第92期 #7

終了宣言

「お客様はもう神様じゃないって言われても、ねえ?」
朝の覚醒しきっていない体を刺激するように、テレビからは元気な司会者の声が聞こえてくる。今朝はちょっと変わったニュースが入ってきたようだ。解説者も身を乗り出して熱く語っている。昨晩遅くに総理大臣が『お客様は神様である』という観念の終了宣言を出したようだ。
 テレビではこれからの接客業界がどうなるかという予想合戦が展開されている。服を着替え、整髪もそこそこに、僕は近くのファミリーレストランに行ってみることにした。
 自動ドアが開き、足を踏み入れると店内に来客を知らせるベルの音が鳴り響いた。しかし、「いらっしゃいませ」の声が聞こえてくることはなかった。モーニングの忙しい時間帯なのだろうと店内を見渡したが、客の姿はまばらだった。司会者の言葉を思い出しながら、僕はカウンター席に腰を下ろした。テーブルの上に無造作に置かれたメニューを眺めていると、やがて女性店員が水とおしぼりを持ってきた。
「コーヒーとこのBセットください。」
「…はい。」
大学生らしき店員は愛想笑いを浮かべることもなく去っていった。たしかに今の接客は微妙だな。そう思いながら店員の背中を目で追って行くと、喫煙席に男性店員の姿を見つけた。なにやら客と親しげに話している。
「まじでステーキっすか。」
壁に寄りかかり腕まで組んでいる。キッチンの方からは笑い声も聞こえてくる。ここまで変わるものかと驚いてしまう。他の客も同じ気持ちのようだ。
 その時、新人らしき店員がコーヒーを運んできた。
「お待たせしました。ホットコーヒーで…ああっ。」
コーヒーはカップの淵ぎりぎりまで入っていたようで、テーブルに置く際にカップからこぼれてしまった。熱いコーヒーが僕に襲いかかることはなかったが、ソーサーはコーヒーで満たされていた。
「大変失礼しました!すぐにお取替えいたします。」
顔を真っ赤にして何度も謝る姿に思わず笑みがこぼれた。
新しいコーヒーが来るのを待っている間、目を通した朝刊には総理の出した声明が書かれていた。
『明日よりお客様は神様ですという観念は終了いたします。これからは、商売においても一人の人間として尊重しあい、今日の困難な状況下において、国民全員で支えあっていきましょう。』
 経済や食料問題は多々あれど、これからのこの国、いや、あの新人店員の行く末はなかなかおもしろいものになりそうだ。



Copyright © 2010 岩砂塵 / 編集: 短編