第92期 #13

赤い動機

 夕方、いつものように世話をしている狭い庭に咲く大切に育てた薔薇が何者かに手折られていたことに気が付いた男は、刹那に目が血走った。
 男は視野が狭かった。ところが、矛先は犯人へと向かわなかった。やぶれかぶれになって誰でもいいから殺してやろうと思った。稀代の殺人犯になって名を残してやる。
 ただそうしたとき、犯罪者となった自分の両親が不憫でならないと思った男はまず先に、両親を殺すことにした。だが、その前にやることがある。
 ありったけのお金を口座から引き出してDior hommeでスーツ、シャツ、ネクタイ、革靴、ベルト、そしてブーツとすべてを揃えて身を固め、万全の盛装をし家に帰る。
 深夜、寝ている両親を包丁で次々に殺した。死に顔は醜かったので、一瞥しただけで部屋を去った。
 血まみれになった男は、はたと気づく。隣の市に住む姉の一家にも迷惑がかかる。焦った男は、運転免許がないので深夜に自転車を目一杯漕いで姉の一家が住む土地へ急いだ。窓ガラスを割って家に侵入し、姉と義兄、その子らをぐさりと刺していく。服はいよいよ血に染まりきり、赤一色。
 そこで、また気が付く。今度は田舎に住む祖母に迷惑がかかると思った男は、今度は明け方にタクシーを捕まえて、祖母の住む山の里に向かう。ちょうど早起きしていた祖母に鉢合わせたが、挨拶を交わす前にあっという間に一突き。床の上には血の海が広がる。一仕事終えた男は外に出て朝焼けを背にしてタバコを吸った。
 さてさて、男にはまだある思いが浮かんだ。会社にも迷惑がかかる、と。そこで出社するなり椅子にかけていた上司を殺した。
 しかし、いよいよそこで周りに取り押されとうとう捕まった。
 警察に連行された男は、「むしゃくしゃしてやった」、「誰でもよかった」という常套句を吐いた。どうせ薔薇の美を解さない下賎な野郎に、自分の犯行動機を理解される筈もないと思ったからだった。だが、取調べの警察官は納得しなかった。親族や上司という身近な人ばかり連続で殺しておいて、怨恨がないとは信じなかった。
「恨みがあったんだろう?」
 そう尋ねたが、男の答えは変わらず壊れた機械のように同じ言葉を繰り返したのみ。反省の色は一つも見せずに。
 当然、男は死刑が言い渡された。
「最後に言うことはないか?」
 断頭台に上がった男は、目に涙を溜めて謝罪の言葉を吐いた。
「薔薇に謝りたい。ひとりぼっちにさせてすまない」



Copyright © 2010 近江舞子 / 編集: 短編