第9期 #5
ちゃぶ台にはロマンがある。
しかし、それには必要な条件が揃っていなければならない。
まず、適度に年季の入ったものが好ましい。
何故なら、ちゃぶ台の質はその年季にあるからだ。適度な傷、適度なハゲ具合、これらも重要な要素の一つに違いない。それを自然に身につけるためには、やはりある程度の年月を経たと一目でわかるものでなければならないのだ。これは欠けてはならない、言わば必要不可欠の要素と言えよう。
次に必要なもの、これは脚を折りたためるものでなければならないことだ。
本来、ちゃぶ台は狭い日本住宅で必要なとき、必要なスペースを確保する目的で開発された意味合いが強い。それは坊主の修行でいわれる「起きて半畳,寝て一畳」に通じるものがある。人間が寝ている間は常に身を折りたたんで部屋の隅に置いてそれまでの占領スペースを有効活用できるよう、脚が折りたためて当然、いや、折れない脚のちゃぶ台など言語道断なのだ。いくら年季のある質のよいちゃぶ台だとて、脚が悪ければ何の意味もなくなる。ちゃぶ台としては失格だと言わざるをえないのだ。
望むべくちゃぶ台を作り出すには、根気も要る。
数年ごときで出来あがるものではない。いや、一生涯かかったとしても我が手で作り出す事など不可能かもしれない。
だってそうだろう。望む場所に思うような傷がつかなければ、侘び寂をかもし出す風情あるハゲができなければ、そのちゃぶ台はただの小汚い古道具に成り下がってしまうのだ。そんな悲しい事はない。あってたまるものか。
傷、ハゲ、脚、その全てが必要で必須条件だ。まるで人生を凝縮している、そう縮図と言うにふさわしいものと言っても言い過ぎではないくらいだ。
なあ、キミ。キミにならこのロマンを理解してもらえるだろう?
この古道具屋のショーウィンドに並ぶこのちゃぶ台、この痛み具合とても質が良い、魅惑的なフォルムだしハゲ方に品もある。無骨な脚がまた良さを引き立てている。これぞベストちゃぶ台、いや、『キング・オブ・ちゃぶ台』と呼ぶにふさわしい逸品だ。
そうだ、特別にちゃぶ台の正しい使い方を教えよう。キミのちゃぶ台をそこで広げて耳を押し当ててごらん。時代の足音が聞こえるだろう? それはちゃぶ台が見てきた歴史そのものなのだ。
聞こえないなんて事はない。それは正しい聞き方をしていないからだ。ええい、この未熟者め、心の耳で聞くに決まっているだろう。