第90期 #19

ひなどり

 翔太が初めて家出をしたのは中学に入る少し前だった。
 家族に不満があったからではない。ある晩漠然と死について思いを巡らせていたら眠れなくなった。それが理由だ。
 四時過ぎに翔太は布団から出て、へそくりをかき集めた。小銭で三千円あった。着替えると家を抜け出し、駅に向かった。券売機に五百円入れ、表示された一番高い切符を買った。駅員は堅物を絵に描いたような顔をしていたが、意外と物わかりがよかった。なにやら思い詰めた顔の珍客に、あと二十分で始発が来ると教えてくれた。
 誰もいないホームを歩き回っていると、屋根が途切れた暗いホームの端に何か落ちていた。どこから落ちたのか、雀か何かのヒナが力なく動いていた。翔太はどうにかしてやりたいと思ったが、素直な感想も禁じ得なかった。毛のない肌と異様に大きな頭に開かない目、有り体に言えば、気味が悪かった。遠巻きに見守っていると、突然ベルが鳴ってあたりが眩しく照らされた。ライトに晒されたヒナの、嘴の鮮やかな黄色が翔太の頭いっぱいに広がった。
 急いで電車に乗り、外を眺めた。まだ暗いが目を凝らした。何も考えたくなかったのだ。だがあれだけ眠れなかったのに、座るとあっさり落ちた。
 目が覚めるともう昼近かった。電車は止まっていて、車掌が翔太の肩を揺すっていた。寝惚け眼で思い出したのは、家出をしたということだった。翔太は車掌を押しのけてホームに降り、無我夢中で端まで走った。足下に何かを探したが寝起きでまだ思い出せなかった。車掌は追ってこなかった。空は抜けるように青く、微かに磯の香りがした。乗ってきた電車が翔太の住む町に向けて走り出した。
 ホームの売店でお茶と弁当を買うと次の下り電車に乗った。切符を検められたが、終点まで眠っていたと告げると納得してくれた。顎に涎がこびりついていたからだ。
 空が茜色に染まる頃、翔太は朝と同じホームに降り立った。駆け寄るとヒナは半ば干からびていた。涙が出た。だが気味が悪かった。朝よりもっと気味が悪かった。
 涙が止まるまで待ってから改札に向かった。朝と同じ駅員はやはり物わかりが良く、ハンカチで乾いた涙と涎を拭いてくれた。翔太は駅員を連れてホームの端に向かった。駅員は同じハンカチでヒナの亡骸を包み、翔太と一緒に駅舎の裏に墓を作った。
 うなだれて帰宅すると、予想に反して家族も物わかりがよかった。夕食は父がフライドチキンを買ってきていた。



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