。
山の人、狩猟民族が毛嫌いされるけど、実はほふる人は祝う人でした。
半島はパイパンだってからかわれてたよ。一重切れ長の天皇目は半島系。



山人が邪馬台になる。 卑弥呼とかだわね。
邪魔トだの卑しい巫女だの中国読みだけど。シャーマニズムが野蛮だとか文明的な生活してない、とかはヨーロッパキリスト文明も同じ発想だからわかるわね。


山門が大和に変わる。(卑屈は傲慢の裏返し:逆も真)



アイヌやまんちゅで 琉球うみんちゅ。DNA少しだけちがうと。

大和魂が病人魂になる。

酒と米は顔むくむ。貯蓄生活も、失う恐怖が不安で。それも卑弥呼の時代から。

歴史のスパンは二千年以上の大波だから
150年前の話が無くなるなんて当たり前。
国家だの家族の在り方とか、幻想だよ。
なにに依ってあなたは人間たりえるのか。

人間の資格、無きもの失格。爬虫類。




3月69日

カンナフランク永井です。

フランキーしぇっとシティ堺とも、

いうかな、、、(だから三点リーダー使えよおれはそういうの言うで!)


ああ、なんかハニートラップ、あれ酷かった。ケイティホームズ。韓国から帰ってきたとき。そこまでするか!あはは


まあ、いいんよ。その子悲しい目は悲しいみんなの目を代表してたから(イデオロギー人種宗教問題系)

保守だの部落だのどこの国もおなじだね。(4種対立緊張状態)

ボランティアじゃねえぞ。ボランティアじゃねえぞ!

たたかえ。ただしく愛せるように
目をそらすな。

そして勝手に苦しめ

痛みが教えてくれる。シフトの仕方。

シフトで変わる。けどあなたのママ。変わらないのはそこだけ。どんなに形かわってもやっぱりあんたはそこに居るよ。

美しく、厳しく、優しい目を知っている。

そこのあんたもそうなれるはずなんだけどなあ、よどむなあ

時間かかるだけ。時間薬。治るのは確か。


#12

虚言癖

またウソをついてしまった。

自分の生い立ちから今日のステータス。
その日の始まりから嘘ではじまって、誰かに嘘をつく。

自分がちっぽけな人間だということは自分が一番知っているから。
だから他人よりも秀でた特別な人間だと見せつけたいから。

そんな嘘で自分を塗りつぶしていってもう何年もたつ。

油絵の絵の具のように嘘の上に嘘を塗り上げていって、
いつだか本当の自分を自分でもよくわからないようになっていった。

嘘の上に嘘を塗りつぶしそれを繰り返し
それをかさねていくことによって。

ついた嘘が、嘘を生み出した自分にすら真実に思えてくる。

嘘がある中で関係を築いた人間とは、
その後なぜか深い関係になってゆく。

本当の自分をさらけ出せるほど大切な関係なのに
嘘のシナリオはもう消せなくなってしまう。

これからを考えて、
本当の事を言えないからいつかは離れる
という選択をいつも頭の片隅にめぐらせながら
嘘を真実として温厚に終わらせる方法を考えている。



嘘という油絵の具で塗りつぶされたきれいな絵は
作品の完成度のよさのあまり捨てることができなくなってしまった。



本当の私は、
真っ白なキャンパスに炭で下書きをしたその線なのに。

色もない
未完成の
はじまりの




私が死ぬ時にしかはじまりのキャンパスにしか戻れなくなった。


#13

前がみの人

 彼女はひときわ肌の白い人だった。よく皆から「透き通るように白い肌だね」と言われていたものだ。
 そしてそれは誇張した表現ではなかったらしく、ある時から彼女の肌は白というより透明になっていった。
 きっと陽にあまり当たらないから、体の調子がおかしくなったんだ、と思って外へ出ても、ますます透明人間に近付いていくだけだった。どういう作用か、彼女がその日着ている服まで、時間がたつと徐々に透けていってしまうのだった。
 そして最後には、前髪だけが残った。
 彼女の前髪はとても柔らかくきれいな栗色をしていたけれど、さすがに前髪だけが宙に浮いているのを見れば、誰でもぎょっとせざるをえないだろう。

 彼女は僕の幼なじみであり、透明になっていった当時は僕の友達の恋人でもあった。
 普段から顔を突き合わせている僕でさえ、だんだん透けていく彼女に面食らったくらいだから、彼女と久しぶりに会った僕の友達はさらに衝撃をうけただろう。前髪だけになってしまった彼女を見て、あからさまに嫌な顔をしてみせた。
 そしてそれからしばらくして、二人は別れてしまった。別れた理由を、僕は幾分非難の色をにじませて友達にたずねたが、彼は悪びれずこう答えた。
「だって……顔も体も見えないじゃないか。キスをするにも手をつなぐにも不自由だ。それに、セックスの時だって、あそこが見えないんじゃ、どこに挿れたらいいかわからないよ」

 透明になってからの彼女は家にこもりがちだったが、近所の喫茶店ではたまに栗色の前髪が浮いているのを見ることができた。口のあたりに運ばれたカップから、コーヒーが器用に注がれ、彼女の中に入って透き通る。
「この店にはよく来るんだね」
 僕が話しかけると、彼女は沈んだ声で、
「外ではここしか落ち着ける場所が無いの」
と言った。
 僕は彼女を連れ出し、喫茶店の外に出た。
 僕は彼女の手があるあたりをさぐり、その手をとらえた。見えなくても、彼女と手を繋いでいると、その温度が感じられる。形がわかる。二人で並んで歩いていると、僕の隣でフワフワと浮いている前髪に、周囲の人々の目が引き寄せられる。
「ごめんね。私のせいで、こんなにじろじろ見られちゃって……」
 隣で彼女が消え入りそうな声で言う。
「全然気にならないよ。むしろ今、幸せなくらい」
 僕はそう言ってのける。彼女の前髪に軽く触れながら、
「幸運の女神の前髪を、とても簡単につかむことができる」


#14

星果録『真愛』の項

 ――何故また刀を握った、か。
 それを聞かれるとちょいと答え辛い。
 何? それじゃ記録にならん?
 そいつはすまん。まぁあれだ。俺も人の子だったんだよ。


 ――新暦百二十三年、魔人『A翁』捕縛。太陽系全土が激震した。
 『静かの海条約』に登録されている『A翁』は所謂超A級の超能力者であり、人間の老人だった。
 刀一本で宇宙を駆る彼は、太古の侍と呼ぶにはあまりにも常軌を逸脱していた。
 人類は彼と同じカテゴライズをされるのを拒否した。
 詰まる所、彼は孤独だったのだ。



 ――おじい様は悪くありません。
 ただ私のために、ああしただけです。
 おじい様は自分の欲望で殺戮を行ったわけではないのです。
 私を守ってくれただけです。
 貴方達がおじい様のことをどう書こうとも、私がおじい様の真の姿を覚え続けます。


 ――新暦百十三年、魔人『B少女』誕生。太陽系合同政府はその力を秘匿。明らかであったことは、人間であり人間でなく、結果彼女も『A翁』と同様の理由で孤独が決定付けられていたことのみ。


 ならば二人が引かれ合ったのも必然である。
 しかしながら人々は彼と彼女がどのようにして祖父となり孫娘となったかを知らない。
 そもそも血縁が本当に『ない』のかどうかも知らないのだ。
 二人にとって過程はどうでもいい。家族として生きたその事実だけあればいいのだ。


「おじい様、また大福を食べたの?」
「うめぇからなぁ。これは」
「ダメよおじい様。健康に悪いわ」
「もしぶっ倒れたらお前が世話してくれ」
「おじい様は甘えん坊ねぇ」


 それはとても穏やかな日々だったと聞く。



 ――『B少女』は十歳の頃に兵器として召集された。我々に対抗する力が彼女にはあったらしい。『A翁』が各星で暴れだしたのは丁度その頃か。




「雑な記録だな。それであんた達はわかるのか」
 
 わかる。ヒトの脳は解析済みだ。お前達が一を言う前に我々は十を知ることができる。

「ほう」
 
 さて、『ヒト』はもうお前達だけだ。何を望む。

「安らかな時間を少しだけくれ。そして二人一緒に殺せ」
 
 ……孫娘もお前と同じことを言っていた。

「そうかい」


 互いの名も、血も、その望むものも知らない個体がこうして埋め合うのか。
 『ヒト』とは、非常に興味深い。
 彼等を研究することが宇宙を包む孤独を打ち払う答えに繋がるのかもしれない。
 
 ――本時の記録、ここに終了する。
 



「あぁ、早くあのちっこい手を握りてぇなぁ」 


#15

衝撃! 南光坊天海の恐るべき陰謀!!

 慶長二十年夏、大坂。
 戦闘がおさまり、屍の転がる荒野を生ぬるい風がとろりと撫でた。
 闇に紛れて徳川家康の本陣に影が迫っていた。霧隠才蔵。大坂方の武将、真田信繁が放った忍者である。
 才蔵は家康が起居する屋敷に侵入した。屋根裏を移動して天井板に穴を開けると、まだ下には明かりがあった。
――チッ、狸の野郎、高枕で鼾をかいていると思いきや。
 こちらに背を向けて何かを書いている人物は黒い袈裟に身を包み、丸坊主だった。家康ではないと察し、才蔵はその真上に移動して改めて穴を開けた。
 その男は幕府の頭脳と呼ばれる天台宗の高僧、南光坊天海だった。
――坊さんがなぜ前線にまで来ている?
 気になって書類を検めようと才蔵は目をこらした。天海は新しい紙を出すと、紙いっぱいに大きく書いた。
『わし、南光坊天海は、じつは明智光秀なのだ』
「ななななんだってー!!」
 驚きのあまり才蔵は吹き飛んだ。屋根が破れて瓦が落ちた。
「くっ!」
 才蔵は屋根にしがみつき、再び天海の真上に戻った。頭上の音に気づくそぶりもなく天海は続けていた。
『家康が豊臣を滅ぼした後、秀忠を操ってわしが天下を動かすのだ』
「ななななんだってー!!」
 耐えきれずに才蔵は吹き飛んだ。先ほど開けた穴を通って遠く木津川に落ちた。
「フフフフ、もう徳川の勝利は確実。だが家康が生きているうちは好きに動けない。戦の間は死なせられんが、家康の寿命を縮めるのに使わせてもらおうか」
 天海は天井を見上げて不敵な笑みを浮かべた。

 翌日、才蔵はなんとか真田本陣にたどり着いた。もう戦闘は始まっている。出陣直前の信繁は報告を聞いた。
「ななななんだってー!!」
 床几ごと信繁は飛んでいった。周りにいた兵士もみな飛んでいった。

「豊臣の最期だ。どれだけこの日を待ち焦がれたことか」
 家康は醜く垂れ下がった顔の贅肉を振るわせて笑った。
 その時、前方から何かが飛んできた。
「あれは何だ!!」
 床几が激突して家康本陣の馬印が倒れた。真田の兵士が次々に徳川兵に激突した。信繁は家康を掠めて後方に墜落。信繁の兜で顔を切って、家康は恐怖のあまり失禁した。
「フフフ、これだけ恐ろしい目に遭えば家康は一年ももつまい。フハハハ!!」
 離れて見守っていた南光坊天海、いや明智光秀は高らかに笑った。全てが彼の計算通りだったのだ。さらに計算通りに家康は翌年没し、三代将軍の代まで黒衣の宰相が江戸幕府に君臨するのだ!


#16

水底の世界

 息が白い。空気を吸い込んで思いっきり吐くと小さな雲が生まれて消える、なんだかとても美しかった。
 私は、少し冷える学校の屋上にきていた。服が汚れないように敷物をして、仰向けに目を閉じて寝転がって、深呼吸。
 もう一度、深呼吸。いつからか当たり前になっていた”都会”の空気とちがって澄んでいて胸がすーっとした。
 ほんの少し時間をあけてから、ゆっくりと目をあけると広がるのは空に宝石箱をひっくり返したような星空。
 昔は、ずっとみていた。当たり前の風景だったはずなのにいつから新鮮に感じるようになったのだろう。
 昔はここにもたくさんの人が居た。ただ、皆、私のように都会にでて、過疎になって、澄んでいる人は随分と減った。
 だからかもしれない、こんなにも空気が澄んでいると感じるのは。
 毎日を雑踏の中で生きて、たまに子どもの頃に澄んでいた場所に戻ってくると心が安らぐ。

 ”あぁ、私はここで生きていたんだな”

 そんな風に思う。少し手を伸ばせば通っていた頃に書いた相合傘。ちょっと恥ずかしい思い出だけど、でも素敵な思い出だと思う。

 でも、もうここには帰って来れない、だからだろうか?この眼にうつる星空が滲んで見えるのは。
 もうすぐダムに沈んでしまうらしい。忙しい中、少しだけ長い休みをもらえて還ってきて、母から聞かされた言葉。
 新聞にものっていたらしい。とても小さな記事だから、気がつかなかったのかもしれないと、母は苦笑していた。
 木登りをした山、泳いだり、魚をとったりした川。そして夜に忍び込んではよく見ていた、この星空。
 その全ては水の中に消えてゆく。まるで泡沫の夢だったかのように。
 そして私は明日、あの目まぐるしい喧騒の都会へとかえる。
 星の見えない星空の元へかえる。
 だから、心に焼き付けよう、忘れえぬ美しいこの星空とこの世界を。


#17

みえないナイフ

学校の同じクラスに気になる女の子がいる。
その子はいつもみんなにいじめられていた。

なぜいじめられているのか、本人やいじめっ子に訊こうとは思わない。
なんとなく予想はつくからだ。
そう、その子は人見知り。

顔は、どちらかと言えば、かわいい、と思う。僕は。
……どうだろう、わからない。微妙なラインだ。
その子をよくいじめているのは同性の女子。
複数人がグルになって陰口を言いふらしている。ほら、僕のとこにも言いにきた。
こいつらの顔はその子に比べたら、どうみてもブサイクだ。
性格が腐りきってるから顔もそんな滅茶苦茶になるんだ。
「ちょっとかわいいからって調子にのってるわよね。性格ブスのくせに」
おまえらはなにもかもブスじゃないか。

男子も男子でその子をハブにしてる。
そのブスのせいでクラスみんながその子をハブにする流れになってる。
ブスの友達のかわいい女の子がその子に冷たくすると、それをみた男子がそれに同調して自分もその子に冷たくする。そしてその男子を好きな女子が同じく冷たく当たると、その女子を好きな男子が以下同上。
大体そんな感じだろう。みそっかす。

みんな彼女のことを勘違いしてる。
友達らしい友達もいなく、誰とも話さないから内気で暗い性格に思われがちだが、実際に会話してみるとそんなことはない。実は明るく陽気な性格だった。
ただ人見知りが強く、自分から進んで打ち解けられないだけで、仲良くしたいと思って話しかければ彼女もそれに応えてくれる。こっち側の気持ちの問題なんだ。

僕は彼女が好きだ。
彼女に電話をして、告白しよう。
「あなたのことが好きです」
そう言ったらすぐにOKしてくれた。
いままで誰にも告白されたことがなかったらしい。
そうして僕らは付き合った。

実際に女の子と付き合うのは初めてだけど、なんていうか、簡単にいき過ぎたからなのか、俺の女という感じがしない。
交際3ヶ月。まだデートもしてない。というか、会話すらまともにしてない。
学校で彼女と会っても無視してる。
向こうは俺を見つけると元気よく胸を揺らしながら近づいてくるが、校内に俺たちの関係を知られるのもどうかと思って「おはよう」しか言わない。
だって、キミと仲良くしてるところを誰かに見られたら、俺までハブにされそうだから。



そして彼女は死んだ。
自殺だった。
僕は彼女を助けてあげられただろうか?
死ぬ前になにかをしてあげられたんじゃないだろうか?
そう思うと、夜も寝つきが悪い。


#18

月留学

 気まぐれに応募した大学の無料留学が当たってしまった。しかもよりによって月。中国やアメリカに比べて圧倒的に情報量が少なく、僕は何を準備してよいやら全く見当がつかなかった。
「侑!」
僕に声をかけてきたのは親友だった直人。こいつは大学に入学してから更に格好よくなり、更に人気者になった。そして僕の親友ではなくなった。
「お前、月に行くんだろ?」
「うん。」
「何で言わなかった?」
「直人!」
話している間にもこいつは誰かに呼ばれている。僕は直人のもとから去り、教授の研究室に向かう。月について知るためであったが、「専門外だ。」
といって相手にされなかった。月留学主催者に話を聞いても、
「月に直接お問い合わせください。」
の一点張りで何も教えてくれない。困った僕は、考えに考え兎の存在を思い出した。月に住む彼らなら有力な情報を教えてくれるに違いない。まずは近所の野良猫に兎を知らないか聞いてみた。ほとんどは、
「知らんにゃーにゃー。」
と鳴いていたが、ボス猫は流石と言うべきか小学校に勤める兎と知り合いで紹介してくれた。
その週の日曜日、僕は兎に会いに行った。丁度にんじんを食べていたので、少し時間をおいて話しかける。
「こんにちは。」
「ん?ああ、こんにちは。」
流れるような日本語だった。
「日本語お上手ですね。」
「いえいえ。」
兎は照れるようにはにかんだ。僕は早速本題に入り、兎からいろいろな事を聞いた。彼は月からの留学生らしく月についていろいろなことを教えてくれた。特に興味を引いたのはかぐや姫を筆頭に、月には美人で優しい女性が多いということ。月でなら僕にも直人のように彼女ができるかもしれない。
「あと、いつも暗いのですが地面がほのかに光っていてとても素晴らしい所ですよ。」
僕は話を聞けば聞くほど留学が楽しみになった。唯一残念だったのは月で話されている言語での挨拶が聞き取れなかったことである。鈴がなるような言葉だった。
お世話になった兎にお礼のにんじんを渡し、僕は小学校を出た。校門の側には直人が立っていた。
「行くの?」
「行くよ。」
「あっちいったらこっちにいる奴らのお前の記憶が消えるって知ってて言ってんの?」
「うん。」
「俺のも。」
「うん。さっき聞いた。」
「いいの、ほんとに。」
「うん。・・・・・・嘘。よくない。」
直人は久しぶりに俺に笑いかけた。
「俺も行くから。」
「うん。」
僕は先ほどより更にウキウキしながら帰宅した。


#19

気になるなぁ

「うるせぇよ、あっちいけよ、酔っ払い」
栄太かなりきつくいうが酔ってるやつには通じない。
「まあ、そういうな。関東選手権の青芝大学ゴルフ部だぞオレは」
「なんだよ? それ??」
タツヤは肩書きに弱いなぁと、栄太は言葉を呑み込んだ。
「まあ、ゴルフの甲子園だよ」
「なんだよ、寮は高校なんて行ってないぞ」

酔っ払いは言った。
「そうだったな」
「だろ! 体力も技術もおとなに負けてないんだよ」
「そうだったなぁ……」
しぼりだすようなこえでそういうと、酔っ払いは栄太のほうに向かっていった。

「ゴルフで大事なのは、楽しむことだぞ、楽しんでるか?」

栄太はボールを打つのが楽しかった。バッティングセンターの飛んでくるボールを打つのとはちがう。

バチっとハジケルように飛び出すゴルフボールの軌跡は爽快な飛行機雲のような無重力の陶酔感がある。

ショットを思い出すとすこし気持ちが軽くなった。タツヤはまだ知らないだろう。バットしか振ったことがないタツヤは。バチッとティーアップして石のような硬いものを打つ感触を。
この酔っ払いは、どんなゴルフを知っているのだろうか? 楽しんでいると……いってるが。そうおもってみると、酔眼もどこか青い芝生を見ているようにも感じられる。

「どうせ趣味のゴルフだろ。プロのとは違うだろうよ」
タツヤが言った。

「まあ、そういうな……天下の青芝大学ゴルフ部だゴルフを知ってるなら青芝知らないことはないだろう」

「しらないよ」タツヤが言った
「なんだ。知らないのか? 青芝大学を、」
「だから、石川寮は十五歳だ。一億円んだぞ」
タツヤが笑う。まるでタツヤが寮になったみたいだと栄太二人を観察していた。

「ゴルフは受け取ってナンボだ与えるものじゃぁないんだ」
また判らないことを言った。

「偉そうなこといってるよ」
タツヤがバカにした声をつくった。

「そうだな、なんか与えようとしているなぁ……」
そういう、酔っ払いはまた、どこか広く見ているような目をしていた。
「つまらないことをいうのはやめておこう」

なんとなく話を聞きたくなるのものだ。そんなら始めから余計なことを言わなければいいのに。


#20

時空蕎麦

 もとはおつゆとめんは別。めんどくさくておつゆをぶっかけた。おつゆをぶっかけた!? まあそこは深追いしない。ぶっかけたらけっこういけた。てっとりばやい。江戸でブレイク。かけそばである。

「かけそばおまち」
 男は樹脂製の箸を一膳、箸立てから抜く。緋色の七味の瓶を器の上でふる。店内に鳴響するだしの香りの中、七味の風が微かに鼻腔をくすぐる。
 手を合わす。いただきます。無言の祈り。愛と豊穣への感謝。震える手で箸を構える。麺をひとつかみ。艶やかなおもてには小口に断たれた葱が付き従い、麺は細目。それこそ蕎麦の真髄であろう、饂飩のように太い蕎麦など、と男は思う。誇り高き香り高きつゆを潤沢に含んだそれを、彼は徐々に口元へと、運命の瞬間へと近づけていく。時間が止まる。

 私は確かに、男の唇が微かに歪むのを見た――。

 音をたて麺を一声にすする。男の口に芳醇なつゆの旨味が、腐海に落とされた聖女の涙のごとく広がる。が、それは蕎麦の甘味を殺しはしない。手を取り合いからみあって、そこに葱の抜けるような白烈の食感、立ち現れる七味の颯爽の香り、麺をかみしめ、頬がとろけて落ちダラダラと床に拡がり、つゆに甘く刺激され舌は半透明にふやけ、最早身体の輪郭も無く、蕎麦屋が神々しい霊光に満ち、響くのはただ歓喜の歌。

 男には後悔があった。彼の母親は若いうちから肺を患っていた。母親の大好物がかけそばであった。彼が中学校卒業を間近に控えたある雪の日。世界が幻惑的な白銀の寂静に満たされ、同時に幸せにも満ちたかに思えたあの日。街路の物音は皆降り積もった雪に吸いこまれ、隣を歩く母親の咳こむ声もいつもと違う響きであった、あの日。
 いかにも泣ける話風だが今のは私の勝手な妄想が挿入されただけだ。戯言を言う間にも男は芸術的作業を続けていた。すすり上げられる麺がうねりをあげ熱を帯び、男の体内で炎渦を描き昇華する。七味唐辛子が効験を顕し、額に玉汗が浮かぶ。意識まで、とうに晴明なだしつゆの快哉の叫びの中に霧消した。食を通じて男は生を確認する。刹那の生を、かみしめる。ただ、ひたすら。



 完食の歓びに幾度目かの絶頂を迎え、男は瞑目した。立ち上がると全身が軽い。胃が黄金の幸いで満たされ、身体に溜め込まれた憂鬱な瘴気が抜け、生の真実の一片がそこに残ったように感じられた。蕎麦屋の残骸から瓦礫の街へ駆け出す。笑みが浮かぶ。次の廃墟まで、走れる気がする。


#21

精神の統一

 ある日、自分のものだったはずの名前を名乗る男が現れた。
 彼女が見知らぬ男と歩いているのを見かけて、僕は声を掛けた。
「こんにちは」
「やあ、こんにちは。君は誰だい?」
「○○だ」
「ん? 僕の名前が○○だよ。君の名前は何ていうんだい?」
「おれが○○だ」
「彼は○○よ。彼は私の彼氏なの」と、男の腕に絡みつく彼女が言った。

 僕は二人の円満な後ろ姿を見送った。ドッペルゲンガー? いや、あれは僕とは違う人間だから、違うだろう。僕ももう死期が近い、ともあまり思えない。
 知らぬ間に、彼女が違う男と付き合っていて、それが今までもそうだったようで、僕は自分の名前と彼女を、いつの間にか盗られていた。
 盗られていた。
 本当に「盗られていた」という表現で、あっているのだろうか。
 僕はケータイを取り出した。心做しか重く感じた。見ると自分の名前が電話番号と共に電話帳に移っていた。その番号に電話を掛けると、またさっきの男の声がした。
「もしもし、こんにちは。君は誰だい?」

 自分のものだったはずの名前が、段々と他人のもののように思えてきた。元々そうだったようにも思えてきた。彼女も、前から彼の女だったのだ。元カノ、でもない。
 さっき、彼女は僕という人間自体も知らなかったのだろうか。だとしたら、僕らは赤の他人だったのか。
 そうか、これは彼の名だったのか。じゃあ、僕の名前は、何だっけ。

 駅前から近くの神宮に向かった。しかし名前がないと、願い事も聞いてもらえないのではないかと心細くなった。僕は、自分の名前が思い出せますように、そしてもう何も無くなりませんようにと、お願いした。
 神宮の砂利道から外に出ると、歩道で鳩が地面をついばんでいた。駅前にパン屋が見えるから、おそらくそこでパンを買った誰かが、鳩に少しやっている。人を怖がる素振りも見せず、地面ばかり突付いている。そんなに食べて、食べて、どうする?
 盲者用のタイルの凹凸を、爪を引っ掛け歩くのがいた。パン屑が落ちていたのか、僕のつま先の前までやって来た。僕はそっと両手を差し出して、鳩の翼を包むようにして捕まえた。胸の高さまで持ち上げて、小さな頭を見つめた。鳩は無理矢理逃げようともせず、何が起きたのか、どうしていいのか分からぬように、僕の手の中で捕まっている。

 お前達には、僕が誰だなんて関係ないよな。

 鳩は首を右左させていた。後ろから抜いていく女の人達が、驚いていた。


#22

そらみみ

 空を覆う厚い雲が風に撹拌され、その向こう側で太陽はゆるやかに明滅していた。
 田には水が張られ、植えたばかりの稲が等間隔で整列している。水面は日光をやわらかく反射し、その中で稲は幼い掌を太陽に手を伸べるかのように映り込んでいた。
 今年は豊作になるだろう。私は手元の文庫本に目を戻した。

 乾いて黄ばんだ古書の、頁をめくる音は格調高く、置いた手は黒ずんでいてとてもつりあいが取れていなくて、ひどく不細工にみえた。手は小さくて指も短い。私は『劣悪』の二文字を傍線で囲み、溜飲を下げた。
 携帯がメールの着信を知らせて震えた。待ち受けには泥の中に横たわる双子の子猫がいる。メールは汚物用フォルダに届いていた。
『いまどこ』
 出先だから、と簡単に返事をしてから機械的に削除する。電波を介しただけでもケガレが伝染しそうで、携帯電話にすまなく思う。
『でんわでろ』
 受信とともに汚物より着信。
「今あんたの家の前」
 ペンを持つ指先に力がこもる。ペン先が『こ』の文字に穴をうがち、頁を越えて『ろ』を貫いた。
「出先のわりに静かじゃない。風の音きこえるし」
 頁をめくると、溜まったインクがこすれて『せ』の字だけを黒く汚していた。
「まあいいや。今からそっち行くね」
 誓いを立てた「いつの日か」が今日であることに、まだ迷いがあった。早まる鼓動とは裏腹に逃げ道を探し、覚悟を決めないための理由はいくつも見つかった。
「場所わかるの?」
「うん、だいたいわかるから。当ててみようか?」
 そのとき電話の声をかき消すように、帰宅を促す放送が大音量でながれた。まったく同じ放送が受話器からも聞こえた。私は反射的に電話を切った。
 ――啓示。
 なに者かが私をみている。
《裏の田んぼ》
 電話を切る直前、そんな声を聞いたような気がした。
《……引いた?》
 そんなことを言っていたような気もした。

 猫はどちらもふわふわでまあるくて、かぼそい鳴き声には聞いた者に慈愛の責務を負わせる響きがあった。
 猫の片割れは目の下に私と同じ傷を持っていた。その顔を集中的に砕いたせいで、今も右手がじんじん痛い。赤と黄の泥の中に沈んで横たわる双子は、もう携帯の画面の中にしかいない。
 細長く伸びた無数の掌に引きずり込まれるようにして太陽は沈み、青灰色の闇がかぶさるように垂れはじめた。携帯電話を田にかざすと、猫は薄明るい夜の中にまぶしく浮かび上がり、前ぶれなしにふっと消えた。


#23

スーパードライ

 あなたの顔も言葉も文章も、のっぺらぼうみたい、人間性に深みがない――ということを言われて、僕と彼女の関係は終わってしまった。何も言い返せなかった自分はいわれたとおり。うすっぺらなのさ。

 彼女は職場の女上司だった。これからどんな顔をして一緒に仕事をすればいいんだろう、と僕が思い悩んでいるのに、上司は素っ気無くシラフでいて、そのうち転職が決っていたらしく、五月の連休あけにはさっさと会社をやめて行ってしまった。前からうちの会社がいかにブラック企業であるかを話しあっていた。彼女は宣言どおり転職し、僕は残る。仕事は猿の剥製のセールスマンだが、今どきそんなの売れやしないんだ。

 梅雨入りしても、僕は立ち直れずに夜ごと飲みにでた。のっぺらぼうと言われるくらいだから、飲んでも顔に感情は出ない。空気のようにただ飲んでいると、時々横に座った誰かが酔いにまかせて話をしてくる。僕は頷きながら聞いているのだが、彼らは気分が大きくなって

「いい人だ」

と握手を求めてきたりする。一日だけなら、いい人になることは簡単だ。

 その日はワインを飲んでいた。ブルゴーニュのピノ・ノワール。繊細で防御が硬そうなのに、そんな知的な味を裏切るかのようなぎゅっと密集した酸味がある。そこに気付いたとたん、虜になった。
 
 カウンター席の隣に外国人の女が座って、生ビールを注文した。何杯も何杯も彼女は生ビールを注文しては飲み干していく。照明に反射する眩しい金髪に青い瞳。引き締まったウエストとよくのびた長い足。彼女にはビールは似合っていないと思った僕は、なんだか感情的に

「ビールなんか、のっぺらぼうだ」

とおもわず言ってしまった。

「のっぺら?」

 青い瞳から涙が出ていることに気がついた。彼女の流す涙には音がなくて、濡れているのにどこまでもドライだった。ビールを涙に変えるために飲んでいるみたいだった。バーテンダーは黙ってジョッキのお代わりを彼女の前におく。僕は、僕もビール、と叫んだ。

「かんぱい?」

 青い瞳から涙がとまらないまま、マジメくさった表情の彼女と僕はジョッキをゴツンとぶつけて乾杯した。僕も彼女もおかわりを続けた。

「わいん、おいしい。でも、わいんはわいんとしてかんせいしてます、びーるは、にほんのびーるは、だけまくらのよう、です」

「抱き枕?」

「だけまくら」

 どうして抱き枕なんて言葉知ってんのと笑って聞いた、彼女はやっと笑顔をみせた。


#24

できるだけ素っ気なく、でも優しさを忘れずに

 寒かった。
 男はピストルを動物に向けながら、私の質問に答えた。
「つまりやつらが、無抵抗だからさ」
 男は動物を撃った。
「生きたければ、抵抗するしかない」
「では、抵抗する手段がない場合は?」
「知らんよ」
 私は自分のピストルを取り出した。
「俺を撃つ気か?」
「ええ」
「撃てよ」
 私は男を撃った。
「意外と痛みはないぜ、でも……」

 私は動物園を出ると路面電車に飛び乗った。
「次の駅は、論理の痛み、論理の痛みと、言葉と詩と恋……」
 向かいの席に腰かけるミニスカートの女子高校生が、太股をあげて足を組み直した。
「えー次は、非論理の快楽、非論理の快楽と、物語と夢と恋……」
 私の隣りに座っていた中学生の男子は、携帯電話のカメラで女子高校生の太股を撮っている。
「えー携帯電話のご使用は、適切に、適切に」
 女子高校生は中学生の視線に気付くと、はだけたミニスカートをさっと直した。
「えー続きまして、音楽広場、音楽広場でございます」
 私は壁のボタンをピンポンパン♪と鳴らした。
「ああそっか!」
 私は気付いた。
「論理的な人間存在の一つの帰結としての恋とは生命存在の中へ閉じ込められる永遠に対する抵抗である!」
 私は女子高校生と中学生の手を引っ張って、ピンポンポンと電車を降りた。
「もおっ! なにすんのよ!」
「つまりセックスとは生命に対する挑戦なんです!」
「ぜんぜん、意味わかんないんだけど!」

 広場へ入って行くと、陽気なバイオリン弾きが私たちをエスコートした。
「人殺しと生徒たち、そろってご来場でーす!」
 広場に集う人々から拍手と歓声が上がった。
「よっ、待ってました!」
「好きよ! あたしも殺して!」
 群衆の中から、一人の男が私に声をかけた。
「よう、また会ったな」
 あの動物殺しの男だ。
「やっぱり、あのままでは死にきれなくてね」
 男は一本の指揮棒を私に投げた。
「早く舞台に上がれよ。皆お待ちかねだぜ」
 群衆は二つに分かれて道を作り、私たちを舞台へ誘った。
「さてさて、指揮者の殺人ナルシストさんが到着しましたよ!」
 マイクを持った司会者が、待ち構えていたように喋りはじめた。
「高校生と中学生は素敵な歌を、そして演奏は25世紀交響楽団でお届けします」
 指揮棒の先端に止まった砂粒ほどの虫が、透明な羽を天に向け広げた。
「曲は交響詩《できるだけ素っ気なく、でも優しさを忘れずに》どうぞ!」


#25

気になること

 最近ご主人のやっている事に興味が出てきた。
 私はそれを観察するためにこっそりと部屋の中に入る。物音を立てず注意を引かないように。
 こっそり、と言ったが別にやましいことがあるわけじゃない。
 それをやっているときのご主人は非常に真面目かつ真剣なためちょっとでも邪魔になるようなことはしないようにしているだけだ。
 部屋に入るといつもの定位置についてご主人の後姿を見つめる。
 とても大きな私の大好きな背中。
 静かにゆっくりと呼吸のリズムを刻むその背中にいつも見とれてしまう。
 大きな安心感と強い憧れを抱かせてくれる。
 不意にその背中が前方に沈み込んだ。
 同時に部屋全体に大きな鈍い音が響く。
 更に二度、三度。
 鈍い音は不規則なリズムを刻みながら絶え間なく続く。
 そして背中もそれに合わせて大きく揺れ動く。
 ご主人の目の前には大きな袋が吊るしてあった。
 サンドバッグといわれるそれは格闘家とか呼ばれる人たちが練習の時に使う物らしい。本物の人間相手に実際に殴ったり蹴ったりすると危ないため、代わりにあれを叩いて感覚を掴んだりすると聞いた。
 そして今やっているのはまさにそれだ。
 これをやっている時のご主人は凄く魅力的に見える。
 野性的で無駄のないその動き。
 私の知っている中でご主人が最も生き生きとしている時といっても過言ではない。
 サンドバッグを叩く音は次第に激しさを増し、それに伴い私の見つめる背中も動きを次第に激しくしていく。
 何でご主人はああやってただ殴るだけの行為に真剣になっているのだろう。
 あれをやり続ける事によって何か得になることがあるのだろうか。
 私は最近それが気になっていた。
 
 最後に一際大きな音を響かせご主人とサンドバッグは動きを止めた。
 休憩の時間だ。
 ゆっくりと近づいてその背中に声をかけた。
 ──ニャア
 その一声に気付いたご主人はゆっくりと振り向いて私の姿を見つめ、しゃがみ込んで頭を撫でてくれた。
 あんまりに気持ちいいのでつい目を細めて小さく唸ってしまう。
 ご主人はそれを続けながら──いつも見てるけどもしかしてやってみたいのか──なんて冗談めかして聞いてきた。
 やってみたいかどうかはともかく興味はあった。
 それをやり続ける先に何があるのか私にはまだ判らないから。
 でも残念ながら猫である限り出来そうにない。
 だからそんなことより、今はこうやって構ってくれてるほうがいいかな。


#26

スプロール

(この作品は削除されました)


#27

十字路

 ニミリロクキロ
 リボルバーで死ねない時。
 対戦車砲で自殺出来ない時。

 くじらの背中に書かれた文字。

「肖像画を描いてあげよう」
「髪は切りますか」
 雨が降っている。じきに虹が出る。ぼろぼろの虹、の絵が壁に飾ってある。電話のベルが鳴っている。ベッドから起きられない。
「銃か」
「ええ」
「詩を書くのか」
「ええ」
 首を絞めながら髪の毛を切りながら絵を描きながら虹、切りながらわたしたちのあい、タキシード、ネクタイ。夜会。シャンパンにて十字路にて燃やされたファイヤア―両手のでもわかるんだ。触れるんだ。肖像画。くろくうつくしいじゅうじか。さわる。ぼろぼろにくろくさわる。黒く崩れていく。昔人には手が百本あったという。長い時間をかけて地図、の向こう側、長い長い時間をかけて、手を二本にまで減らしたのだ。
 しをかくのか。ええ。わたしはかけない。

「また変な髪形にされたな」

「また変に描かれたわ」

 かくめいのひ、革命に行かないのかと聴かれる。

 革命軍の服はドレスだった。オルガンを弾いていた。ドレスもオルガンの音色も美しかった。ダンスを教えているうちに理由も無く涙が出てきた。
 人は泣くんだな理由無く。

 ピアス。

 十字架を持っていたのにそんな事も忘れている。

「皆は何をしているの」
「あいのうたを書いてくれよ」
 愛してるあいしてるあいしてる。もっと? クラクション。二人でベッドを置いて寝てみたらそれが解るのだという。あいしてるあいして。あいのうたのはずなのにどんどんとあいから遠ざかっていく。ジミ・ヘンドリックスの燃やしたギターの音。革命の日。私たちは変わる。知らなかったこと気づかなかったことを気づく。
 どこまでもどこまでもどこまでもドレス。私たちの跳べたころ。ポルノオが壁を白く塗っていた。
「革命だかなんだか知らねえが仕事がやりやすくてな。仕事がやりやすいのは良いことだ」
「壁を白く塗るといくらになるんだ」
「パンを二個とカフェオレだ」
「お前は優れた画家だよ」
「俺もそう思うよ」
 税関の職員はまったくやる気が無かった。扉を開け放ち
「向こうが砂漠だ。シガレットがたくさん落ちてた。誰かが禁煙を始めたのかもしれない」
 フランケンシュタイン。シガレットとクスリで出来ている。血は真っ黒なコーヒー。
「なあ、俺はゲイかな?」
「なんでだ」
「愛せない。愛したことが無い」
「話が混同しているな。ゲイとは関係ない気がするぞ」


#28

動く物を食べる

 ろくに世間に興味を持たないまま、白髪混じりになる年齢まで来てしまった。だから知らないうちに大きく変わった世の中に驚かされてしまう。
 遊びに来た親戚の子が「おっちゃん、食べる?」と言ってお菓子を差し出してくる。だが受け取った瞬間、俺は短い悲鳴をあげてそれを放り出した。
 渡されたのはクマの形をしたクッキー。だが恐ろしいことに、透明のパッケージに封入されているクッキーが、ゆさゆさと手を左右に振っているのだ。
 真っ青になった俺を見て、子供はげらげらと笑う。その子の親は、謝りつつも愉快さを隠し切れない表情で説明をする。
「すみませんねえ。新しく出た、動くクッキーですよ。今、すごい流行ってて」
「そんなものが食えるのか」
「大丈夫ですよ。ほら、パッケージ開ければ動きは止まりますし。それに動きも機械的でしょ」
 そう言いながら、毒見でもするように動物のクッキーをかじり、こちらにも一枚差し出してくる。俺はしかめっ面で首を振った。
 それからしばらくたったある日。親戚の子が持ってきた新製品を見て、俺の眉間の皺はさらに深くなった。
 袋を開けると、中からペンギン型のマシュマロがぴょこんと飛び出す。そして子供の手の上で、翼を振って楽しげに踊り始めた。
 子供はそれを見せびらかしながら、期待に満ちた目でこちらを見つめる。だが険しい顔を浮かべただけの俺にがっかりして、無造作にマシュマロにかじりついた。上半身を食いちぎられたペンギンは、手の上でばたりと倒れて動かなくなる。
「どうして普通のお菓子を買わないんだ」
「普通って?」
 まったく理解できないように聞き返される。俺は嫌な予感に襲われ、すぐに近所のスーパーへと走った。
 数十年ぶりに訪れたお菓子売り場は一変していた。並べられた色とりどりの菓子は、すべて動物の形をしており、ただ一つの例外もなく動いている。俺はうめき声とともにうずくまった。
「浮世離れした生活を送ってるからですよ。なにがカルチャーショックですか。恥ずかしい」
 迎えに来た親戚からそう説教される。あの動く菓子に馴染めないのは俺だけらしい。
 すぐ横では親戚の子が、おもちゃの鉄砲でヒツジ型のビスケットを狙い撃つ。ヒツジは真っ赤なジャムを体に散らせて動かなくなり、子供はそれをうまそうにかじった。
「ひどい時代だ。昔は動く物を食べたりしなかったのに」
 俺がそう呟くと、親戚はなぜか呆れた顔で見つめてきたのだった。


編集: 短編