第92期 #19

閏年の僕

2月29日。僕の生まれた日だ。僕の誕生日は4年に1度しか巡ってこない。あたりまえのことだけれど、暦から誕生日は消滅していても、皆と同じように細胞は循環し、老廃物を放出し、日々老化の一途を辿っている。多分。幸いにも、良き友人たちに囲まれ、暦の上では誕生日が存在しない年にも、前後いづれかの休日には、皆が誕生日を祝ってくれていた。これまでは。うれしいことだ。誕生日が毎年暦に刻まれていても、祝ってもらえない人もいるのだ。僕と5つ違う姉は、21の誕生日は泣いて過ごした。詳しくは知らないが、その1ヶ月前から、よく我が家に姉を送ってきていたBMWを見なくなっていたから、きっとそういうことが関係していると推察した。その日姉はしくしく泣き始め、時に号泣し、しくしく泣き止んで眠った。時々僕の部屋に向かって何かが投げつけられた。1度も部屋の扉を開けなかった。壁伝いでもそういう悲しみに溢れた行為を伺い知るのは辛い体験だ。僕は誕生日を泣いて過ごすまいと心に決めた。はずだった。残念なことに今年、僕は誕生日を1人で過ごす。せっかく暦にも日にちが刻まれているのに。幸せな時間はあっという間に過ぎ、4年に1度しか誕生日を迎えなくても周囲と同じように学校を卒業して社会人となり、皆と同じように忙しくなった。趣味の時間が本当に趣味の時間となり、「生き甲斐」が「息抜き」へと変化し、細胞は循環し続けた。肉体の緩やかな荒廃にともない、友人関係もゆっくりと、そして静かに疎遠となっていった。学生時代から続いていた恋人とも破局を迎えた。誕生日よりも破局のほうが多かった僕ですら、直近の破局は応えた。社会人になってしばらくは、自分の生活が劇的に変化したことに戸惑っていた。近くにいるはずだったその恋人は、気がついた時には、手の届かないほど遠くにいってしまっていた。戸惑いは今も消えることなく、静かにひっそりと循環する細胞と同じように、少しずつ形を変えながら、日々を僕とともに過ごしている。喪失も循環の1つなのだ。誕生日を一緒に祝う人がいないので、誕生日は4年に1度だと思うことにして気をラクにした。たとえ同じことが起こるのだとしても、次は4年後だ。もし良いことが起こるなら、4年後が楽しみだ。そして循環するのだ。



Copyright © 2010 マーシャ・ウェイン / 編集: 短編