# | 題名 | 作者 | 文字数 |
---|---|---|---|
1 | とある詐欺師の魔法の杖 | アンデッド | 1000 |
2 | 吸血鬼マイク | 山羊 | 1000 |
3 | 白いカラスの話 | 次人 | 997 |
4 | 『月下』 | 石川楡井 | 1000 |
5 | マフィアと少女 | ユウキ | 438 |
6 | 桜の空 | 十和 | 998 |
7 | カツオ | わら | 1000 |
8 | 迷イ猫 | もここ | 220 |
9 | いらないものばかり | 高階あずり | 995 |
10 | 信号待ち | loiol | 992 |
11 | ほっぺた | 鼻 | 1000 |
12 | 中空出生し命 | 彼岸堂 | 1000 |
13 | 天地創造。 | のい | 819 |
14 | π | qbc | 1000 |
15 | 窓と櫛 | 高橋唯 | 995 |
16 | ミチ | おひるねX | 984 |
17 | 姥捨 | えぬじぃ | 1000 |
18 | 相手の目を見る | 初瀬真 | 1000 |
19 | 象をキャンデーで打て | 宇加谷 研一郎 | 1000 |
20 | カプチーノと僕らの世界 | クマの子 | 1000 |
21 | 小さな塊 | euReka | 986 |
ある夏の季節。イタリアでは異常気象により雨が降り続いていた。
ローマから続く荘厳優美な街並みも、長い雨によって今は幽霊のように生気がない。多くの川があるイタリアでも上位の長さを持つ、ポー川、アディジェ川、テヴェレ川なども、全域で降り続ける雨の影響で氾濫の危機にあった。かのバチカンでも、聖職者達はただただ神に祈るばかり。
そこへ、ジープに乗った一人の気象学者が現れた。
水かさが増す中、学者は四輪駆動を走らせてイタリアの都市部を回り、最新鋭の観測機器を使って異常気象の調査を始めた。
しかし、一向に原因が解らない。異常に降り続く雨の下、学者はジープの中で頭を抱える。
疲労した頭で考えても仕方ない、ここは一つ休憩しよう。学者はそう決めると、助手席にあるバッグの中から煙草入れと巻紙、そしてハサミを出した。
ハサミで巻紙を適当に切り、煙草入れから取り出した煙草の葉とハシシをそれに乗せて、器用に巻く。
火を点けて一服すると、直ぐに気持ちが良くなった。煙りだらけになった車内で、学者はぼんやりとしてまう。
――その時。誰かが車の窓をコンコンと叩いた。
見ると、黒いカッパを着て木の枝のような杖を持った老人が、窓の外に立っている。
窓を開けて何か用かと学者が聞くと、老人は、学者の噂を聞いて来た、と言った。そして、雨は自分が魔法の杖で降らせていると。
勿論、学者は一笑に付して信じなかった。しかし老人は、学者の前で杖を掲げて見せる。
雨が――ぴたりと止んだ。
老人が再び杖を掲げると雨が降り、また掲げて雨を止ませた。
学者は驚愕する。まさか本当に魔法の杖なのか、と。
そこで老人は学者に、自分の杖と学者の持つハシシの煙草とハサミを交換しないか、と持ち掛けた。
学者は快く交換に応じる。
ハサミを手にした老人は、その刃でチョキチョキ、切り絵のように雨雲を切り裂いた。途端に雲が消え失せ、青空が広がる。
一方学者は、老人を真似て杖を掲げていた。だが、雨は全く降らなかった。何度となく掲げてみるが、雲一つない青空が広がったまま――やはり雨が降る気配はない。
なぜ雨が降らないのかと、怒った学者は老人を問い詰めた。
すると老人はこう答える。
「だってそれ、近所で拾った普通の木の枝だし。魔法の杖は、わしが持ってる時だけ魔法の杖だからね」
老人は言い終えると、ハシシの煙りをぷかぷか吹かして、また雨雲を作っていった。
「死か、永遠の命か、好きな方を選べ」
この館の主であるマイクは、羽織ったマントを大きく広げると、面前で座す娘に問いかけた
「ならば私は永遠を望みます」
「そうか……」
そう言って、マイクはゆっくりと娘に歩み寄った
「もし私が吸血鬼ではなく人間で、お前と同じ立場だったとしても、私はお前と同じ答えにするだろう」
娘の後ろまできたマイクは、その口を耳元に近づけると「用意はいいか?」と尋ねた
「……は……い」
恐ろしそうに返事をする娘
そしてマイクは、はだけさせた娘の肩にむかって貪る様に牙を突き立てた
一瞬、痛がる素振りを見せた娘だったが、針や牙は皮膚を貫いた時が一番痛いのか、すぐに表情から力みがとけていく
娘は何に恐れていたのか。それはこれから自分が人間ではなく、魔物になって生きていく事への不安や辛さからだ
「終わったぞ」
「もう……ですか?」
「そうだ。お前はもう……」
羽織ったマントを大きく広げて言う
「魔の物だ」
「フラン!」
「はっ」
フラン。マイクの召し使いである
「教えてほしい事がある。元は人間であるお前の意見を聞かせてくれ」
「わかりました」
「まず、人間がこの魔界で生きていくにはどうしたらいい?」
「人間のままでは瘴気に当てられ死んでしまいますので、魔物になるしかありません」
「魔物に寿命はあるか?」
「495年間、この魔界で魔物の死体を見た事はありません。今の所、魔物が死ぬには異世界へいく方法くらいしか……」
「異世界へいくと?」
「その日のうちに死にます。人間も魔界では死にますので、同じ事が言えます」
「では人間のまま人間界に帰ればいいのでは?」
「それができたら私も……」
言いかけて慌てて口を塞ぐフラン
「し、失礼しましたっ」
フランを魔物にしたのは他でもないマイクである。主にむかって責任を取れとも取れる発言をしそうになったのだ
しかし、彼女の失言に対してマイクは、むしろ笑ってみせた
「私も自分の世界が好きだ」
「す、すみません……」
「いや、続けて答えてくれ。なぜ人のままでは帰れない?」
「人が魔界にきたら人間界は異世界です。恐らく、異世界にいくには異なる存在になる必要があるのだと思います。事実、私も魔界に迷い込んだ時、すぐに出口を見失いました」
「鍵は自分自身という事か。……私は今でも信じられん。遥か昔、マキという王女がいたが、奴はなぜこの世界で人のまま死を選んだ?」
「……人間の気持ちなど、とうの昔に忘れてしまいました」
昔、私が作家を目指していることをどこからか聞いてきた友人が、こんな話をしてくれたことがある。
とあるカラスの群れに、一羽だけ全身真っ白なカラスがいた。真っ黒な集団の中に真っ白なやつが混じっているとなれば、それは相当目立つもので、周囲からは完全に浮いてしまう。白カラスは小さい頃から周りにからかわれ、いじめられて過ごしてきた。
しかし白カラスは、周りからどんな扱いを受けようと、決して卑屈になることも、やけになることもなかった。俺はみんなとは違う、けれどもそれは悪いことではない。きっと俺はたったひとり神様に選ばれた、特別な存在なんだ。白カラスはそう考えて自らを慰めた。
それから、白カラスは自分が特別であることを証明しようと、自分だけにしかできないことを探し求めるようになった。それはすぐに見つかった。白カラスは自分がとても美しい声をしているのに気づいたのだ。それは、周りのカーカーという騒音のような鳴き声と比べると、まったく対照的だった。
その才能に気づいた白カラスは、それから毎日歌の練習に励んだ。すると、初めのうちこそ白カラスを面白がって冷やかしていた周りの連中も、いつの間にかその美しい歌に惹かれていった。とうとう、彼らのほうから白カラスに歌を聞かせてくれるようせがむようになり、白カラスは一躍群れの人気者になった。それからというもの、群れの中に白カラスを笑いものにするものはいなくなったということだ。
だが、話はこれで終わりではない。白カラスが歌が上手かったのには、隠された秘密があった。それは白カラスの正体に関係する。
実は、白カラスはもとからカラスなどではなく、本当は近くのペットショップから逃げ出してきたインコだったのだ。それがどういうわけかカラスの群れに混じりこみ、自他ともにカラスだと思い込むようになったのだ。インコだから歌が上手いのは当然のことで、結局白カラスは「特別なカラス」などではなく、「普通のインコ」に過ぎなかった、というわけだ。
「つまり、だ。どんな天才と呼ばれる人物も、ちょっと見方を変えれば凡人と何一つ変わらない、ということさ。ま、せいぜい頑張りな」と最後に友人は付け加えた。それは励ましの言葉のようであったが、自分が白いカラスであると信じ込もうとしている私への皮肉のつもりかもしれなかった。
私はといえば、あれから数年たった今でも鳴かず飛ばずのままである。
美しいものを美しいと呼ぶ……たった其れだけのことを否定したまま事切れた彼女に今は何も言うまい。
春は曙、夏は夜とて、彼女が好む晩夏の十六夜を、私は幾度か伴って過ごしたが、其の元来の美しさ、風流、侘び寂びさえも彼女は気にさえしていなかったのだろう。
出会った頃の上弦の月めいた輪郭は最近めっきり月見団子になってきていて、それとなく指摘すれば、綺麗なぞと言ってはいられぬ。そんなことばかし言う様になって、暇なく氷菓子やらパン菓子やら口にする年中御八つ刻を信条とし始めたからには私も倣って、好きな様に生きたらいいと突き放した長月の夜。
流石に幼児の世話を放った頃には生活の終が見えたので、末期の祈り宜しく彼女の頬を二発平手打ちした。目さえ覚めてくれば良かったのだが、逆上して流しの包丁を持ち出してきた時には、アアもう終わりだと悟った。
正当防衛なぞと自己弁護するつもりはない。一度命の涯てまで愛そうと誓った女である。彼女を気狂いにさせたのは愛足りぬ私の罪だ。一粒種は健やかに育っている。母の顔は覚えていないだろうが、新たな乳母を招く余裕はない。男手一つ、妻の手筈の分まで息子を育てよう。
彼も一端に美意識を携えている。流石、私の血を引いているのだ。首もとから紅蓮たる動脈血を垂れ流して、腹まで染めた母の豊満な乳房に、其の輪に、吸い付いた彼だ。
噎せる妻の寝間着をはだけさせて、両乳を露にさせると、よちゝゝ歩きをした息子は悦んで乳首をしゃぶった。元気な子だ。半身を紅に染めた妻の裸体だが、其れは性の塊だった。血糊で固められた彫刻のような鎖骨、無造作に放られた二つの乳房、唾液と吐血が塗られた唇、ぱっくりと開いた喉の傷から顔を出している妻の肉……。
其れらが窓から差し込む月光に照射され、邪教の女神の来迎を感じさせた。其の神秘が、私をまるで赤子同然にさせ、息子と魂を分かち合い、他方の乳房に吸い付かせる。お前の味、美しき美美美美美慟哭……。
傷口に生暖かい聖水を求め、指を挿入する。堪え兼ねて。私は私は私は息子の目の前で其の生殖の儀を。月夜に脈打つ某を妻の開いた傷口に挿入し、果て、血花を辺りに振り撒き、紅と純白を綯い交ぜにする、恍惚かな、夏の夜更け。幼児は満腹で眠ってしまった。
其の傍らで数年を経て愛を食らい合う私たち、妻よ、女羊よ、妻であったが又妻となった妻よ、美しい、開いた花弁は血に濡れて花鳥風月。
俺はマフィアだ。
名は持たず、ただ、コードネーム''X(イクス)''と呼ばれている。
俺は、立場上、誰にも愛されず、誰も愛さずに生きてきた。
幼い頃からマフィアとして育てられ、俺が13歳になったころ、''鮫''というマフィアグループに入れられた。
そこで出会った、一人の少女、''裏闇(りあん)''。
この少女は、ほかの奴等とは少し違っていた。
たいていの奴は、まず喧嘩を仕掛けてくる。
まぁ、すべて俺が片付けたが。
ただ、裏闇が発した俺に対する第一声は、
『あなた、綺麗ね♪』
だった。
初めは少し驚いた。
が、不思議と馴染みやすい雰囲気の子だった。
俺と裏闇はすぐに打ち解け、お互いに無くてはならない存在だった。
だが、そんなある日のこと。
俺は裏闇に呼び出され、こう告げられた。
「私、あなたの事、嫌いじゃないわ。でも、邪魔なの」
裏闇は、言葉が終わると同時に、俺の喉元にナイフを突きつけた。
そして、
「さよなら」
俺の意識は、そこで途切れた。
薄れゆく意識の中、俺が最後に見たのは、裏闇の、邪悪な笑みだった。
「もうすぐ春だね」
「そうだな、あと二週間もすれば高校生だ」
軽く笑う少年。
「何か、変わっちゃいそう」
不安気に眉を下げる少女。
「でも、桜と俺は変わらないだろ?」
「うん。大地と私は、きっと変わらない」
桜は微笑んだ。
手と手を繋いで微笑み合う。
「・・・もう夕方だね」
「早いな、時間が過ぎるのは」
「うん、すごく早かった・・・」
桜は悲しそうな顔をした。
「どうしたんだよ、また明日会えばいいんじゃん。
そうだ!明日は丘に行こう!」
「あの緑の丘?」
「そう!あそこから見るこの町はすごく綺麗なんだ!
桜が満開で、桃色に染まったみたいで!」
大地は満面の笑みを浮かべた。
「・・・じゃあ明日、あの丘に連れて行ってくれる?」
「もちろん、約束な?」
そう言って、二人は指切りをした。
「じゃあ、また明日な!」
大地は桜に手を振る。
「うん、また明日」
大地が帰路に着く。
すると、後ろから桜の声。
「・・・大地」
「ん?どうした?」
大地は振り返る。
「・・・バイバイ」
手を胸の位置まで上げて、手を振る。
「また明日!」
大地は別れを告げた。
翌日、大地が丘に行く準備をしていた時。
プルルルルル・・・。
空気を裂くような音が響いた。
「もしもし・・・あ!桜の母さん!」
久しぶりに聞いた桜の母の声。
「どうしたんですか?・・・え?」
鼓膜に響くのは、受け入れ難い言葉。
「桜が・・・死んだ?」
昨日、桜は事故にあった。
背中を強く打ち、意識不明の重体。
やっと意識を取り戻して最後に言った言葉。
「丘に、行きたかったな・・・」
それだけだったそうだ。
桜の死から二週間が経った。
あんなに楽しみだった高校生活が、辛い。
気づけば俺は、あの丘に来ていた。
町は、桃色だった。
それを見て、大地は瞳から涙を溢れさせた。
「っ・・・・桜・・・!」
大地はしゃがみこみ、声を上げて泣いた。
哀しみが、次から次へと押し寄せてくる。
「桜・・・」
大地の小さな呟き。
そこに一筋の風。
大きな音と大きな力を受けて、目をつぶる。
目を開けると。
「・・・桜?」
愛しい人が笑顔を湛えて、立っている。
桜は大地に近づき、呟く。
『バイバイ。大好きだったよ』
そう聞こえたと思えば、もう桜は居なかった。
桜の言葉が、まだ鼓膜を震わせている。
不思議と、もう涙は溢れてこなかった。
大地は空を見上げる。
壮大な青が、延々と続く。
まるで、大地を優しく包みこむように。
それは、桜に似ていると思った。
「・・・バイバイ」
大地の声は、空に溶けて行った。
二月! 男子がそわそわする季節!
放課後の教室に女子が二人。一人は南飛鳥。容姿端麗、頭脳明晰。桜中学が誇るマドンナ! もう片方は藻部伽羅子。典型的な友人A!
密談の最中、急に飛鳥が声を荒げた。
「私、カツオが好きなの!」
「ちょっと飛鳥、誰かに聞かれてるかも」
「大丈夫よ。誰もいないもん」
だがいた! 掃除用具入れに身を潜めたシノビがいた! 酢羽井忍。プライドを売って情報を得ることを悦びとする陰険な男だ!
『南飛鳥はカツオが好き』
この情報は翌日のうちに学年中の男子が知るところとなった! カツオとは何か。その謎を解いた者が飛鳥からのチョコレートに近づくのだ! どうせサザエさんのカツオでしたーっていうしょーもないオチなのに、男達は動き出した!
まず一組のカツオこと井園克雄。カツオの最有力候補だ! 克雄は「オレのこと好きなんだろ?」と言いながら飛鳥に抱きついて引っぱたかれた! 克雄の失敗は男達に勇気を与えた!
次にイタリアから来たピザ野郎ことピエトロ。彼はイタリア人ならではの答えに至った。カツオとはすなわちカッツォが日本語風に訛った言い回し。Cazzoすなわち男性器の卑猥な言い方! ピエトロは下半身露出して飛鳥に抱きつき、引っぱたかれた上に親を呼ばれた!
そして三人目、タカシ君こと平岡崇。彼は尊い犠牲の上にどう考えても最初に思いつく結論に落ち着いた! 曰く、南飛鳥は、鰹が好き。
崇は悩んだ末にタタキを諦め、鰹節を買ってきた。しかも伊豆の田子節!
「これ、あげます」
「なに?」
「鰹節です。あとカンナ。これも使ってください」
「……ありがとう」
飛鳥は素直に受け取った! のみならず何かお返しをしなくてはと、ちょうどカバンに入っていたチョコレートを崇に差し出した!
「あっ、あっ、あり、あり、ありがとう!」
カラカラに干上がった口からようやく礼の言葉をはき出すと、崇はスキップで出て行った。崇は手に入れたのだ! 女神からのまだ早いチョコレートを!
そう、今日は二月七日。バレンタインまであと一週間!
浮かれ騒ぐ崇を冷ややかな視線が捉えていた。
「フン、あんな義理にもカウントできないチョコが何になるって言うのかねぇ」
ミスターイケメン・池麺男! そしてツインイケメン・双呉兄弟! さらにイケメンのリーサルウェポン・斎主宇平希!
繰り返す! バレンタインまであと一週間! 戦いはまだ始まったばかりなのだ!
キミの影を追って…追って…
たどり着くのは永久の迷路で
欲?愛?何かが僕を覆ってるんだ
「キミと手をつなぎたい」欲なの?愛なの?
僕を覆ってるのは?
わからないよ
僕はキミとつないでいたい繋がれていたい…永久に
駄目なのかなこんな気持ち…我が儘なのかな
もう、わからない
どうすればいいの?僕ハ迷子ニナッタノ?
「キミ」の砦を今壊して…進む
覆ってるモノ全部剥いで?
少しぐらはいいよね
愛か欲かわからいけど
それが僕の気持ちなら…
少しぐらい我が儘言ったっていいよね?
進行方向、車両の扉の開いた先に前進しようとして引き止められる。ぐん、と後方からの強い力に身体が引っ張られて足がもつれかかった。
「またか」
転びそうになったのをなんとか堪え舌打ちをして振り返れば、そこには扉の取っ手に引っかかるTシャツの裾。鉄製の棒に負けて、白い生地が情けなく伸びきっていた。
この駅で下車する乗客は多かった。しかも僕と同年代の男子ばかり。目的は皆同じだろう。
扉が開いてからしばらくが経っていて、このホーム内の人並みはまばらになっていた。
恰幅の良い駅掌が野太い声を上げて車両の発車を告げる。隣りのホームからのざわつく人声や雑踏をも押しのけるような派手な音を立て、僕が降りてきた列車はドアを閉めた。
「そんなに僕のこと好きなの、なんて」
息もしない固く冷たい金属に、そんなことを冗談めかしに言ってみた。あたりまえのごとく返事はない。引っかかったTシャツを取っ手から外すと、裾はやや生地が伸びて変形したまま戻ってきた。
まるで、拒否されたみたいだ。
主語のないそんな感情が不意に沸いて、心を占める「寂しさ」の水位が上がってきたのを感じた。ジワリジワリと隙間だらけのスポンジに冷たい液体が染み込んでくる、そんな感じ。誰に、何に拒否されたのか考えたくもないし、考えたところで寂しくなるに違いなかったので深くつきつめたくはなかった。
それにしてもなんたる妄想。才ある詩人にでもなったつもりだろうか。「寂しさ」の水位だなんて、何を馬鹿げたことを。僕のどこに非凡な悲劇があるというのだろう。この幸せという生温い世界の中で生き、それを十分に理解しているはずなのに。
車輪と線路が擦れ合い、列車がゆっくりと動き出す。瞳を閉じると、消えた筈の、頬が受けた感触をまだ思い出せることに気が付いた。今朝の一瞬の鋭い痛みを。
「……かあさん」
誰にも気付かれることのないよう、騒音と雑踏の中で唇を震わせてみる。空気が漏れて皮膚がくっ付いて、けれども目頭が熱くならなかったことに安堵する。
一度深呼吸をして、僕は小さく群をつくる知らない仲間たちに遅れをとるまいと、目的の地へと歩き出した。
Tシャツの裾は伸び切ったままで、僕の両手は最低限の生活雑貨が詰め込まれた重い荷物を握りしめている。他には何も握れず、また握るべきものはそれらだけだった。そうして僕は、自分の頬に触れて感傷に浸りたいと思った弱い心を戒めた。
だいぶこうして信号待ちをしている気がする。海沿いの道で、後ろからさざ波の音が静かにして潮の匂いがする。わたしは通学鞄を身体の前で抱えて赤を表示している信号機を見つめている。
車はまったく通らないが信号無視はしない。砂浜が近いので地面はうっすら砂粒に覆われていて、足を動かすたびに、じに、じに、と鳴る。霧が深く、遠く向こうの岩山がもやっている。ごくたまに昔の出来事の様に遠くで大波が、ごかあぁぁ、と割れて崩れる音が聴こえる。
鳥が一匹静かに飛んでいた。このしけった海風の中を羽ばたけば濡れるだろう。それが乾けば結晶化された塩が羽根に残るだろう。ずっとここに立っているわたしの髪も濡れかけている。もしかしたら塩をふくかもしれない。ただ立っているだけなのに…
以前もこうして信号を待った事がある。誰かの田舎に一緒に行かせてもらった時で、葡萄畑で袋一杯に貰った帰りだ。慣れない山道と薄いビーチサンダル。信号はなかなか変わらなかった。試しに裸足で地面に触れたら温まったコンクリートがぎりぎり我慢できる暑さで、むずがゆい様な疲れがまぎれる様な感覚を覚えた。
頭の中で、柔らかい桃色のものを、ぎにいいとひっぱる事を考えている。丸い身体で目も鼻も口も何も無いそれは生物かどうか知らない。ただそういう存在であり、痛覚が存在しない様なのでわたしは好きなだけそうするのだ。飽きたら透明の箱の中に押し込む。箱はそのものの体積より小さいのでぐいぐい押してもどうしてもはみ出てしまう。
口笛を吹こうと思って何の曲にしようか思案した。ひとつあああれが良いなと思った曲は、その印象が浮かぶばかりで肝心の旋律が思い出せなった。だから単音を幾つか吹いたが、止めた。最後にもう一度短く鳴らしたら思いがけずその余韻が好ましかった。
スローモーションの様に水しぶきを散らしながら通り過ぎるバスの車内に、電気はついておらず乗客はいなかった。それに気を取られて気づかなかったが、後ろから小学生低学年くらいと思われる子供の声が聞こえた。二人の子が何かこしょこしょ話している。楽しい気持ちを抑えきれない感じだ。黄色い通学帽を被っているのではないだろうか。「…象がね」「ぽあああんって…」「二個!」等ときゃふひゃふ言いながら。
海鳥の声が一鳴き聞こえた。
霧は相変わらず深く、車が通る気配も無く、
信号はまだ変わりそうもない。
ボクのほっぺたはよくのびます。
休み時間になると、クラスのみんながあつまってきて、ボクのほっぺたをのばして遊びます。
ヨシオ君やハラダ君はやさしいので、ボクが痛くないようにひっぱります。
でもミユキちゃんは、ボクがイタイイタイって言ってるのに、笑いながらおもいっきりひっぱってきます。
だからぼくは、ミユキちゃんがだいきらいです。
この前もそうでした。
ボクが、ときょうそうでビリになったバツとして、先生に右のほっぺたと左のほっぺたをひっぱられて口の前で固結びされたとき。
結び目が口にすっぽりはまって何もしゃべれないボクを見て、クラスのみんなは笑いました。
ミユキちゃんもやっぱり笑っていました。
でもミユキちゃんは、みんなとちがってひとりだけ歯を見せないで笑っていました。
ボクは、それがとてもいやでした。
ボクは、ミユキちゃんの黒目をずっと見ていました。
遠くから見ても、まっくろな黒目でした。
ほかにもミユキちゃんは、ボクのほっぺたを無理やりのばして電柱にくくりつけたこともあります。
すごく痛かったです。
すごく痛かったのに、通りかかったおとなの人たちは「なにこれどういうこと」とか言うだけで、ぜんぜん助けてくれませんでした。
ボクは泣きながら、なんどもミユキちゃんにあやまりました。
そしたらミユキちゃんは「なんでも言うこと聞くならいいよ」と言ったので、ボクはうなづいて、電柱からほっぺたをほどいてもらいました。
そしてそのあとボクは、はじめてミユキちゃんの家に行きました。
ミユキちゃんは自分のへやに着くと、ボクに「服をぬいで」と言いました。
はずかしかったけど、しかたないのでボクははだかになりました。
そしたらミユキちゃんはボクに近づいて、おなかとか、おしりとか、ぜんぜん伸びないところばっかりひっぱってきました。
はじめてかぐ女の子のへやのにおいと、はだかになったはずかしさと、だいきらいなミユキちゃんにひっぱられてるので、ボクはおなかの中がかゆくなりました。
思わずうつむくと、ミユキちゃんと目が合いました。
ミユキちゃんはゆっくり立ちあがって、ボクの目を見ながら、やさしくほっぺたをひっぱってきました。
すごくきんちょうしました。
目をそらして、ミユキちゃんのえくぼをずっと見ました。
横にある、切り込みを入れたみたいなうすいくちびるに目がいかないように気をつけながら。
ボクは、ミユキちゃんのえくぼをずっと見ていました。
彼は布団の中が何やらスースーするのを感じ、掛け布団を捲って見た。すると敷布団に小さな『穴』ができているのが見えた。
何も考えずにその『穴』を覗くと、チカチカと小さな光が瞬いていた。彼にはそれが宇宙に見えた。
酔い潰れていた彼は突拍子もないことを思いく。
「こいつでオナニーしよう」
直後、彼にとってその『穴』が急に官能的なものに感じられてきた。獣欲が背骨を舐める。股間が律動を始める。
彼は寝巻きから中空に男根を晒した。『穴』のことを全く疑問に思わない。
寒々とした室内で、その雄々しき槍は湯気を放ってるように見えた。
心なしか、敷布団が盛り上がっているように彼には見えた。穴が彼の方にぐぐっと向くようにも見えた。「何と言うことだ、すばらしい角度!」どうやらこれは彼にとって一番興奮する挿入角度らしい。彼は幻覚を受け入れた。
彼は盛り上がった布団を掴み、一息で男根を穴に挿入する。
宇宙空間から想像されるような冷たさはそこになかった。震えを起こすような温もりが彼を下半身から包んだ。
…………
一瞬の静寂の後、彼は腰を前後に動かし始めた。彼は最初の一刺しで達してしまったと自分で思っていたが、いつもよりタフなのかまだ力強かった。
余談ではあるが、『馬並み』という表現を『精力絶倫』という意味で使うのは間違いだそうだ。馬の性行為は実際には非常に早く終わると聞く。
彼の動作がどんどん早くなってくる。
これほどの名器に彼は触れたことがなかった。恐らくこの先もこの『穴』ほどすぐれたものにお目にかかれないだろう。
獣と聞き間違うばかりの、低い呼吸音が室内に響く。彼は夢中だった。
熱に包まれ、全てが蕩けていく。虚ろな女性が真に迫った嬌声を放つ。
彼は涙を流していた。
『自分は営みを行っている』という感動と、極めて原始的な快楽が彼の脳内を確実に焼ききろうとしていた。
全身が酸素を求める。細胞分裂を感じる。境地はもうすぐそこだった。
この感動を言葉にしろ。
『命令』は驚異的な干渉力で彼の言語中枢に働きかける。その言葉を導くために。
「あ、う、っあ」
そこで彼の存在理由は決定された。
この瞬間のために、彼は選ばれたのだ。
快楽へ、快楽へ!
壊れてしまいそうな速度で駆動する。
限界だった。
言葉にせよ。
「ひ、ひ、ひ、光あれぇぇっ」
高らかな叫びと共に、彼は『全て』を穴注ぎ込んだ。
天地創造、ここに記す。
球になりたい。
地球が、宇宙が、神様が造形した1番自然で安心感のあるあの形、何処から見ても変わることなく、裏も表も端もない。
完璧な形。
神様がいるのなら人間みたいな形じゃなくて、球なんじゃないかと思う、何に対しても強く、傷付けることも傷付くこともない、誰からも愛されて、たまに恐怖を与える形。
喜怒哀楽。
「人の感情には刺がある球になりてぇ、球になりてぇよ」
じーちゃんが言ったよ、人を傷付けたくねぇのに傷付けちまうのは、神様が人間を嫌いで嫌いで、大嫌いだから互いに傷付けるように、引っ掛かるように突起を五つもつくったんだってよ。
「とうちゃんも、球になりてぇ?」意外とちゃんと話しを聞いていたのかと幼い息子に少しだけ驚いた。
「とうちゃんは球になりてぇ?」本当に確かめるように聞いてくる。
「なりてぇ……って思ってたよ、話してる途中まではな」「今は?」目と目が合う
「もう手じゃお前撫でてやれんしな、抱きしめてもやれん。とうちゃん手無くしちまったからな……でもなぁまだ足あるからな、汚いかもしれんけど撫でても抱きしめてもやれる、これで球になっちまったら傷付けることはないかもだが、優しくも出来んって話してる途中に思ったよ。」
丸型にしろ星型にしろ神様にしかそんな造形は出来ない、そんな気がしたのだ。
「大丈夫、とうちゃん丸っこくなってもおれが抱きしめてやるでよ」息子はこんなにいい男になったかと、目に涙が滲んだが拭く手が無くて困った、不便意外の何物でもない。
鳴咽混じりの声しか出ずに、歯を食いしばっているとティッシュが目にあてがわれ、水分を吸収した「泣くなや」と言われたが泣き止めず、「しかたなか」と林檎片手に涙を拭われ、男の……否、父のプライドはズタズタだがもういい、悔いはない。
「俺の息子はいい男だ」がははっと久しぶりに大声を出すと、通りがけの看護婦さんに静かにしてくださいねと微笑まれた。
感謝するよ、この世界に。神様に。
奈央が告白されたらしい、と女子生徒は笑いながら誠に告げた。それ以来、誠は隣を歩く奈央の横顔を綺麗だと感じるようになった。
奈央が隣の家に越してきたのは誠が十歳のときで、それから四年間、誠の窓から二メートル先にその窓はあった。
時刻は七時四十分。誠は、朝の陽光とレースのカーテンに遮られた向こう側にてきぱきと身支度を整える奈央の姿を描いた。耳を澄ませばCDの音が柔らかく響いている。七時四十五分。きっかりに窓が開き、奈央が顔を出した。
「おはよう」
「おはよ。今からそっち行くね」
ほどなく呼び鈴が鳴る。玄関では奈央が母と談笑していた。
「奈央。寝癖立ってるよ」
「うそ」
「ほんと」
誠は櫛を奈央に差し出した。櫛が奈央の髪を梳く。癖のない細い髪は抵抗なくさらさらと流れた。
「ありがと。いこっか」
そう言って差し出した櫛にちぎれた奈央の毛が一本絡まっていた。
その晩、夜更けに、誠は窓の開く音を聞いた。おそるおそる開けたような弱々しい音だった。逡巡するような間を空けて、窓は密やかに閉められた。誠は窓を開けた。だが奈央の窓は遮光カーテンにぴたりと遮られ、その表面は鏡のように誠を映していた。
翌朝。
「夕べ、窓開けた?」
「え、ううん。開けてないよ」
「そっか」
誠のときめきは日増しに強まり、口を開けば全てが暴かれてしまいそうで、多くの言葉を飲み込んでいた。
その晩も誠は奈央の窓が開く音を聞いた。奈央が呼べば窓を開けることができる、と耳をそばだてても、奈央の声が聞こえることはなかった。
ある晩、誠は、窓を開けて奈央と話そうと決意した。汗ばんだ手を拭い、粘ついた唾液を嚥下して窓をそっと開く。奈央の窓は閉じられていたが、その内側でCDの音が微かに響いていた。誠は奈央の寝息を聞き取るべく耳を澄ました。
奈央の部屋では何かが断続的に軋み、軋む音に合わせるようにくぐもった声が、押し殺してなお洩れてしまったような声が紛れていた。甘く呻く、少し変質したそれは奈央のものだった。
誠は窓を閉めた。サッシを滑る音が夜の闇に響き渡る。誠の瞳に、櫛の歯とうねって絡まり合う毛が映った。
翌朝。
「おはよう」
「おはよ」
誠は奈央に櫛を差し出した。奈央の細い指が櫛に絡まった毛を挟み、するりとたやすく抜き取る。褐色の毛は奈央の指先で揺れ、朝日を受けて金色に光った。
誠は奈央の毛が指先から離れて落ちゆく様を虚ろに見つめた。
忘れたほうがよい。でも、忘れない。忘れられないのだあああ、どうしようもないことを、なぜ、いつまでも消せない記憶を引きずって生きていかなきゃならないのか?
南春朗は裏切られた。裏切られて傷ついて死ぬんじゃないか。本当に自殺する恐怖に毎日胃が痛くなる。春朗は死にたいわけなどない。春朗は、自分は健康で何も不安はない、そう、考えている。それどころか、裏切られた非は相手にあったのだ。
それが、悔しい、憎い、相手の裏切りは致命傷ではないああああ、ただ、忘れられないだけなのだ。
裏切られた自分が馬鹿だったのかも知れない。だったらすこし利口になって平気な顔して生きていけばいい。そうだ、平気な顔で生きている。生きてきた。
それなのに、心の奥に何か悲しみが黒くたまってる。
信じたのが悪いはずがない。裏切ったほうが悪いのだ。裏切ったほうだってそうたいしたことではない、軽い気持ちでもうすっかり忘れてしまっているかもしれない。それなのに、春朗はいつまでも信じたことを悔やんでいる。
そんなつまらない、損な事を続けているのは無駄だ浪費だ。よくわかっているのだ。そうして、表面に出る記憶ではもう忘れている。
それなのに、こうしてあああ、明日の試験が大事なときに、こんな夜に、裏切られた思い出が暴れて、勉強が手につかなくなっている。
ダメだ。こんなことでは置いてかれて、もっと惨めな思いをするぞ。
どすぐろい衝動が大嵐の海のように逆巻いて目の前がぼぉーっと、ゆがみはじめる。
ダメだ。本当にダメだ。この苦しさを断ち切らない限り将来の幸せは粉々にはじけ飛んでしまう。
なにがある。目の前に浮かんできたのは金属バットだ。そうだ、ゴルフバックもあった。ヘッドのおもいサンドエッジとドライバーを残してあいたところへバットを入れた。
寝ている男をワインの壜で殴った事件があったなぁ……。どこを狙ったんだろう。やっぱりこめかみかな。ワインの壜でゴルフボールを打つように耳の辺りに狙いを付けて。
裏切ったほうが悪いんだ。それをゆるしていたのも悪い間違いだった。
すっきりと復讐してけりをつけておけばこんなに、苦しむこともなかったはずだ。
さあ、すっきりさせてこよう。それから、じっくりと勉強すればいい。それくらいの時間の余裕はまだ残っている。
そう決心した。春朗は相手の寝ているところを狙うつもりで。ドアを開けた。夜の街を歩き出した。
「――やはり、処分することにしよう」
「よろしいのですか?」
司令官の声に、副官が念を押す。
ここは街一つ入るほど巨大な宇宙船の司令室、世代交代型移民船の中枢だった。
宇宙では光より早く動くことはできない。だが星と星との間は光の速度を出しても近いところで数十年、遠ければ数万年もかかる。
そこで人類は、数百人を居住させて世代交代をしながら航行する宇宙船を作り上げた。中では完全なリサイクルが行われ、半永久的に生活ができる。すでに地球を飛び立ってから、乗員は数え切れない世代を交代させていた。
その船の何百代目かの司令官は、先ほどまで先代の司令官のことで悩んでいた。彼は老いて頭脳が鈍ったと司令官の座を退いたが、その後も長く生き続け、この船で一番の高齢だ。脳はさらに衰えて、もはや何の役にも立たない人間だったが、体は健康でまだまだ生き続けそうな様子を見せている。
ここで養える人口はけして多くない。不要な人間を生かしておく余裕はなく、情け容赦なく間引くのがこの船の法律だ。
だが、今まで大きな貢献をした元司令官を殺すのには抵抗があった。将来自分も同じ目にあうのかと考えると、司令官はなかなか決断を下せなかったのだ。
それを今、決めたのだった。司令官は自分を説得するかのように副官に語りかける。
「しかたない。将来私がそうなるとしても、船のためなら諦めるさ」
副官が悲痛な面持ちで頷くのを見ながら、司令官は言葉を続ける。
「知っているか? 遥か昔は姥捨という風習があり、養えない老人を山に捨てたそうだ。だが捨てる山などないここでは……」
その瞬間、船を激しい衝撃が襲った。オペレーターからの悲痛な声が響く。
「超遠距離からのレーザー攻撃です! 船体が裂けて――」
その叫びは爆発にかき消され、巨大な宇宙船はあっという間に四散する。司令官もその先代も、すべては宇宙の塵となった。
『――やはり、処分というのは嫌な物だな。何度やっても慣れない』
『しかたない。悪いのは世代交代型移民船を無責任に送り出した奴らだよ。なんでその後にワープ航法が発明されると考えなかったのやら。居住可能な惑星はすべてワープで入植済みだし、旧人類を住まわす余裕はないよ』
『捨てる山などどこにもない、か』
『なんだそれ?』
『ああ、遥か昔の風習だ。姥捨というのがあってな……』
コンソールを前に話し合う二人の姿はとても小さく、まるで幼児のようだった。
「人と会話をする時は相手の目を見なさい」
昔、小学校の先生はよく言っていた。しかし、先生に言われるまでもなく、私はしばしば他人の目を見つめていた。その癖は今でも続いている。
私は特に、春藤の目が好きだった。コンタクトの薄い薄いブルーと少し茶色掛かった色の合わさる瞳がとても綺麗で、よく横から覗き込むように見ていた。でも、春藤はじっと見られるのを嫌がって、顔を隠したり、目を閉じたりする。照れ隠しだったのかもしれない。そうやって、二人でよくふざけ合っていた。
ベッドに入って二人で抱き合っている時の春藤の目も好きだった。それは、いつもの笑っている時の目とは違っていた。私が痛がったり感じたりして身をよじると、余計に冷たい目で私を見るのである。まるで別のスイッチが入ったように、鋭く見透かすように。そして、春藤は嫌がる私の両手首を片手で軽々と掴み、固定するのだ。そして、行為を続ける。春藤の手のひらは気分が高揚するにつれて汗ばんでくるのだが、私はそれを手首で感じていた。
最近、春藤には会っていない。お互い、就職活動や卒論などで忙しいうちに会わなくなってしまった。何となく避けられているというものある。ゼミの友達から春藤が別の女の子と歩いていたと聞いたこともあるので、その子と付き合っているのかもしれない。
私はカーペットの上に寝転んで、目を閉じる。そして、春藤のあの目を思い出す。
とくとくとく、と心臓が鳴っていた。心臓の上辺りに手を置いて、その鼓動を感じる。もう距離ができてしまった春藤を間近で見ることはないし、彼の鼓動を感じることもないのだろう。
春藤を思い出して、体の中心がずきずきとした。私は太ももの辺りに、するりと右手を滑らせる。そっと人差し指で下着を触ると、湿っているように感じた。そのまま、サイドから中指を下着の中に入れる。そこは温かく濡れていた。指を優しく震わせると、奥からもっと溢れてくるようだ。
「……んっ」
体が反応して、春藤と一緒にしたことがフラッシュバックする。私はひとりで何をしているのだろう。人差し指を中にゆっくり入れる。柔らかくて温かくてとろんとしている。頭にぼんやりと霧がかかった。
私はぼんやりと天井を見つめ、春藤のことを考える。もう離れてしまった人を元に戻せはしないと分かっているのに、諦めることもできない私は、一体どうしたらいいのだろう。
答えはまだ見つからない。
いわゆる普通の快楽以上を求めるご婦人あるいは旦那諸君たちが、寝床に蝋燭を持ち込むことは異常なことではない。未青年、あるいは潔癖なフリをしたマダムが騒ぎ立てるとすれば、本当は興味があるのか、あるいは人生に退屈していない証拠である。
もしも電気が突如数ヶ月不足してしまい、帝都東京ですら真っ暗闇になってしまった夜があったとしよう。月や星が隠れていた場合、蛍でも飼っていないかぎり蝋燭に頼るのがふつうである。
ここに一組の夫婦。夫の持った蝋燭から溶けたロウが
ポトッ!
と寝巻きからとびだした妻の柔肌におちることも起こりえることで、そのとき、妻は肌にB29を感じる。ジュッ! さっきまで退屈だった夫との生活がにわかに明らむ。かつてここ東京で人間が肉の丸焼きになった歴史を妻は身体で感じるのだ。一瞬叫び声をあげてみた妻だが、相手はB29ではない。自分が愛した男だった――というところから、たまにわざとロウを垂らしあう二人がうまれる、たとえば。
電気が当然となり毎晩高層階から眼下に光の帝都東京がみえたとしても、現代ではロウの快楽はそれ自体独立したものとなっていて、ある昼下がりに黄緑さんはロウを忍ばせてホテルにいた。相手は猿山といって、女子大ちかくの家具商人。不況で売れないので、最近は店の前で「猿のコロッケ」を売っていて、女子大生ご用達である。林真理子も先日取材にきた。
嵐のようなランチタイムがおわり、一息ついていた猿山の前に首すじがすうっとするくらいに髪を切った女が現われ「キャンデーあるかしら」といったのが黄緑さんで、彼女は大学で英語を教えていた。それが出会いだった。
「ここは家具屋で、ベッドかコロッケしかない」
猿山はどもりながら言ったが、実は黄緑さんからのナンパだったのである。恋人でも不倫でもなく、二人はスポーツを楽しむように都内のホテルで待ち合わせてはキャンデー遊びをするようになった。蝋燭の小さな炎で溶かした飴を身体に垂らし落とし、舐めあうのである。
「タイではムチの代わりにキャンデーで象をブツのさ」
猿山は「コロッケの時間だ」と帰ったので暇になった黄緑さんはホテルのラジオを聴いていた。リスナーの好きな異性を電話する企画だ。かけてみたら放送されることになった。猿山の顔を思い浮かべ、彼とは正反対の男のことを話した。手の甲の固まった飴を舐めながら。謝礼の代りに猿のシールがもらえるらしかった。
凧は安堵感の中で漂っているようだった。穏やかな風に吹かれて、晴れた空の下で飛んでいた。
町は風花が舞っていた。小さな公園で飛ぶ凧は糸をのばして昇っていった。
空は柵にも見える電線によって四角く囲まれている。凧を飛ばす人は気を付けていたが、大きな風に吹かれて、凧は電線に絡まった。
夜の住宅地を上る坂道を、風が駆け抜けていった。坂を歩くはたちの女の子は、マフラーの中に顔を沈めた。
どこからか女の人の声が聞こえた。抑揚があって、音程があって、歌声と気付いた。前を歩く、パンツのスーツ姿の人が歌っていると気が付いた。
それはいつか流行した歌のようにも聴こえたし、洋楽のようにも聴こえた。しかし後ろを歩くその子には、はっきりとは分からなかった。
彼女は家に戻ると、さっき前を歩く人が風の中で歌を歌っていたよと、彼に話をした。
男は彼女の腕の中で、彼女の胸襟に耳を当てている。とくん、とくんという振動が聞こえる。しかし彼女の心音なのか、彼自身の耳の中を流れる血液の音なのかははっきりしない。
聞いてる? と訊いてきた彼女に、彼は聴いてるよと答えた。
二人は駅で待ち合わせていた。一人は新曲のインプレと云って、一枚の紙を相手の男に見せた。折り目のついた白い紙だった。
忘れられたこえが聴こえる 人々はパレードをやめて
きえ逝く心音 すくいあげて 夜露のシズク
……らしくないね。
友達が泣いてたんだ。
友達って誰のこと。
君は知らない子なんだ。
返そうとした手を制すので、男は紙を財布の中にしまった。紙をくわえた財布は、少し膨れて尻のポケットに収まった。
昼下がりの街角の喫茶店のラジオは、ヘンドリックスの「エヴァ・マリア」を流していた。柱時計の向こうに、三人組の学生が腰掛けていた。
カプチーノを届けたマスターはカウンターに納まると一つの絵に見える。空調が静かに回っている。外の日差しは、もう春のもののように暖かく見えた。
これムースがハートの形してて可愛いね。
でも甘くないんだよ。
旅行のパンフに見てほしいところがあるんだけど。
おしぼりあるけど要る。
うん、いいや。
サトコ、フラれたね。
うん。
え、なんで。
おしぼりもらってもらえなくて。
おしぼりがフラれたの。
あ、ケータイ拭きたいから。ちょうだい。
はい、どうぞ。
ねぇ、遺跡探索と足つぼマッサージ、今の私たちにどっちが必要だと思う。……
赤ん坊がうまれた。私の赤ちゃん。まだ名前もない、目も見えない、小さな塊。ここはどこかって? ここは世界の始まり。すべてのものに、始まりがあるの。
「ねえ、はじまりってなあに?」
始まりはね、あるものが別のものに変わる瞬間のこと。
「じゃあ、かわるってなあに?」
変わるっていうのはね、あるものが、それまで持っていなかった何かを手に入れること。
「それじゃあ、なにかってなあに?」
何かっていうのはね、それとは決められないけど確かにあるってこと。
「なんだかねむたくなっちゃった」
いいのよ。眠りなさい。
「ところで、あなたはだあれ?」
私は君の母さんよ。
「ふうん、かあさんか。おぼえとくよ。おやすみ」
おやすみ。
私の赤ちゃんが、小さな目を閉じて眠ってる。耳を澄ますと、蟻のささやきみたいな寝息がきこえる。私の赤ちゃん。ずっと眺めていたい。ずっとそばにいたい。ずっと……。
「ねえ、かあさん」
はい。
「ぼくはこれから、どうなるんだろう?」
そんなこと、心配しなくていいわ。きっと母さんが守ってあげるから。今はぐっすり眠りなさい。
「だってはじまりがあるなら、そのさきもあるんでしょ?」
ええそうよ。だけど、まだ知らなくていいわ。だって君は、まだ始まったばかりですもの。
「だけどね、かあさん。さきのことをかんがえると、なんだかねむれないんだよ」
ああ神様、この子は何でも知りたがります。私はもう何も教えたくありません。私から遠ざかっていくようで。
「ねえ、だれとはなしてるの?」
誰でもないわ。
「ねえ、はじまりのさきにはなにがあるの?」
始まりのさきにはね、かならず終わりがあるの。
「おわり? おわりってなんのこと?」
もう、会えなくなることよ。
「あえなくなる?」
もう二度と、話したり、触れたりできなくなること。
「いやだよ、そんなの。こわいよ。こわいよ……」
私の、私の赤ちゃん。ごめんなさい。うんでしまって、ごめんなさい。でも会いたかったの。一目でいいから君に会いたかった。触れたかった。
「でもやっぱりこわい。さむい……」
私の赤ちゃん。この世界はどうしようもなく寒いの。みんなこの寒さに耐えきれず、枯れ葉のように死んでいった。この世に一人残された、私の最後の望みが君だったの。でも君をうんだことは、きっと間違いだったのよ。
「ねえ、かあさん」
はい。
「あのね」
ええ。
「うんこしたい」