第9期 #25
夕方の商店街を、母親と誠が手を繋いで歩いて行く。
鮨屋の前に差掛かると、誠ははっと身をこわばらせて母親の前に回り込み、腹部に顔を伏せて抱きついた。
鮨屋の店先には、大きなセントバーナードがロープに繋がれてお坐りをし、真っ直ぐ誠を見詰めていた。
母親も一瞬身を竦めたが、すぐ置物の犬と気づいて、
「おばかさんねえ、あれはただの置物の犬なのよ」
と誠を振り放して犬の傍に寄り、頭を撫ぜてやる。
「ほれ、撫で撫でしてみなさい、何もしないから。駄目でしょう、来年は小学生だっていうのに」
いかにも親しみ深く犬を撫でつける母親を見ると、誠は安心して犬に近づき、おずおずと手を出す。なるほど頭はつるつるして硬く、生きものの血が通ってはいなかった。
母親は誠の手を取って、家路を急いだ。彼は犬に思いを残して振返りつつ、遠ざかって行った。
二、三日して母親と誠は別な商店街を歩いていた。眼鏡店の前に置物のコリー犬が澄ましてお坐りをしていた。
誠は咄嗟に後込みし、呼吸を整えてから二歩三歩と踏出して行った。それでも、すぐ頭を撫でるまではいかなかった。
「触ってご覧、おとなしいから」
言われて、すごすごと手を伸ばす。コリー犬は撫でられるままに、頭に力を溜めていた。それが嬉しがっているようにも見えた。
「そろそろ帰るわよ」
母親に言われるまで、誠は犬を撫で続けていた。
あくる日、誠は母親の目を盗んで独りで犬を探しに出かけた。よく母親と行く商店街を経巡っているうちに、風変わりな黒い犬に出くわした。お坐りしているのではなく、四足を地面について、一箇所を鋭い目で睨んでいる。その格好たるや、グロテスクで頑健そのもの。
誠は四足で立つ置物の犬は初めてなので、気が気でない。しかも相手はいかつい貌つきのブルドックなのだ。犬は誠などまるで眼中にないかのように、斜め向こうの建物の陰のほうへ目を注いでいた。
犬の背中にそっと手をおくと、激しく皮膚が痙攣した。これには誠のほうがびっくり仰天。あまりのことに彼は手を放すのも忘れていた。
犬は凄まじく唸って誠の手を咬みにきた。牙が柔らかな肉に食込み、彼は声も出なかった。
犬の口から手をもぎ取ると、彼は商店街を帰路とは逆の方向へ狂ったように駆出した。
喚き声に道行く人々が振り返ったときには、すでに子どもの姿はなく、路地から路地へと平衡感覚を失った生き物となって走り込んで行った。