第90期 #7

思い出と記憶の間

楽しい一日が始まるはずであったが、男の表情にはいらつきがみられ、小さな車の中の空気は重く、とぎれがちの会話の空回りが続いた。女の頭には、出発して間もなく小さな不安がよぎり、それはやがて女の意志とは裏腹に大きくふくらんできていた。
 無理に男に週末のディズニーランドをねだったのだった。「こんなことをするべきではなかった。」と思う。こんなこと、とは、男を困らせようという幼稚な思い付きであり、空虚な遊園地訪問であり、その、あたかも恋愛の象徴ででもあるかのような明るい場所に二人で立ってみたい、という少女じみたおねだりであった。「不
倫」という言葉が盛んに使われた1980年代の終わり、女は灰色に光る高速道路の上で何度目かの後悔をしていた。長い間、恋はただ熱く、会えさえすれば満足があり、潤いに包まれた。女も男も同じように熱かったが、違っていたのは女はその熱さによって離婚ができたのだが、男はその熱を結婚生活と恋を両立させ得るパワーに変えてしまったことだ。そして男はそれを充実だと錯覚していたのかもしれない。女には人並みの独占欲も生まれていたが、自分がやり得た離婚という偉業を男にできぬはずはない、と信じていたのはいつまでだったか。二人の時間が止まればいい、と思う者達もいるだろうか。「心中」というのがそれだ。小説の中だけのこと、と思う。男から離れる決心を何度もし、その度に崩れ、八年の月日が流れた。今さら休日の遊園地などに何の意味も無いのだった。遠い所に新しい恋をみつけたかった。とにかく遠いところだ。タクシーや電車では戻れないところだ。
 二十一世紀になり、女はかつて希望したように遠い所に居る。平穏な暮らしの中であの男を思い出さないか、といえば、そうではないのだが、あの休日のディズニーランドへ行った日のことは、行く途中の車内の緊張と帰宅時のことしか思い出せないのである。いや、行かずに引き返したのだったか。そういう記憶も無い。あの夜、部屋のドアを開け、いくぶんひんやりとした中に飼い猫の声を聞いた時は実にほっとしたものだった。女は一日中、ガスストーブを消し忘れたのではないか、という心配にとらわれていたのだから。



Copyright © 2010 沢木月子 / 編集: 短編