第91期 #8

あまいくつ

 ピンヒール、ロングブーツ、サンダル、スニーカー、ミュール、果てはロッキンホース等々。靴に種類はいろいろあるけれど、中でもわたしはバレエシューズが一等好き。
 お店の棚にずらりと色とりどりに並べられている、丸いつま先のぺたんこのあの靴たちを見るとうっとりする。ちょこんとリボンが付いているとなおいいかな。あまく光るM&M'sチョコレートみたいで、ひとつひとつ手のひらに乗せて輝きを楽しむと、舌にその味が伝わってくるよう。
 はあ。いつも思わずため息が出る。そのときのわたしの表情は相当だらしないから、人には見せられないだろうな。ああ、みっともない。
 ただし、わたしの場合、バレエに使う本物のじゃなくて、正確には外履き用のバレエシューズ風のパンプス。幼いころ、バレエ教室に通う友だちが見せびらかすように履いているのがうらやましかった。いいなあって。わたしの家では、習い事といったら実用的なそろばんや習字しかやらせてもらえなかった。ちっとも女の子らしくないから、嫌だったけれど親に文句は言えなかった。
 働く今になって財力がついても、買えやしない。昔からの渇きを潤すように、ただ眺めて心を満たしている。
 というのも、わたしは背が低いくせに足ばかり大きくて、サイズの合うかわいいバレエシューズが滅多に見つからないから。それに、もし入るのがあって試し履きをしても、このわたしにはかわいいものが似合わないし……。なによりわたしに履かれたら、靴のほうがかわいそうだと思っちゃう。だから、外に出かけるたびにお気に入りのお店に飾られたものを眺めては、心を癒している。これが履けたらいいのにな。そう思ったことは数限りない。
 たまに友だちと一緒にショッピングに行くと、「そんなことないよ」、「似合ってるよ」と言ってもらえるけれど、お世辞だとしか受け取れない。卑屈で矮小な性格。きっとその精神によってバレエシューズのほうからわたしを拒んでいるのだ。
 いつも飾られた靴に挨拶するだけで、連れては帰れない。喜びに溢れるほんのわずかな短い出会いのあとには、悲しい別れが待っている。
「はじめまして」
 今日も新しいバレエシューズが仲間入りしている。彼女は嬉しそうに笑っていた。張り切る新人のように初々しい。つられてわたしも顔がほころぶ。
 でもね、ごめんね。あなたとは一緒には居られないんだ。
「さようなら」
 どうか似合う人の足元へ行ってね。



Copyright © 2010 近江舞子 / 編集: 短編