第9期 #4

哀歓

窓辺に掛かるレースのカーテンが外気によって静かに揺れる度、正午の暖かな光も視覚的にではなく、感覚的に揺れるように感じる。そこへ手を置いてみると、触覚が愛情のような暖かさを覚えた。窓辺の向こう、空をカーテン越しに見上げると小さな飛行機雲を見つけた。
  私の苦しみをあなたが理解するなんて不可能なのよ!
そう言ってしまった昨夜を思い返しては、涙が込上げて来る。
  私は子供を堕胎しているのよ!捨てられたくないって、必死になって!その結果は、書き間違えたメモ用紙の如くゴミ箱行きよ!その苦しみがあなたに理解出来るの?ねえ!
彼はただ黙って抱きしめてくれた。それがどういう答えなのか私は知らない。それが昨日の夜で、今はもう彼はいない。暖かな日差しの中に置かれた手の甲で、私は現実の中にある数少ない哀歓を覚える。彼はそれでも受け入れてくれる。彼はそれでも笑ってくれる。私の悲しみを吸い尽くし、そしてまた笑ってくれる。
  結婚しようね。僕はそれも含めて、君を愛しているからさ。
私は哀歓を覚える。私は失うことの恐怖を再び味わう。彼が私を一つ許してくれる度に、私は彼を一つ失う。何故、全てを優しい笑顔に変えてしまえるのか。私には疑問符ばかりが増える。彼を少しずつ見失ってしまいそうで怖い。
  傷を付け合う事だけが人間の関係じゃないでしょ。僕は君の全て受け入れるよ。大丈夫、必ず幸せになれる!
私の心が切り裂かれる前に彼と会う事が出来ていれば、私は彼を見失う恐れを抱く事はなかったかもしれない。
見失う為に私は彼との関係を続けなければいけないのかしら。結婚する事が一つの答えになるのなら私は彼と結婚しようと思う。でもそれが、彼の事を一つどころか全てを見失う道になるのなら私は躊躇する。伸び続ける飛行機雲を眺めながら、私は私に関する将来を私の手によって裁く。ここに置かれた手を引っ込めても、置いたままでも、私は生き続けるしかないのだ。



Copyright © 2003 マサト / 編集: 短編