第91期 #10

タイ焼き

 小さなころの私は本当に無垢でした。暇さえあれば近くの山や河などに遊びに行き、飽きることなく自然と戯れていました。
 そのためでしょうか、昔の私は生きていたものを食べるということが信じられなくて、魚や肉が食卓に出てきた日には、異常なくらいの拒否反応を示していたものです。さらに言うならば、材料に生き物が一切使われていない、タイ焼きのような生き物を模した食べ物ですら、目の前に出された瞬間、この場から逃げ出したくなる衝動に駆られたりもしました。自分を食べようとしている人間に向かって、恨みつらみを込めたような眼で睨みつけているんじゃないかと思うと、生き物ですらないタイ焼きであろうと目の部分を見るのが怖くて仕方なく、どうしても直視することができなかったのです。そんな自分を、母が苦笑しながらも優しげな眼で見てくれていたことを、私は今でもはっきりと覚えています。
 そのような幼少期を歩んできた私。自然が大好きで、生き物と触れ合うことが大好きだった私。今あらためて振り返ってみても、幸せな幼少期を過ごしてきたものだなと実感しています。
 ですが、ここでふと気づいたことがあるのです。本当の私は自然や生き物が大好きだったというわけではなく、自然や生き物が大好きである私自身のことが大好きだったのではないか、ということに。

 あれから長い月日が経ちました。私も友達も、みんな大人になりました。汚い大人になりました。社会の波にもまれ、たび重なる理不尽に耐えつつ、その中で汚れながらもたくましく成長していったなと思っています。
 そして今の私は、私自身のことが大好きというわけでは決してありません。自然が大好きで、生き物が大好きだった私はもうここにはいないからです。
 汚い大人になりました、本当に汚い大人になりました。
 今の私の大好物は、どれもこれも魚や肉が使われています。目の前に出されても、逃げ出すどころか喜んで口にしてしまっています。生き物を大事にしていたあのときの自分の姿は、もうここにはありません。すでに、過去の遺物と化してしまいました。
 ……ああ、いや。そういえば少しだけ、幼少期の名残があります。
 私はタイ焼きを食べるとき、いつも最初はタイ焼きをろくに見ないまま、一番に頭の部分から食べています。
 タイ焼きが自分のことを、恨みつらみを込めた眼で睨んでいるんじゃないだろうかと、今でも思うからです。



Copyright © 2010 謙悟 / 編集: 短編