# | 題名 | 作者 | 文字数 |
---|---|---|---|
1 | 禁断の完熟メロン | アンデッド | 951 |
2 | 『体液を切り売りする子ら』 | 石川楡井 | 1000 |
3 | 僕は二度と陸には上がらない。 | のい | 961 |
4 | 10時10分小鳥を捕まえるように | 糸原太朗 | 370 |
5 | 「熱いキスで終わるくだらないハリウッド映画を観たい。すごく観たい」 | もぐら | 950 |
6 | 鳩時計の旅 | 狩馬映太郎 | 1000 |
7 | 石榴 | 伊田照喜 | 1000 |
8 | 窓という名の映画 | 近江舞子 | 575 |
9 | 王女マキ | 山羊 | 1000 |
10 | 感情無き。 | ユウキ | 120 |
11 | 早苗と悟の白い杖 | 高橋唯 | 999 |
12 | 夕焼けに立つ | おひるねX | 990 |
13 | 小説作法(推敲前) | 笹帽子 | 1000 |
14 | 彼女の世界 | くわず | 1000 |
15 | バイオTV 第79回『ナメてはいけない』 | 謙悟 | 997 |
16 | 今年もBC1999AC2013DC4010 | 金武やましく宗基 | 854 |
17 | 東京駅に似ている | 宇加谷 研一郎 | 1000 |
18 | 夜光虫の海 | 「僕」 | 999 |
19 | ニューデイニューライフフォーミー | qbc | 1000 |
20 | 幻想終末録『宵闇』 | 彼岸堂 | 1000 |
21 | 転校生 | 鼻 | 999 |
22 | あたしたちにあしたはない | みうら | 1000 |
23 | ひかり | るるるぶ☆どっぐちゃん | 1000 |
24 | ロストフの虎狩り | えぬじぃ | 1000 |
25 | 戦場で | euReka | 1000 |
26 | 愛と言霊 | クマの子 | 864 |
27 | 折れても二人 | キリハラ | 998 |
「美味しそう……」
入院中である俺の見舞いにやって来た妹が、静かにそう呟いた。
妹の視線の先には、友人から入院見舞いとして貰ったフルーツのバスケットがある。
床頭台の上に置かれたフルーツバスケットの中には、メロンやバナナやリンゴなど、色とりどりの果物が盛られていた。白を基調とした殺風景な病院の個室において、それは華やかな花のようにも思える。
「なんか食べようか? じゃあ、切っちゃうね」
俺の返答を聞くまでもなく――妹はメロンにしか興味がないらしい。他の果物には一切手を付けずに、メロンだけを手早く取り出す。
妹の持つフルーツ用のナイフが、蛍光灯の光りを鈍く反射していた。愛らしく可憐な顔立ちをした彼女とは対照的に、そんな姿はどこか怪しげな印象を与えてくる。
足を骨折している俺の代わりに、妹はナイフの刃をゆっくりとその実に入れていった。
ザクッ、じゅっ。というような、豊かな果汁を感じさせるわずかな音がする。
可愛らしい形をしたメロンが、容易く分断されていく。
徐々に中身が露わになるメロンに対して、妹は我慢をしきれない様子だ。
舌で少しばかり唇を舐めていた。
――なんだか嫌な予感がする。
そして……。
半ば雑に切り分けられたメロンが、皿に乗って俺の前に差し出された。
「はい。これがお兄ちゃんの分で、こっちが私の分」
切り分ける時に果汁で指がベタついたらしく、妹は猫のように自分の指をペロペロと丁寧に舐めている。
皿を受け取り見比べてみれば、妹の分の方が形は大きい。明らかに量も多かった。
だが、既に妹の目の中に宿っている艶やかな色を見ると、俺は何も言う気にはならない……。
――皿の上で生け贄のように乗せられた食物(しょくもつ)。彼女はメロンをうっとりと眺めたあと、吐息を放った。
潤いを滲ませた禁断を思わせる果実が、小さく可愛らしい口の中に次々と運ばれていく。
つられて俺もメロンに口をつける。
「――ごめんね。これ食べ終わったら、次はお兄ちゃんの食べてあげるから」
イタズラっぽい微笑を浮かべて、いやらしく俺の物を見つめてくる。
先ほどメロンを切っていた時と同じように、妹は舌で唇を舐めた。
嫌な予感が的中した。
忘れていた禁断という名の感覚が、口の中で果汁の甘みと一緒に徐々に広がっていった。
◎今月の都市解剖(月刊ウィアー・ドーテイルズ一月号記事より抜粋)
ケース1/まず知り合ったのは、先月高校を退学したばかりの十七歳の少年だった。
どうして退学したの――
厭になったから。
何が――
全部だよ、全部。
ご両親は反対しなかった――
言ってないもん。
漫画喫茶で寝泊りしているらしいね。お金はあるの――
大丈夫。売るから。
売るって、何を――
体液だよ。俺のでも、二、三千円くらいにはなるしね。
ケース2/続いて、ケース1の少年の知り合いである、女子高生。こちらは現役。十七歳。去年までは援助交際で小遣い稼ぎをしていたという。経験人数は四十人。
アルバイトは――
前はしてたけど。馬鹿馬鹿しくなっちゃって。
援助交際の方が儲かるって――
ううん。援助交際も遅れてるよ。今はやっぱりアレでしょ。
アレって、体液のこと――
そうそう。一回覚えちゃうと他には手出せないし。
売るっていうのは、どういうこと――
そのまま。何でもいいの体液であれば。でもランクがあって。どこの体液かとか。いつの体液だとか。
どこ、いつ、っていうのは――
だからどこから出たのか、いつ出たのかってこと。朝方のが高かったり、生理の時とかのも高いかな。逆に入浴後のが好きな人もいるみたい。濃度は薄いけど、デビューにはおすすめ。やっぱり下から出るのが一番人気。ほとんど下からので、おまけに上からとか腋からとかのを買って行くパターンが多いかも。
それを買った人は何に使うのだろう――
一番は舐めるんじゃないの。他にも保管しておくのとか、臭いを嗅ぐだけのとかも知ってるけど。人それぞれでしょ。
売っていることに罪悪感とかはないの――
別に。体と違って老廃物みたいなものだし、何の害もないもの。逆に援助交際なんかやって体売ってた頃が馬鹿みたいに思って。二回も堕ろしたし。あ、そういえば妊娠中に溜まるのはものすごい値段をつけてくれるらしいよ。わたしは試したことないけど。
少年少女たちは、体液――汗、涙、洟、唾、涎、脂、尿、血、愛液等々――を売っているようだ。10CC単位がもっぱらの定量で、単価は女性物で五千円〜二万円が相場らしい。
おじさんは何処のが欲しいのさ。
◎今月の都市解剖
担当記者の逮捕により、二月号以降の掲載なし。
記者は一月十日付、業務上横領の発覚により逮捕。
青少年育成条例等への抵触も考えられるが立件は難しい模様。
僕は海が怖い、なんだか引きずりこまれてしまうのではないかって思う。
夜の海はさらに怖い、なんだか宇宙に放り出されてしまうみたいだ……でも僕は海に出る、だって漁師だから。
怖い、止めたい、怖い
でも僕は海に出る、だって人魚がいるから。
姿を見るだけ、声を聞くだけ……手を繋ぐだけ、そのときだけは人魚に手があってよかったと思う、半分魚なのに手を残してくれた神様は、人間が好きなのか嫌いなのかよくわからないけれど。
人魚は陸に上がっていられないと言う、「焼き魚になってしまうわ」と、笑って言う。
「じゃあ何故今こうして手を繋いでいるの?」そう聞くと「月は私の友達なの」と笑顔で答えた。
ある日、僕は人魚と約束をした「明日、待っていて、今日のように」人魚は「わかったわ」と笑いかけた。
人魚は次の夜、ずっとずっと待っていた、大切な人を待っていた。
でも彼は来なかった。
人魚は何度も月にお願いをした、「もう少しだけ待っていて」と「太陽さんにもう少し寝ていてもらって」と……でもその願いは叶わずに、太陽は起き、月は眠り、空は青々と、海は透け、人魚の肌はたちまち黒ずみ、ただれて美しい肌が見るも無惨なものへ変わっていった。
そんなことも知らずに、僕はただひたすら月を捕まえようと走りまわっていた、いつか人魚が言ったから「月とこんなふうに手を繋げたら……」だから月をプレゼントして、喜んでもらおうと思った。
そして「愛している。」と言うつもりだった。
けれど思ったより月は遠くてどれほど歩いても、ちっとも近付けなくて……歩いて歩いて、夜があけて月はとうとう見えなくなった。
人魚は想い人に声が少しでも伝わればと歌を唄っていたが、声はしわがれ、もとの美しい歌声は失われていた。
焦った、焦って、走ってでもあまりにも遠くて、人魚のいる海にたどり着く頃にはもう太陽が眠りにつこうとしていた。
そこに人魚はいなかった……あの美しい人魚はもういなかった。
あるのは、見たことのない干からびた「何か」、その「何か」には人魚と同じブルーの鱗がついていて、それを人魚と認めたくない僕に唯一人魚だと示唆していた。
泣いた。
泣いて。
涙は枯れて……
鱗を粉にして
飲んだ。
みるみる体に鱗が出来、あんなに怖かった海が急に恋しくて、飛び込んだ。
僕は……
10時10分小鳥を捕まえる様に
僕は二十歳に成ってやっと車の免許を取った。彼女をドライブに連れて行くという必然性に迫られての事だ。
教習所の教官は気難しそうなひとばかりだった。僕はまるで中学生に戻った様な気分になった。
そう言った中で、実に気の利いた教官に出会った。
「10時10分とは美しい時間であり、優しい捕らえ方だ」教官はそういった。
僕は最初、何の事か分からなかった。
「君は小鳥を捕まえた事があるかね」教官はそう言った。
「ないです」
「小鳥を両手で優しく抱き捕まえようとする角度が、ちょうど10時10分の角度なんだ」教官はそう言った。
「なるほど」
「車のハンドルにしてもそうなんだ。君がもし車を恋人と思えるようになれば、君はその角度でハンドルを握りしめるだろう」教官はそう言った。
僕はこれで合格に三度失敗した。皮肉にも失った恋人の数と一緒だった。
ということで真夜中直前の零下のなか歩いている。彼女の手袋は毛糸のふかふかで、おれの右手は素手だがふかふかに包まれてかなりぬくい。もうすぐクリスマスが近いがための素手アピールなのだが、これはこれで、ひと冬越してしまえそうなほどに満足、じゃなくて満手か。まんて。語感がえろいな。いや、満足=まんぞくの法則でいくと、まんじゅか。えろいのはおれだった。
今朝から降り続いてる雪はもっさもっさと積もり積もって、その上、道往く人々に踏み固められかっちかちの氷一歩手前であり、ひどく滑る。スニーカーのおれは無様に転ばないようアシモみたく歩く。
「なにそのアシモ」と彼女は笑う。
彼女にわかってもらえておれは嬉しい。しかしアシモは疲れるのだ。こんな歩き方長時間は無理だ。あいつ人間じゃねえ、とおれは思う。
人間は、雪道で滑るいきもの。
「わたし、車の免許とるね」
「それ去年も言ってた」
「来年はもう言わない」
来年はもう、とか、深読みしたら悲しくなるので、しない。
気を取り直して隣を見れば決意の横顔である。そうだ、おれは彼女の横顔が好きなのだ。横から見ると睫毛がめちゃめちゃ長いのがよくわかる。雪が乗っかっている。
「おれは歩くの好きだよ」
きみの横顔が見れるから、とは言わない。言わなくても、
「助手席からでも、わたしの横顔見れるでしょ」
おれのこころうちなどすべて見透かされている。
まばたき。雪がこぼれて落ちる。瞬時に雪とおれとを重ね合わせて考える。つまり、雪はおれである。そうすると、いよいよ未来についてよからぬ妄想を抱いてしまう。悪い予想がつぎつぎ浮かんできておれはそれを否定できない。
断ち切る。雪なんて、雪じゃないか。ただの。おまえは振り落とされてろよ。おれはここに居る。そう自分に言い聞かせる。
ポケットの中の左手が汗ばんでいる。今に限ったことじゃないが。昨日間違えて買ったマイセンロングを握りしめる。
「ターミネーター2にしようか」
青地に黄色のTUTAYAが近づいてきて、彼女の意思は固まったようだ。
「シュワちゃんはキスしないよ」
「そんなの、ハリウッドみたいにキスしたらいいのよ」
「おれたちが?」
「そう、わたしたちが」
暗がりでひときわまぶしい彼女の笑みは、いたずらなチェシャ猫のようで、しかし消えない。
鳩時計が一度鳴くと、息子が自転車に乗ってやってきた。
「今夜は生まれそうもないってさ、本人ケロっとして漫画読んでるし、抜け出してきたよ」
彼は鞄から小さなパソコンを取り出し、かつての指定席に座ってキーを叩き出した。
「予定日は明日だろ、ていってもあと三十分だが、名前はもう決めたのか」
「祖父ちゃんの名前貰って茂だよ」
私の困惑する顔を確かめてから、またキーを叩きだす。
「茂か、父親の名前で孫を呼ぶとはな。呼びにくくてかなわんなあ。お前が決めたんならいいけど、当分呼べそうにないぞ」
私の父、茂から譲り受けた鳩時計の振り子が、カッコカッコと揺れている。予定日直前の緊張感など息子にはない。ふと思い出したように彼が呟いた。
「そういえば、すごいんだよ、ものすごい偶然、俺の誕生日と親父の誕生日」
「お前と私の…」
「俺の誕生日ってさ、親父の人生一万日目だったんだよ」
「私の一万日目ってことか」
「誕生日から一万日目の日ってのはさ、誰でもそうだけど、二十七歳の誕生日を四ヶ月位過ぎた頃でさ、二十七歳と百何十日だったかな」
エクセルとかいうもので、誕生日からの日数を調べてみたと彼は説明するが、パソコン自体に疎い私には、エクセルとやらが何なのかさえ分からなかった。だが我々の間にあった偶然を、息子は嬉しそうに語る。
「で、もっとすごいのはさ、茂だよ」
自分の祖父の名を呼び捨てにしながら、息子はさらに興奮して言った。
「明日は親父の二万日目なんだよ」
「ほー、ってことはまさか…」
「そう、そのまさか。明日って日はさ、親父の二万日目で、俺の一万日目で、それで茂の誕生日。こうなりゃ意地でも明日産ませなきゃな」
そう言って息子は時計を見上げた。鳩時計の二本の針がもうほとんど一本になっている。
彼の祖父が彼の生まれた日に持ってきた鳩時計を、息子はずっと眺めていた。突然歯車がガタンと音を立て、古びた木の窓が開いて煤けた鳩が顔を出し、ポッコポッコと年老いた声で十二回鳴いた。その鳩の下で、息子は父そっくりな目を輝かせて笑い、そして…。
「親父、人生二万日目おめでとう!」
僕がそう言うと、親父も照れくさそうに答えた。
「お前の一万日目も、おめでとう!」
親父は鳩時計を眺めていた。
二人して、なんだか生まれ変わったみたいだと笑いあい、それから僕は妻の待つ病院に再び向かった。昨日とどこか違う一万日目の今日の風の中を、わくわくしながら。
「ねえ、ヒトってどんな味がするのかしらね?」
白い皿に盛られたローストビーフを前にして、付き合って一年たつ彼女が楽しそうにいった。
うん。そうだね。ありきたりな返事を返す前に、はたと気づく。今、彼女はとんでもなく恐ろしいことを言ったよな?
「あなたはどう思う?」
「あ、ああ。そうだな」
あわてて言葉を探す。どう切り返せばいいのやら。気のない返事はしたくない。でも、こんなアブノーマルな会話を食事中にはしたくない。ふと、スプラッタ映画ばかり見ている友人の言葉を思い出す。これだ。なるべく自然に言った。
「石榴みたいな味がするらしいね。」
「へえ。」
彼女は機嫌よく笑った。ほ、と彼女に気づかれないように溜息をつく。後は、昔食べた石榴の話をしてこの話題から離れていこう。
「それで?」
彼女がワイングラスを傾けながら言う。
「石榴ってどんな味がするの?」
思い描いた通りの反応に、気をよくした。そうそう。このままこのまま。
「甘酸っぱい?のかな。昔、実家でたべたんだけど。おいしかったよ。果肉が真っ赤で、とてもきれいなんだ。」
「食べたことあるんだ。」
感心したように彼女は言った。しかし、彼女はフォークをさまよわせながら続ける。
「でも、それって似た味がするだけでしょう?甘酸っぱいのは血。じゃあ、肉は?どんな味がするの?歯ごたえは?」
頭を思わず抱えた。困った。まさかこんな子だったなんて。あの奇特な友人もそこまでは話していなかった。実際に食った奴なんてもしかしたら居るのかもしれないのだけれど、当然、僕の知り合いにそんな奴はいない。
「さ、さあ。どうなんだろうね?食べたことないから、僕は分からないな。」
彼女は不満そうに唇をとがらせて、ローストビーフをフォークでつつく。
真っ赤なネイルが照明を反射してきらりと光った。言葉が見つからなくて、ローストビーフを口に運ぶ。なんだか不思議な味がした。高級な店の味だろうか?
彼女が行きたいとねだったから来たのだけれど、庶民の僕にはマックの方が美味しく思えた。
「私は、料理のことを聞いているのよ?」
「は?」
「だから、貴方の食べてるものの味についての感想を求めてるの。」
え、と固まる。上手く飲み込めない。咀嚼をやめて彼女の顔を見た。
「鈍いわね。だから、貴方の食べてるそれ、ヒトの肉よ。」
私、ずっと食べたかったけど美味しくなかったらい嫌だから、貴方が食べるのを待っていたのに。
彼女は不満そうに言った。
落ち着いた赤い色の幕が音を立てて開いた。そこに映るは初めての光景。同じものは二度とない。
街がゆっくりと姿を変える。木造で二階建ての古い家屋は見る見るうちに解体されてなくなり、アスファルトで舗装され平らで黒光りした土地になる。あちらの広い空き地には細長いビル、こちらのつい最近まで草が生えっぱなしだった空き地には継ぎ接ぎだらけの家。何処かしらで工事している。
人は絶えず流れていく。道を行く人々。ブリーフケースを片手に今から仕事場へ向かう人。足早に家路を急ぐ人。ジャージ姿で散歩をするお年寄り。赤いバイクに乗る郵便配達の人。前掛けをしたまま回覧板を持ってくる女性。花壇に水をまく人。
動物たちも動き回る。チョコチョコと地面を跳ねる雀。塀の傍の餌を啄ばむ鳩。電線の上に止まり鳴く烏。その巣から滑空する燕。葉のすっかり散った枝にぶら下がる蓑虫。瓦屋根の上で眠る猫。小屋で家主の帰りを待つ犬。巣を張り巡らし獲物を狙う蜘蛛。息を潜めて壁と同化する蛾。
空は脈打つごとに移りゆく。朝日が昇り夕日が沈む。月は満ちては欠け、星は瞬く。雲は泳ぎ、雨粒は数え切れず、雪が舞えば、銀世界。信号が照明になる街は舞台。
春が咲き、夏が踊り、秋が笑い、冬が歌う。
こちらとあちらを隔てる透明の壁。窓で切り取った世界が映画になる。台詞も音楽もご自由に。主演の蝶はまだ現れない。
アレリア城に王女として産まれたマキは、テラスから月を眺めていた
綺麗な満月だなあ、と心にもない事をぼやく
こんな日は、何かいたずらをしてみたくなる
好奇心旺盛、無鉄砲、トラブルメーカー 人はマキの事をそういう目でみる
その通りだった
月の下には大昔から立ち入りを禁止されている秘境、天の森があった
切り立った崖の上に位置するその森には、様々な言い伝えがあった
入ったら二度と戻れない、魔物の住み処、地獄への入り口などが主である
大変危険な為、森を繋ぐ細く長い坂の前には番人が一昼夜見張りをしている程だ
その坂が、遠くから眺めると、大地と森とを繋ぐ一本の柱の様に見える事から天の森と呼ばれているらしい
あそこにいこう マキはそう思った
坂に着くなりマキは邪魔な番人をそそのかす
「パパが『君は毎日頑張ってて偉いから褒美を授けよう』だって」
「本当ですか!? いやっほー!」
番人は城へと駆け出した
森の入り口まできたマキは思った
遠くから見た時の淡い緑と違って、暗澹として不気味だと
背筋にぞわりとした悪寒が走る
所詮は昔の人の戯言だと自分を慰める
すぐに戻れば大丈夫 マキの頭にはずっとそういう考えがあった
だが森に一歩足を踏み入れた瞬間、空気が変わった気がしてすぐに後ろを振り返った
信じられなかった 来た道が様変わりしていた
マキは既に森に迷っていた
押し寄せる後悔を振り払う様に引き返した
走って、走って、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら出口を目指した
行けども行けども同じ道が繰り返した
どうして、私は一歩しか森に入っていない筈なのに
絶望に耐えかねて、マキは遂にがっくりと膝を落とした
「……それにしても、レミリアだったか」
豪奢な椅子に座った男が言った
「あの女がしっかり人間共に釘を刺すものだから、すっかりこの魔界も閑古鳥だ」
「あら、100年も人を退けたのですよ? 人間にしては凄い事では?」
男に寄り添う少女が言った
「こちらとしてはいい迷惑だがな」
「マイク様、人間の欲の深さが移ってますわ」
「ふ……。久方ぶりの食事だ。フラン、連れて参れ」
「はい」
男はマキを館に招くと淡々と状況を説明した。
人間は魔界では長く生きられない事 魔物である自分達も魔界を離れたら1日しか生きられない事 そして、元の人間界に戻るには魔物になるしかない事 つまり……
「お城に戻るには死ぬしかないって事?!」
マキはそう聞き返した
「1日だけなら猶予はある。さあ、選べ」
「私は……」
私に、感情なんて無い。
いつから、なんて分からない。
ただ、いつの間にか失っていた。
ある日、私の前に人が現れた。
その人は、こう言った。
「あなたは氷のような目をしている。でも、いつかはあたたかな目になれる」と。
私は、少しあたたかくなった気がした。
駅を出て、もう慣れてしまった通学路を歩く。少し寂れた駅前通りはいつもと変わらず、人々は心の内をしまい隠すようにコートの前を繋ぎ合せて足早に、それぞれの行く先を目指す。
コンビニを過ぎ、まだお姉さんと呼べそうな女性が、白い杖で点字ブロックをこんこんとリズミカルに叩きながら、僕のずっと先を歩いている。そのまた向こうにいる早苗を目指して僕は歩みを早める。どんなに近付いても、早苗は僕がその肩を叩くまで決して振り向かない。白い耳たぶにうっすらと青い筋が浮かんでいるのが見えた。
「おはよう」
「おはよう」
早苗とは中学からの知り合いで、降りる駅が同じなので高校に入った今でもこうして途中まで並んで歩く。
「――それでね。今度の日曜に誘われたんだけど、これってデートだよね……?」
友達を作るのが苦手な早苗がバイトを始めたと聞かされたときは驚いた。あるとき様子を見に行くと、早苗は先輩風の青年と親しげに会話していた。からかわれた早苗の手が先輩の腕に触れるのを、僕は覚えていた。相手はきっとこの先輩のことだろう。
どうしようかな、と早苗は、切り立ての髪の、シャギーの入った毛先を指でくるくるとせわしなく弄んでいる。
「日曜ってガキの使いが終わるとなんだか切ないよね」
僕はそう答えた。
翌日。僕はいつもより一本早い電車に乗った。
駅から降りて見る風景はいつもと変わらず、吐き出された面々は異なっても、そこに新鮮さを見出すことはできなかったが、お姉さんはまだ駅を出てすぐのところを歩いていた。
お姉さんの歩く先、コンビニの前に遮るように自転車が置いてあったが、お姉さんはそれをさも当然のようにひょいとかわす。そのときタオルがはらりと落ちた。タオルはピンク色で『ママのタオル』とへたくそな刺繍が施されていた。
「すみません、落ちましたよ」
「ありがとう。今日はあの子と別行動なのね」
僕はなにを返せばいいのかわからず、黙ることで先を促した。
「あの子、さっき私のこと抜いて行ったのよ」
お姉さんが言い終わるのを待たず、コンビニから早苗が出てきた。
「おはよう」
「おはよう」
「今度の日曜さ、俺アバター観に行こうと思ってて。なんかすごいらしいよ、映像が」
「面白そう」
「じゃあ一緒に行く?」
「うん」
「いいの?」
「うん?」
早苗が無邪気に僕を傷つけるはずがない。
これを心できちっと文字に直すと、それは信じるに足るだけの重みがあった。
励君はこのごろよく夢を見るようになった。
はっきりとよく覚えている、それはみおぼえのない大人や子供の顔、見たこともない風景や知らない家の中ばかりで、日中ふと思い出される、それがとても気になる。
おうちの人に話したりするのだが、お母さんもお父さんも夢のことではなんとも言いようがない。
フンフン、と聞いているうちに
「勉強しなさいそうしたら分かるようになるわよ」と、お母さん。
「そうだなぁ、わからないひとの顔でも友達の何人か、少しずつ混ざっているんじゃないか? 大人の顔だって先生とか野球の選手やちらっと見ただけの大人の顔だって覚えているもんだろ? 一度見たことがあると、昼間ならわかるところ夢中だとうまく判断できないこともあるだろう? ま、そういうことは心理学だな、すこし大人になったんだよ」と、お父さん。
それにしても、励君にしてみれば、見たこともないドアの色や材質、あけると知らない部屋が広がっている。
トイレだとおもってあけるとどこか日本風のお屋敷の大広間、それがわかるのが不思議だが励君も十五歳、もうすぐ中学生だ。時代劇のドラマのような大広間は認識できる。それが、どこで見たのか、記憶にないのだ。
むき出しのゴツゴツとした檜の肌が黒々とした欄窓の有る梁が大広間の天井を支えて、豪華であるが戦国時代のお城らしく荒々しく強さを感じる。
その部屋のドアは北欧調のモダンなデザインだった。
気になったから、図書館に行っていろいろな百科事典やデザイン写真集などあさって見た。
すると、はじめてみるものがどんどん増えていく。
もし励君が芸術家だったならこのような状態は神様からアイデアが降ってくるような奮い立つ歓喜だろうが、記憶の洪水がちょっと重荷になってしまっている。
その日、子供用のブランコに窮屈なお尻を下ろして悩んでいるのは不安で苦しいことだった。ブランコを揺らすでもなくはぁーっと夕焼けを見た。その赤い空を逆光に知らないひとが立っていた。
よく見かけるぼろぼろの衣服で公園に寝泊りしているひとだ。
ただ、その見かけない顔が夢で見た人のような気がしてきた夕日のまぶしさもますます、夢のように見える。
「よう、夢使だよ」
むし?
「無私だよ。おれ」
むし?
「無視かよ。お前なんかいないんだよ。こわいか?」
無視ってのはわかりました。
そのとたん、こんなよごれた人に、嫌気がポンとばくはつして。
励君はおとなになりました。
部屋の隅の壁紙の剥がれた辺りから白髪の男が急に現れ、俺の休日の午後を破壊した。
「何しとんねん」
居間でだらだらくつろいでいたら見知らぬ男が現れたのだ、仰天である。
「なんだ、神か悪魔か」
「どうでもよろしい、何してるんやて」
「何って、ただだらだら」
実際のところ何もしていなかったのだ。男は丸メガネが飛び散らんばかりに勢い良くイライラと白髪を掻きむしった。
「なんやそれアホボケカス! あんた『俺』や、主人公や。主人公に目的意識無い小説つまらん。はよ面白うせんと」
白髪が数本抜ける。
「いまな、いきなり登場してな、あんたの日常世界、破壊してん。やろ? 常識的な世界やったらこんなんいきなりけえへん。破壊や、破壊で始まる小説や。そしたら主人公何かしたい思えや。行動に理由と意志と感動」
その時キッチンから妻が顔を出した。
「あらお客さん」
「客じゃない」
「お茶をお持ちしますわ」
「どうぞお構いなく」
こいつ標準語もしゃべるのか。説教は続く。
「んでな、あんた主人公の自覚足りひんねや。こうしたい思うことないんかいな、なんも無いんやったら読者ついてけえへんで?」
なるほど確かに俺は主人公としての自覚が足りない。でもしたいことなど。
「……若くて尻のでかい女とセックスがしたい」
考えてみたらこれは小説。現実の倫理観から多少の逸脱は認められる、芸術。
「バックで頼む」
そこ重要。
「なんやあるんか思ったら、あんたええ奥さんもろといてそんなこと」
「小説なんだからいいじゃないか」
「そんなん目的やのうてただの願望やん。ええけどどうする、もう字数8割過ぎてまう。こっから若くて尻でかい女出すの難しいんちゃう」
「そこを何とかするのが小説だろう」
「ゆうてもちゃんと話終わらせて、きれいにオチ付けるかまとめるかなんかせんと、小説面白くならんねんで? そやからあんたがでかい尻にパンパンやってああ気持ちよはいちゃんちゃん、おわり、ゆう訳にいかん。また言われてまうで『それで?』って」
「畜生、妻を出したのは字数の無駄……いやこの会話自体無駄」
「ほな黙ろか」
そこで俺たち二人は黙り込み、キッチンから湯を沸かす音がゆらり流れてくるのを聞いた。
「……あかんやないか! 描写でも字数は使うんや。この小説無駄な文多すぎるわ。描写も凡庸、題材もベタベタ、構成もクズや」
「こりゃどうしようも……そうだ推敲だ! 推敲しよう! 頭冷やして書き直せ!」
肖子はテーブルに左肘を突き、その掌で左頬を支えながら、春風を吐き出す窓外を見遣っていた。
俺が手渡した旅行のパンフレットは、最初の二頁だけが彼女の手で開かれると、後は風に弄ばれるのみであった。
「何、行きたくないの」
「行きたいなんて言ったっけ、私」
肖子は手にしたリモコンで、一秒おきにテレビのチャンネルを変えていく。
付き合った当初から、肖子は健忘症の気のある女だった。過ぎていく僅かな時間が深淵を生み出し、彼女の言動を奥底へと呑み込んでしまう。
「こないだ、昔高校の修学旅行で行ったH県にもう一回行きたいって」
「修学旅行H県じゃないよ」
同棲を始めて二年、肖子の健忘はこうした喰い違いとなって、俺達の暮らしを蝕んだ。好みや趣味、欲求、約束、夢、そして想い出。それら全てが、常に異なった色合いを帯びて俺の眼前にふらりと現われた。
「じゃどこ行ったの」
「N県。N県のS島行ってK神社お参りした。和美と瑤子と。ほら、先月子供生んだって葉書来てた和美」
等閑な返答やその場逃れの嘘を素肌に纏い、肖子の健忘はいよいよその正体を掴みがたいものにしていく。
「葉書って」
「あ、捨てちゃったかも。朋華ちゃんだって。和美のお祖母ちゃん朋江だから、一文字取って朋華。あの娘お祖母ちゃん子だったから」
或いは肖子は、健忘すべき何ものも有していないのかも知れない。彼女は記憶を抱き続けるよりも、虚妄と戯れることを選び、何もかもを一瞬の内にゼロから創造してみせる、火花のような瞬発性を好んだのだ。
「高校ん時仲良かったのって、京子さんとかじゃなかった」
「京子って誰」
一瞬で構築された世界は、次の瞬間、たやすく崩壊する。肖子は一片の情けも無く、眼前に展がる世界と、その創造主たる自らをも棄て去る。それ故、彼女の世界はいつも新しく、儚く、自由で、残酷で、美しい。
「結局、行ったのN県なのか」
「それって、そんなに大切なこと」
肖子は舌で何かを転がしながら、俺から眼を逸らさずにそう問うた。そして下顎を二度三度と左右に振って、鋭く何かを吐き出した。
床に跳ねたのは、俺が小学生の頃失くした、コーラの瓶を模した消しゴムだった。彼女の唾液に塗れたそれは、俺が右掌で摘み上げるや否や、砂糖菓子のようにぼろぼろと崩れた。
テレビは次々にその面相を変えていく。そして俺自身もまた、蜉蝣のようなこの世界で、俺という唯の美しいピースに成り果てるのだ。
ではナメクジさん、いくつか質問させていただきます。
まず、この番組に出ようと思ったきっかけは。
「えーと、こんなこと言っちゃうのもなんですけど、ギャラがよかったからです。スタッフに頼んで、ギャラを全部餌の糸ミミズ代に回してもらったんですが、これまたすごい量になりまして。当分食糧に困るなんてことは無さそうです」
あなたから見て、人間界はどのような感じですか?
「そうですね、やけに……差別意識って言うんですか? それが強いなあと」
ほう、具体的には。
「人種差別ですかね、あとは男女差別。我々は種族差別なんてしませんし、そもそも男女の概念はありませんので、私からしたらそういう光景は不思議に見えて仕方ないですね」
人間界とナメクジ界との間での一番の違いはなんでしょうか?
「いい質問ですね。一番の違いは、我々はたとえどんなことがあろうと、人間とは違って決して涙を流せないというところにあります」
と、言いますと?
「理由は単純で、涙を流してしまったら我々は死んでしまうからです。涙ってしょっぱいでしょう? ナメクジ界では塩分は禁忌の象徴となっていますので、涙を誘発する危険性のあるものもタブーとなっています。例えば、勝負事、殺ナメ……ああ、ここだと殺人と言ったほうがいいかもしれませんね。あとは音楽、小説……映画もです。嬉し涙や悔し涙、悲しみによる涙、さらには感動の涙。これらの涙を流すときに一緒に湧く感情は、味わえるとしてもたった一度だけなんですよ。そして、人生において最初で最後となるその感情は、どれも我々が普通に生きているうちには決して味わえないものと言われています」
成る程、興味深い話ですね。
「ええ、だからそれを早くに求めるあまり、若くして命を絶ってしまう者が増えていまして。今でも長老たちは必死になって禁忌の根絶に努めているところなんですよ。ぶっちゃけた話、私もその若者に含まれるのでしょうが」
おや、そんなこと言ってもいいんですか?
「はは、あくまでも天寿を全うしてから最後の最後にとは決めていますので。最高に感動できる映画等がありましたらまた教えてください。人生の最後に見てみますよ」
それでは、時間になりました。最後に一言お願いします。
「TVの前の皆さん、次はキャベツ畑でお会いしましょう」
ありがとうございました。
次回は『名前負け』。ゲストにエンマコオロギさんを迎えてお送りします。
略
ゲロ吐いて
七色の虹を
出すんだね
Twitten
我らマルチンルターの子
マルチン系すか? 革新系みたいすね
300年進んで400年下がる みたいな
え、戦国時代?
頭寒足熱。微熱の少年時代
風邪ひいてんやから頭に濡れタオルで足ポカポカやで。
朝には美少年。
愛す可し
可愛い、がテ〜マ。かわいがられちゃうよ〜
おとこもおんなも愛嬌度胸
ズッキュ〜んん
す、スネ夫?
おう、ジャイアン先輩。ペプシ買って来いよ。
え、ええ?
え、はい。
ラジコン
え、ええ?壊れ、
壊したんだろ・お!が!!
は、はい…
歌え
え、と
世間知らずだったー
誰が!
はいい、僕ですう
す・き☆だぜ!
す、スネ〜
ジャイ い い ぃ ぃ
どこ、ばぐ、
あんあんあん
とってもだい
な。
な、ってわかるよーなわかんねーよーな、
あんたのおっとさんもおっかさんも
ああ、こんなかんじ
でへ。
戦国だな。
うむ、しかるべし
しかしていなや、わやどぎゃんかいなか
ま゛ま゛
へ かおとおぼしめへ
目が点で納得いかん
飲め飲め
のめるかいや〜 ぷっしゃあああ
すんげろ!虹が!綺麗…
きーみのためなら七色の
いりません
まあ、最近小学生まで進化したんだがや
子供のハートね。
まあねー…
…あのね…
…すっきゃねん!
くさっ!
くさって、くっさ!
あっはっは
なっはっは
うちもすきやで
…ええんか?うんこもらしてるで
かっこつけていわんといて!はよふいといで!
マルチン系やな
せやね、はいはい。
おまえはなに系や
うちか、うちは300系や
そうか。よかったな。
えらいつめたなったなむかしのかんちゃんちゃうわ
えらいひらがなやな おまえ300系て
そやねンワタシシ
アンドロイド!
うっそっや〜
びっくりしたなあ
今年もたのむで
再来年もな
ほな来週〜二千年〜
例セバ
小表内実表ス大
人間内実表ス神話
内実神話幻想
幻想表明面多利ティ
例セバ神話生カス人
人住鏡ノ国安リス
安住ス安住ズ出来
神話仮名ゴトシ
仮名足場ゴトシ
足場壊ス造後
傍名
腐露派ガンダ
真名
如シ皮剥玉葱
例セバ
虫強シ虫弱シ
同ジク
人強シ人弱シ
例セバ
夢剛シ夢酔シ
振幅大
ズ変ラ振小
進ム距離
漸進ズ焦ラ
エンマ氏は厳格なピアノ教師に似ていた。
「天国行きの切符を渡す基準は善悪ではない」
そう言って、女に向かって強い口調で続けた。切符が欲しければ微笑みなさい、笑顔で私を和ませなさい。
女は困った。
「あたし、猿になった夫の肩に乗って浅草まで歩くことが夢でした」
エンマ氏は動揺した。普通はすぐにニッコリ笑うからだ。猿の夫に肩車されたいという話も理解不能だった。
「残念だが、生き返らせることはできない」
「夫はもし肩車できないなら小説を書いて、その世界で猿の僕が君を肩車して歩くよと言ったのです」
「それで」
「問題は文才がなくて」
「ふむ」
「本当に夫は書いてくれるかを知りたいのです。ここで見守らせてください」
エンマ氏は女を睨みつけた。そして笑った。大笑いした。
「よかろう。貴様に天国行きの切符を与えよう」
「天国よりも……」
女は強引に列車に乗せられた。同乗者は少年と若い機関士だけだった。機関士は「笑わなくてヨカッタね」と言ったが女はふてくされていた。少年はずっとけん玉をしている。
列車が止まった。花畑のイメージだった天国は東京駅に似てると女は思った。ビルヂングに案内されて入室すると、モニター付きの机から夫がみえる。
最初、女は嬉しかったがだんだん怖くなってきた。夫が他の女性と話すたびに震えがくる。見てしまっていいのだろうか。天国はイジワルな場所だ、と女は思った。夫は小説を書いていなかった。
女は同室の若い女と友達になった。彼女も天国に興味がなかったらしい。昔、自分から恋人をふったことを後悔してるのだと言っていた。
「青彦っていうの。だから青いマフラーを編んであげたの」
二人の女は想う相手が異性に触れるたびに「もう!」と声を出していたが、いつしか生きていてくれればよくなった。夜明け頃そっと寝顔をみる。その数秒しかモニターを見なくなった。夫が小説を書いたことも、青彦が宛先なしの手紙を書き始めたことも二人は知らなかった。
「小説を朗読したい」「手紙を届けたい」ニコリともせず言い放つ男たちがエンマ氏の前に現れたのは女が死んで数十年後である。エンマ氏は二人を凄まじく睨みつけて、大笑いした。
列車は東京駅に似た場所で一時停車した。車内にはあの機関士と少年、それに紙の束を抱えた二人の男が乗っていた。
「待合室の二人を呼んでくる」
駆け出す若い機関士を男たちは呆然と見送った。少年はいつまでもけん玉を続けている。
満月の夜、ぼくは海辺に屈んで砂をほじくり返していた。夜光虫がいないか探していたのだ。
だけど夜光虫はいない。彼らは決まってちょっと曇った夜に現れる。こんな満月の澄んだ海に彼らの出番は無い。
ぼくは砂辺を一蹴りして立ち上がる。そもそも夜光虫とは別なところにぼくの本意はあり、それはもう波に洗われ消えた。ぼくを洗ったその波はもういない。次の次のそのまた次の波がもひとつ次の波を連れて星の皮膚をたゆませている。海と月と砂を踏む力、引き摺られる靴底にたまった貝殻のかけらと夜光虫のいない波打ち際の真っ暗な縁取。
消えた波の音は夜光虫も光らない浜辺から水平線を見据えるぼくに処女像を喚起させる。
彼女は白い帽子を目深に被り、月の下で絹色に浮かぶ体は遠目にも華奢に見えてぼくには眩しい。イメージはいつもすっ裸でぼくの目の前の重さを易々飛び越えてしまう。跳びはねたしぶきのように酸っぱい残影には箱のような體だけがあって、その中には理由も意思も音もない。
やがて彼女は歩き出す。暗い海風に服の裾をたなびかせている。波間の泡は弾けるけれど音は届かない。何もかも月の下の絹色の中。
ぼくの目の前で立ち止まった彼女は、言葉を発さぬままぼくの手を取り優しく握る。手の感触はぼくの中の受容体に電気信号を送り、ぼくは心の内で隆起するのを感じる。それは言葉となり、海辺の空気と消えた。音の無い波の底を漂った。
「帰ろう」と言った彼女の声はぼくの中にある記憶に直結する。波がざわつく。二枚貝が口を開く。
「おやすみ」と言った貝のことばはぼくの中にある記憶に直結する。音が消える。誰かが声を挙げる。
もう一度彼女の「帰ろう」の声を聞いたとき、ぼくの記憶は返らない波のように押し寄せ続ける動きを止められずにいて、ぼくはぼくの記憶の中に彼女を見つけた。
名前も顔も髪の匂いも知っている彼女は、ぼくの手を引き海の縁取りの向こうに消えようとした。ぼくは記憶の深海にこの海の音を見つけていて拭き取れない涙を満月の絹色の下に満たしていた。
ぼくは彼女と帰った。ぼくの知る海でぼくの踏んだ砂はぼくの耳を刺激したぼくの知る波に洗われ、ぼくの知る景色の中でぼくはぼくの事を知る彼女とあるべき場所へ帰った。
ぼくの知る夜光虫に灯された誰もいない海には満月が架けた絹色の梯子が伸び、波の上で脈動を続ける。
何もかもが、生きている姿を取り戻す。ぼくは彼女に「ただいま」の笑みを贈る。
気がつくと世界は漆黒に包まれていた。
僕の目が見えなくなったのではない、世界が暗闇に包まれてしまったのだ。自分の手すら見えない、究極の闇に。
その証拠に周りから人々の怒号が響いている。口々に「何が起きた」や「どうして見えないんだ」などを叫んでいる。
まだ彼等はわからないのだろうか。これが世界の終わりなのだ。
僕達人類のような罪深き存在が果たして死という安らかな形で終末を迎えられると……こいつらは本当に思っていたのだろうか。何故この終末を速やかにかつ穏やかに受け入れることができないのだろうか。
僕の足取りは恐らく確かだった。こうなることを予想していた人間にとって、この終末は何の障害にもならない。むしろ歓迎すべき事象なのだ。『我々はこうして全ての心の枷を放り投げた』つまりはそういうことである。
僕は吐瀉物を撒き散らしながら、この上ない生の輝きを実感していた。見よ。この吐き出されるものが枷である。
『我々はこうして全ての心の枷を放り投げた』。
僕の叫びが悲鳴と混じった。
もうわかっていることだ。
やがて僕達は視覚だけではなく、曖昧な『精神』も闇に包まれ、存在を知覚するだけの極めて無に近い『点』として在り続けることを強いられるだろう。在り続けることの恐怖……闇が死を許さない。それこそが僕達に与えられた贖罪の時なのだ。
あぁ、ああ! 夢にまで見た終末を、『迎えることのできる快楽』! 人間はやがて闇に応じ、闇の一部として、黒い点へと進化する、その快楽。
さぁそろそろだ。人々が闇と向き合うぞ。或いは生き或いは死に、或いは立ち向かい或いは迎合する。『人間という皮を被っていた何か』が、生まれ故郷である闇の前で剥きだしにさらされる。
僕は闇だ!
美しく穢れた醜き黒の一点、輝きの下で終末を迎えることのできる、『真の迎合を終えた者』だ!
僕は快楽に身悶え、走り出した。
傷だらけの傷すらも見えない闇を、吐瀉物を撒き散らしながら走り出した。
「俺には理解できませんよ。意味があるんですか? この茶番」
「それはあなたが極めて正常だからだ。公務員はそうじゃないといけない」
「はぁ」
「さぁ、ボタンを押して。これで彼は悪夢から解放される。それこそが刑の執行だ。『我々はこうして全ての心の枷を失い、新たに創り出した』だ」
「……やっぱり理解できないです」
「それでいいんだよ」
男は躊躇わずにボタンを押した。
「今なんつった?」
黒崎君の一言でみんな一斉に噴き出し、それぞれに顔を見合せながら笑い合った。
笑わなかったのは、僕だけだった。
中学生活が始まって三ヶ月。
その日の教室は、朝から転校生の話題で持ちきりだった。
新しい環境にも慣れ、みんなも少し退屈を覚え始めてきた、そんな時期での転校生だ。
これからやってくる新しい刺激にみんな浮き足立っていた。
僕も密かに浮き足立つ。
友達ができるかもしれない。
僕にもようやく、友達ができるかもしれない。
教室のドアが開くと、先生に連れられて転校生が入って来た。
男の子だ。
教室中で小声の意見が飛び交う。
彼は、先生に紹介してもらった後に自分の名前を言い、続けてこう言った。
「どうか、いじめないでください」
教室が静かになった。
深刻な顔をする奴、ポカンとする奴、キョロキョロする奴、いろんな奴がいた。
転校生は、沈黙のなか微かに目を泳がせている。
不器用。
彼は不器用な奴なのだと、僕は思った。
でも、その不器用さがむしろ、切実さを物語っている気もして
どうか、彼の願いがクラスのみんなにも伝わってほしい。
気付くと僕はそう願っていた。
でも。
「今なんつった?」
黒崎君が喋ればそれがクラスの空気になる。クラスの結論になる。
みんな笑った。これがクラスの結論だ。
さっき深刻な顔をしていた奴も、今は安心して笑っている。
その後、転校生が自分の席に向かう時に少しつまづいたので笑いが起こった。
体育の時、転校生が跳び箱を失敗したので笑いが起こった。
休み時間にはいつも、黒崎君一派が転校生の席を囲み、ニヤニヤと笑っていた。
下校。
一人で校門へ向かう転校生。そこにも黒崎君は待ち構えている。
僕は我慢できなくなった。
「ねえ、僕と友達にならない?」
彼の後姿に追いつき、僕は声をかけたのだ。
すごく自然に言えたと思った。
「え、何いきなり」
彼は怪訝そうな顔で一歩退いた。
思っていた反応とは違った。
「おーい、早く帰ろうぜ」
まずい、黒崎君だ。
「わりい黒崎。いま変なのに絡まれてんだわ」
え。
転校生は、僕を指さして言った。
「マジかよ。おまえ転入してきた時にちゃんと、いじめないでって言ったのにな」
「ああ、あれは初っ端から滑ったな。あの時のお前のフォロー無かったら絶対いじめられてたよ」
二人は笑い合っていた。
状況がわからない。でも何となく、よかったらしい。
気付けば、僕も笑顔になっていた。
「やべえよ黒崎。なんかこいつ笑ってんぞ」
倉井くんの吐きだした煙が天井のない教会に差し込む夕光の中で渦を巻く。倉井くんは虚ろな目でその辺りを眺めている。あたしも同じような目をしているはずだ。一昨日から一睡もしていない。
「ねぇ、ちょうだい」
あたしが空いている右手を伸ばすと、倉井くんはにやっと笑って咥えていた煙草を手渡した。コンビを組んで三番目に会ったあたしを思い出したのだろう。いい心がけだ、おまえもあのミリタリーオタクを見習えよ、とか考えているのだ。そしてそして、軍服なのに下はスカート、とかいう意味不明な格好をさせたいと妄想しているのだ。あーあ、ホーカ族ラブなあの倉井くんと組んでた頃が恋しいよ。なんでこんな倉井くんに殺されたっ、倉井くん!
「いくぞ」
日が沈んだので出発。さんざん咳き込んだおかげで頭は冴えている。なので
どうしてこうこそこそ移動せにゃならんのだどうして皆あたしをほうっておいてくれんのだ別に誰があたしだって構わんではないかあたし同士で殺し合って唯一無二のあたしになるってそれに一体どんな旨味が存在するというのかまるでわからんじつにわからん
などと詮ないことをぶつぶつぶつぶつ考えてしまうわけである。
ちくしょう。紋切型どもめ。あたしは疲れたぞいい加減。
六時間ぶっ通しで歩いてようやく休憩。廃車が転がっていたのでそこでさすがに睡眠をとることに決める。しっかし死体だけはたくさん転がってたなー。あたしと倉井くんのは見かけなかったけど、ま、案外近くに転がってるんだろうな。
体が揺れるので目を覚ます。眩しい、朝だ、と思うのと同時に、ああまた新たな倉井くんに替わったのだと悟る。あたしが揺れているのは倉井くんが腰を振っているせいであり、そんなことをするのはあたしと付き合いの浅い倉井くんなのであり、またこいつが「倉井くん」であるという確信は股に当たるものがまったく硬くなっていないという例の特徴から得られる――しっかしあたしって倉井遭遇率高っ!
車を降りると旧倉井くんが捨ててあった。
まあ、いい奴ではあったよな、と手を合わせてから車内に残っている新倉井くんの姿を検めようと振り返った瞬間、まず背中に、息が詰まり、体中に衝撃が走り、次々に走り、車のドアにぐいぐい押しつけられ強制ダンス。ビーハイブ。新倉井くん諸共ジ・エンド。あなたを撃ったのは相葉さんでした。
リトライしますか?
いやいや無理だから。これゲームじゃないから。
「水にあふれた砂漠。といった感じじゃったな」
老人はあひるだかガチョウだかの形をした帽子を被っていた。そしてその隣に座っている子供も同じようにあひるだかガチョウだかの形をした帽子を被っていたのだった。飛べない鳥というものであるのが何か理由になっているようだった。
脇には執事がいる。執事がいるというのは金があるのだろう。ありあまってやがるのだろう。理髪店で御馴染み赤青白の三色ねじり棒がくるくる回っている。老人は語る。青空に語る。わたしは一代で財をなした。そういう者は大概良い死に方は出来ん。しかしわたしには孫が残っておる。これは僥倖という他無いだろう。
「左様でございます」
そこへ砂煙をあげてフェラーリがやって来る。ガルウイングがぐばんと開いて中から男が出てきてこう怒鳴る。
「どうゆうことだ誰もいねえじゃねえか。何もねえじゃねえか。これでどうやって映画撮るんだよ」
三色ねじり棒がくるくる回っている。
静寂。青空。可視光の周波数は十億から百億に変調出来、それは可視光外の電波やマイクロ波が一から十までほどにしか分類できないのと比べ倍数では同じでも数では九十億違う。
「知ってんだよそんなこと、このくそが!」
映画監督は三色ねじり棒を蹴っ飛ばす。少年は空を見ている。青空。この青空の色に名をつけることは出来るだろうか。それとも空は空色ということで良いのだろうか。それともやはりただひとつの(数え切れないほどのほぼ同じ内容のポルノ映画と同じように)名が必要なのだろうか。空を見上げるただ一人のあなたと同じように。
欠損というのはありきたりだ。片腕の無い少女。金の無い詩人。爪の無い指。鍵盤の無いピアノ。あなたの目の前には今、右目が義眼の女がいる。良く出来た義眼なのであなたはそれに気がつかない。自傷というのもありきたりだ。あなたの左手首の十字架。
これがひかりだよ。
サンダーマンをご存知だろうか。詩人で作家で音楽家で扇動家で、左手首の十字架。右腕をすうと伸ばして、かみなりにうたれて。
これが、ひかりだよ。
雑踏、の中の津波、の幻。ひかり。
ひかり。
じゅうじか。じゅうだん。
でもあなたもじゅうじかをつくったことはあるだろう?
でもあなたもじゅうだんをつくったことはあるだろう?
みんな右腕をなくしている。詩人で作家で音楽家で扇動家で、左手首の十字架。右腕をすうと伸ばして、かみなりにうたれたから。
戦争が始まってから二度目の冬。ロシア有数の大都市ロストフの郊外で、ヴァーニャは対戦車砲陣地の中で、かじかむ手を擦り合せていた。
都心部からは外れており家もなく、眼前には白紙のように広がる雪原と、そこに零したインクたる黒い森が点在するだけ。
本当に敵は来るのか。そう思った時、配置につけと怒鳴り声がした。慌てて対戦車砲の照準器に目を押し付ける。遠くの森でなにかが動いた。
「虎が来たぞ!」
指揮官の叫び声を聞いた瞬間、周りの風景がどろりと溶け、すべての音が遠くなり、なにかが混ざり合うような感覚が彼を包んだ。
森から虎が現れる。カスピトラ。インドの虎より一回りも大きい。体の縞模様はとても細かった。
森から虎が現れる。6号戦車ティーガー。ロシアの重戦車よりも一回り大きい。主砲のキルマークの帯は多くて縞模様のようだ。
隣にいる仲間が銃を撃った。だが遠くて外す。慌てて弾込めをする間に恐ろしい速度で駆けた虎が、火縄銃を構えようとした男を引き裂いた。
隣にいる対戦車砲が撃った。だが遠くて装甲に弾かれる。次の瞬間に虎の主砲が吼えて、その対戦車砲は陣地ごと吹き飛んだ。
虎は我が物顔で暴れ回り、爪と牙で仲間達を次々と引き裂いていく。逃げだす仲間達の中で、ヴァーニャは動かない。
虎は我が物顔で暴れ回り、無駄な攻撃を続ける対戦車砲を一つずつ潰していく。給弾手が逃げろと言ったように聞こえたが、ヴァーニャは動かない。
彼は信じていた。この硝煙と絶叫が満ちる場では、白い布を巻いた火縄銃を持ち、雪の中に隠れている自分は見つからないと。
彼は信じていた。入念に偽装したこの対戦車砲陣地は、発砲しないかぎり見つからないと。
はたして虎は彼の目の前で跳ねて腹を見せた。引き金を引くと、白い腹に穴が空く。虎はこちらに飛びかかって火縄銃を弾き飛ばしたが、それきりで倒れて死んだ。
はたして虎は彼の目の前で旋回し側面を見せた。引き金を引くと、装甲の薄い側面に穴が空く。虎は一瞬こちらに砲塔を回しかけたが、すぐに止まって動かなくなった。
「よくやったな! 勲章物だぞ!」
ようやく音がまともに聞こえ始めた。彼は自分が歓呼の声に包まれているのに気づく。陣地から出て一歩踏み出すと、つま先になにか硬い物が当たる。見ると半ば埋もれた、錆びた古い火縄銃だった。
「同じようなことを、やった気がする」
ヴァーニャはぼんやりした声でそう呟いた。
神様が泣いていた。まだ子供だった。私は辺りに散乱したデタラメな残骸に足を取られながら、幼い姿の神様に近付いた。さまざまな大きさのコンクリート塊やガラス片、むき出しの鉄筋や水道管、壊れた時計、イス、ぬいぐるみ、スプーン、聖書……。私の姿に気付いた神様は、大切なオモチャをなくした子供みたいにベソをかきながら小さな手を差し出した。
「あのね」神様は私に言った。「君は僕の母さんなの?」
私は神様の手を握り、たぶん違うわと神様に言った。
「僕の母さんでないなら、君はいったい誰なんだい?」
私は幼い神様の手を引きながら、瓦礫に埋もれた灰色の街を歩いた。ときおり空から遠い雷鳴のような音が響き、黒い影のような飛行機が私達の頭上を飛んで行った。
「今日は五つも見たよ」神様は飛行機を指差しながら言った。「あいつ、どこへ飛んで行くんだろう……。自分のお家へ帰るのかな」
飛行機の姿が見えなくなると私達はふたたび歩き出した。
「あのね、僕ね、きのう夢の中で死んだよ。それからね、鳥の国へ飛んで行ったよ。あのね、死んだらね、みんな飛べるんだって」
瓦礫の道をしばらく進むと、行くあてのない人々の群が目に入ってきた。でもその半分は、死んで動かなくなった人達だった。
「あの、ちょっと……」地面に横たわっていた男が、ふいに私の足首を掴んだ。「俺、もう死んでるのかな?」
私は、よく分からないのゴメンなさいと言って、死んだ男の手を自分の足首からはがした。
「あんた、俺の恋人に似てるんだよ。だから何かを知っているかと思ったのさ。驚かせて悪かったな……」
死んだ男はそれ以上何も言わなかった。
私が男の相手をしている間、神様は私の手を離れ、近くにいた女の子と話をしていた。女の子は赤い服を着ているように見えたが、近寄ってみると、その女の子は全身が血まみれだった。
女の子は、私に気付くと親しげに微笑した。
「さようなら」女の子は血まみれの姿で私にそう挨拶した。「でもね、別れるときはコンニチワなの。だって悲しいでしょ。サヨナラなんて」
私は女の子を抱き締めた。
「あったかい……。ずっとこうしていたいな。ねえ子守歌うたって。あたしねむたくなっちゃった。ねえずっとあたしのそばにいて。ずっと……」
空からまた、遠い雷鳴が聞こえた。黒い影が頭上に迫っていた。
「さよなら……」
「もうどこへも行かないで」
「違うの。もう一度会いに行くの。あなたに」
はるか彼方、僕達の想像できる距離をはるかに超えた遠方から、遮られる事無く届くそれは奇跡に近い。億万年の時を経て、無限にある中の小さな一つ、この青い星に届いた星の光の瞬きに、涙ぐんでしまうのは何故だろう。既に滅びた星に導かれて、人々は過去から罪と過ちを繰り返してきたのなら、この世の僕も抗えない――。
白いパジャマ姿に肩掛けを羽織った彼女は、ベランダの手摺に手を掛けて暮れの夜空を眺めていた。開けられた窓からは冷たい空気が入ってきた。外はマンションから見下ろす街の光が広がっていた。
彼女は白い息を吐きながら嬉しそうに何かを口ずさんでいた。ベッドの中から顔だけを覗かせた俺は、彼女が何を呟いているのか分からなかった。ただ嬉しそうに暮れの夜空を眺めながら、空に白い息を吐いていた。
雲は無く、夜空は街の光で白く煙っていた。街はイルミネーションに彩られ、幾筋もの真っ直ぐに延びた道路は光がうごめく。時折風に乗ってパトカーのサイレンが聞こえてきた。暮れの夜はいつまでも音の止む事は無かった。
「街の音よ、消えて……」
彼女は呟いた。口から出た言葉は白い言霊となって、空へ溶けていった。段々と、聞こえる街の喧騒はしぼんでいき、街からは何も聞こえなくなった。
「街の光よ、消えて……」
言葉を載せた白い息はまた黒い空に溶けていった。今度は一面にあった街の光が足元からゆっくりと沈んでいった。大地は空と同じ漆黒に包まれた。
段々と暗闇に目が慣れてくると、今度は空に無数の星の光が浮かび始めてきた。瞬く星たちが街を照らしていた。
俺は星空を見て、展望台で告白した時の事を思い出していた。その時口にした、自分の言葉を思い出していた。
外を見ていた彼女が首を向けて訊いた。
「恨んでるの?」
「恨むというより、今は呪ってる」
「呪ってる方も、また呪ったその時から呪縛を掛けられているのよ。知ってた?」
彼女は笑顔を残すと、また星が覗く夜空に顔を向けて暮れの世界を眺めた。
俺は、彼女の背中とほんのり冷気に赤らむ髪の掛かった片頬を、ベッドの中から眺めている。
「センちゃん、私この前中国の映画を観たの。女の子がみんなで首吊りしようってお話でね、村の大人に内緒でロープを集めたり廃屋を片付けたりするんだ。すごく楽しそうでさ、最後は半分寝ちゃってよく覚えてないんだけど、私もやってみたいと思ったのね。それで、やっぱり仲間がいるからセンちゃん一緒にやらない? 大晦日の夜に閻略寺の松とかで。親には初詣って嘘吐けばいいし、絶対あそこなら誰も来ないもん。きっと楽しいよ」
「うん、いいよお」
「絶対誰にも内緒だよっ。首吊りってばれたらすごく怒られるんだから」
「うん、あたしたちだけの秘密だね」
そんな訳で、親友のセンコを仲間に引き入れた私は、終業式の翌日、一緒に宿題を片付け色々細かい事の打ち合わせをして、打ち合わせって初めてだったからそれだけでワクワク気分になって、でもロープをどこで買えばいいのか分からずに二人でインターネットを探したらホームセンターで売ってるらしく、暖かい日に自転車で十分の所にある何とかっていう木材とか材木とかノコギリを置いてる店で丈夫そうで安くて首に当てても痛くなさそうなロープを二本買って、帰りに肉まんを食べながら閻略寺にも寄ってちゃんと廃れているのと腐った松があるのを確認したら、あとは大晦日まで大人しい振り、紅白にイギリスのおばさんが出てるのだけ見てからお姉ちゃんお下がりのダッフルコートを着てセンコと合流して幽霊の出そうな真っ暗なお寺の庭で懐中電灯を使って何とか枝にロープを巻きつけて輪っかも作って、枝に登って除夜の鐘に合わせてせえので飛び降りたら、枝が二人分の重さに耐え切れなくて首を吊る前にぽっきり折れ、私達は葉っぱや枝や砂だらけの地面にどさって落ちて全身ぐしゃぐしゃになっちゃって、そう言えばあの映画も廃屋の柱が折れて失敗したんだなんて思い出しつつ、でも起き上がらなきゃと思ってコートを払ったけど何も落ちてくれなくて、何だか悲しくなったのかセンコが泣き出したせいで私ももらい泣き、涙も鼻水も止まらないまま歩いているといつの間にか近くの神社に辿り着いて、着物とか綺麗な格好をした人達がびっくりして色々聞いて来たのに言葉が出ない、そんな泣くばかりで何も答えない私達にどん引きしたのか、海が割れるみたいに道が出来たから、結局そのまま初詣をして手を繋いで泣きながら家に帰り、二人揃って初売りに出かけ、お年玉で新しいダッフルコートを買った。