第92期 #15
太陽の光を柔らかく溜め込んだ布団が一つ。
日陰となった縁側で三つ折に置かれていた。
私はそれを見た瞬間、周りを見渡す。庭にも、家の中にも、向こうの畑にも入道雲にも誰もいない。絶好の機会。
「我突撃せり!」
左手の戦争漫画を室内に投げ、一羽の鷹の如く飛翔した。みしり、縁側の軋む音を地上に残し、わずかに空に浮き、やがて重力に捕まれ、今私は天国に落下しようとする。
――落ちる場所が天国たぁ乙なもんだ。
ばふん。
想像以上の柔らかさをもって布団は私を抱きしめる。
もふっ。
「おっふぉっふぉ」
あまりの気持ち良さに笑うと、布団に顔を沈めているせいか変な声になってしまった。それが妙におかしくて、また笑ってしまう。私もお年頃か。
布団の上で寝返り、仰向けになる。上半身を包む温もりと足先に触れる床の冷たさが絶妙な具合で私の眠気を誘う。
「あー、風鈴があればな」
大きな声で何も吊るされていない屋根を罵倒する。つまらん家だ。ここで風鈴が見えるとさらにイカしているんじゃないか。
「……焼きイカ!」
突如、焼きイカの鮮烈なイメージが私を襲う!
金網の上で見る見るうちに焼かれていくイカ。丸ごと。そこに放たれるのは容赦なき醤油の洗礼!
どじゅううううううううう。
沸き立つ香り! なんという我が創造力。これだけで口の中が唾液まみれだ。
「醤油ってズルい」
虚空の香ばしさ引き寄せられ、次にイメージとして現れたのはどこにでもあるただの日本酒だ。醤油、イカ、酒。何故だ神よ。これだけで私は幸せになれる自信がある!
ぐぅ。
圧倒的な空腹感とは真逆に、眠気は加速していく。
――時間差攻撃?
やりおる、やりおるぞこやつ。
目を瞑る前に、私は青い空に手を振ってみた。その青を自分の手でごしごしとふき取るかのように、重ねて、振った。
視界がぼやけて、振っている手は徐々に私の顔に近づいてくる。そして、ぺたりと両目を塞ぎ、私の意識もそこで塞がれた。
恐らくここは夢の中なのだろう。
十年後の私が焦土の上を歩いている。
焼きイカでなく焼死体を貪る日々。
なんと苦々しき幻想か。
血風に混ざる焦げた香り。
あぁ、ここにふとんがあれば世界は救われているのに――。
はっ、と目を覚ます。
すでに日は落ち始め、たそかれ時が近づいてきている。
奇妙な臭いが鼻をつく。見ると布団に私のよだれの染みが残っていた。
それが私には世界地図に見えた。